日本バングラデシュ協会 メール・マガジン (64号) 2019年10月14日 1)『バングラデシュのジェンダー事情について』 副会長 村山真弓   2)特別インタビュー『伊藤直樹新大使に訊く』 駐バングラデシュ日本国大使 伊藤直樹 他

日本バングラデシュ協会の皆様へ

■目次

1)巻頭言『バングラデシュのジェンダー事情について』                副会長 村山真弓

2)特別インタビュー『伊藤直樹新大使に訊く』          駐バングラデシュ日本国大使 伊藤直樹

3)現地便り『イシュワルディEPZで生き抜く』                         (株)東和コーポレーション 池本 秀文

4)会員便り『25年間にわたりバングラデシュをみつめて (連載その3)』

-在バングラデシュ大使館の日本企業支援について-     在バングラデシュ日本国大使館 参事官 進藤康治

5) 理事寄稿『Reminiscent of a Bangladesh Born Commoner Living in Japan over Half a Century』

理事 七田央

6)イベント、講演会の案内

7)『事務連絡』

 

1)巻頭言『バングラデシュのジェンダー事情について』           副会長 村山真弓

最近「女性枠」を理由に仕事を任されることが重なったので、今回の巻頭言を書くにあたって、バングラデシュのジェンダー事情について考えてみた。

2019年7月現在、選ばれた国家元首に座に女性が就いているのは、世界27カ国で(ウィキペディア)、バングラデシュはその一つである。1990年末のいわゆる民主化運動でエルシャド政権が倒れてから現在に至るまで、選挙を通じて選ばれた国家元首はシェイク・ハシナおよびカレダ・ジアという二人の女性に限られ、任期は二人合わせて25年を超える。つまり2021年に建国50周年を迎えようとするバングラデシュの歴史の半分以上は、女性のリーダーシップのもとで国家運営が行われてきたということになる。彼女達の政治力の背景には、父なり夫なりの威光があるのは事実としても、これほど女性の長期政権が続く国は、稀であろう。

ダボス会議の通称で知られる世界経済フォーラム作成の「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」によれば、2018年現在、バングラデシュは対象国149カ国のうち48位である。他の南アジア諸国をみると、インド108位、パキスタン148位、スリランカ100位、ネパール105位、ブータン122位、モルディブ113位と、バングラデシュの順位がずば抜けて高いことがわかる。バングラデシュは、調査が始まった2006年の114カ国中91位から大きく順位を上げた。ちなみに2018年の上位にはアイスランド、ノルウェーといった北欧諸国が並んでいるが、ジェンダー・ギャップの大小は、経済の発展度とは必ずしも一致していない。米国は51位、日本はなんと110位である。

総合的指数を構成するのは経済参加と機会、教育の達成、健康と生存、政治的エンパワーメントの4側面に関する指数である。バングラデシュの場合、教育および健康については男女間の格差が小さい。中でも初等・中等教育の就学率については2000年代、平均余命に関しては1990年代初めに男女格差は逆転し、女性が男性を上回るようになった。また上述の通り、過去50年間における女性の国家元首の就任年数では、世界第1位となっている。

他方、立ち遅れているのは経済面である。労働参加率、賃金格差、経営者・専門職・技術職における比率等、すべての面で世界平均よりも男女格差が大きい。政治の側面でも、国会議員や閣僚数については、元々世界的に男女格差が大きいなかで、バングラデシュの女性議員・閣僚比率は平均よりもさらに低い。首相職に女性が就いていることが、むしろ例外的といえよう。

去る9月26日、国際開発学会主催、当協会も共催として開かれたセミナーにて、バングラデシュを代表する知識人の一人で、SDGs(持続可能な開発目標)に詳しいDr. Debapriya Bhattacharyaは、ジェンダーに関する現況と残された課題について、女子学生のドロップアウト率の高さ、児童婚、近親者による暴力を指摘した。またバングラデシュ政府は議員の女性比率として地方自治体の議員比率も加えて報告しているが、数を増やすだけでは、その組織が質的にも変わる(彼は「女性化」という言葉を使った)ということにはつながらないと述べていた。

日本とバングラデシュの関係が、かつての開発援助・支援のみという状況からビジネスへと大きく広がっていくにつれて、そこに関わるジェンダーの課題も新しい局面を示していくことになるだろう。確実なことは、日本、バングラデシュ双方において、ジェンダー問題解決が最重要事項の一つして位置づけられている現在、課題解決によって得る経済的・社会的利益(あるいは課題を無視することのリスク)は極めて大きいということである。

当協会が、今後会員が積み重ねていく取り組みを共有するプラットフォームになれたら、素晴らしいと思う。

 

 

2)特別インタビュー『伊藤直樹新大使に訊く』      駐バングラデシュ日本国大使 伊藤直樹

*10月中旬に赴任する伊藤直樹駐バングラデシュ大使にお話をうかがっ1た。(聞き手 編集部)

-外務省の道を選ばれたのは?

学生時代、初めての海外旅行で東南アジアに行きました。シンガポールから、鉄道とバスを乗り継いで、マレーシア、タイと回りました。地方を旅してみると、まだまだ日本に対する厳しい見方があると感じました。鋭い言葉も浴びました。1981年のことでしたが、まだ先の戦争を引きずっていたのです。このアジアの人々との信頼をどう築いていけば良いのかと、おぼろげながらも問題意識が芽生えました。そういう仕事が出来るところはどこか? これが外務省を選んだ理由です。自分はビジネスに向いているとも思いませんでした。

その後、英国に研修しました。勉強は大変でしたが、のびのびとラグビーやボート,ゴルフなどスポーツにも興じました。英国は、その後も勤務の機会があり、都合7年住みました。

―外務省で手掛けた仕事で印象に残っているのは?

入省すると、毎日半徹夜の勤務が続くこととなり、各省庁との調整に長時間を費やしました。今では想像もつかない世界でした。大変厳しい勤務環境でしたが、鍛えられたと思っています。

印象深い一つの仕事は、2004年の小泉総理訪朝に北東アジア課長として同行し、拉致被害者のお子様方と一緒に帰国したことです。普通の相手とは首脳会談の準備のやり方も違いましたが,拉致問題にも一定の進展を見ることができました。

また北朝鮮核問題をめぐる六者会合では、2005年秋に非核化へ向けた合意が出来ました。各国にそれぞれの立場があって難航する中で会合を重ね、佐々江代表が各国代表との間で精力的に調整をされ、議長国中国にも助言し、合意に漕ぎ着けました。残念ながら実現に至りませんでしたが、このプロセスに関与できたことは、とても貴重な経験でした。

-これまで南アジアとの関わりは?

1999~2001年にミャンマーに在勤しました。民主化以前の時代で、政治的自由はなく移動も制限され、閉塞感がありました。一人当り所得は100米ドルで、貧しくも慎ましい生活振りでした。太平洋戦争はありましたが、独立以降,表立った日本批判は控えてくれています。とても親日的です。ネウィン時代に高等教育の空白期間があり、今も人材面で尾を引いている面があります。しかし、非常に真面目で勤勉な国民であり、発展の潜在性を感じました。

当時、欧米諸国は人権と民主化重視で、国軍に批判的。西側で二国間の支援をしているのは日本だけでした。現地の会合でも、「日本が軍事政権を利する援助をしている」と批判の矢面に立たされました。援助と言っても、現地NGOを通じた草の根無償が中心で、学校、病院などBHN分野でのささやかなものでしたので、国際NGOにも入ってもらうように工夫し,件数もだいぶ増やしました。何ごとも国軍が関与しないと動かないところで、①国軍に関与して物事を動かしていくか、②国軍とは距離を置いて何もしないか、日本と西側諸国との立場が分かれたのです。その間隙を突いて、中国がインフラを建設、影響力を強めていました。

当時はミャンマーからの避難民が少しずつ帰ってきており、自分も現地に視察に行き、舟で戻ってくる様子を見ました。他方、ラカイン州に仏教徒の入植が始まってもおり、ロヒンギャをめぐる問題が複雑な様相を呈してきていました。

2008~2011年にニューデリーに在勤しました。ともかくタフな国だと感じました。優秀で議論に熱心、理屈を振り回し、雄弁に語る、日本人とはまさに対局にある国民です。広大な国土に多様な民族、宗教、文化と、多様さと奥深さに圧倒されました。一つの国としてまとめ運営していくのは、とても難しいことではないでしょうか。そうはいっても、このチャレンジに対し、世界最大の民主主義国国家として、経済成長にもめざましいものがありますし,各州に至るまで、一ヶ月以上かけて自由で公正な選挙を実施してきているのは、凄いと思います。

-バングラデシュは初めて?

アジアに携わりたかったので外務省に入りました。本省の課長として北東アジアとASEAN諸国を担当しました。在外ではミャンマー、インドに在勤した後、今度バングラデシュに赴任することで、自分の中では地図がつながったとの感慨を覚えています。バングラデシュは、南アジアと東南アジアとを結ぶ結節点です。

2015~2017年、JICA理事を務めました。アジアの諸国では、情報、エネルギー、高速鉄道など、経済発展のために多大なインフラが必要とされています。日本は、これまでもODAで質の高いインフラ整備を支援してきました。インフラ需要が大きいだけに、官民連携してAll Japanで対応していこうとする雰囲気が強くなってきています。

またJICAでは、中小企業の海外展開支援のプログラムを制度設計し、立ち上げていました。中小企業は、ヴェトナム、ミャンマーと進出していきましたが、いよいよバングラデシュの番になっていると思います。

そして何と言っても衝撃的であったのが、2016年7月のダッカ襲撃テロ事件です。バングラデシュの開発事業に携わっていた日本からの援助関係者7名が貴い命を落とされました。バングラデシュ大使を拝命した際に、まず脳裏をよぎったのは、この事件の犠牲者のことでした。ご遺志をしっかりと継いで、バングラデシュの発展に向けてさらに支援を進めていことが、自分の使命であると考えています。

-日本とバングラデシュの関係は?

親日的であり、経済関係が緊密化していると感じています。発令後、多くのビジネス関係者とお会いしてきましたが、皆様がバングラデシュに寄せる熱意をひしひしと感じました。バングラデシュには、市場と労働力があり、そして戦略的要衝であることを、良く理解され、日本経済のフロンティアであると認識されておられます。特に、縫製、発電などへのご関心が高いとの印象を受けました。

今後、2020年(ムジブル・ラーマン生誕100周年)、2021年(独立50周年)、2022年(国交50周年)と、節目となる年が続きます。要人往来を進めるとともに、経済交流と並んで、文化交流を盛んにするきっかけを作れればと思っています。タゴールを生んだ、文化を愛する国民です。若い頃に岩波ホールでサタジット・レイ『大地の歌』を観ました。

現地へ行って音楽はじめ文化を肌で感じ,自分の眼で良く観ながら、どういう交流を進めて行けば良いかを考えたいと思います。日本国民にバングラデシュについて、しっかりとイメージを持ってもらうことがとても重要だと考えています。どうすれば一層の相互理解につながるのか、そのためにどのような働きかけができるのか,大事な課題です。

-日バ協会へのメッセージを?
日バ協会が、最近強化され、個人・法人会員が増えているのは素晴らしいことです。日バ関係の進展に伴い、日バ協会の活動が伸びていることの意義は大きいと考えます。大使として職務を進めていくと、日バ協会の活動も発展していく、そして会員も増えていく。こうした好循環を生み出すことが出来ればと願っています。

-ご家族、スポーツなどは?

妻と息子と娘がいます。娘が進学期にあたるため、残念ながら、単身で赴任します。

バングラデシュでも盛んなクリケットは英国留学時代に少しやりましたが、野球とは違い,バットで玉を打つのがとても難しいのです。印ではクリケット・プレミアリーグが大変な人気で、試合の観戦を楽しみました。バングラデシュでもプレミア・リーグが出来たと聞きましたので、観戦し,ファンになりたいと思っています。

-どうもありがとうございました。

【伊藤直樹大使の略歴】

1960年 東京生まれ、東京大学法学部卒。1984年 外務省入省 英国研修(ケンブリッジ大学)

本省は、南東アジア第二課長、北東アジア課長、国際協力局政策課長、経済局審議官など。またJICA理事(2015-2017)

在外は、ミャンマー(1999-2001)、国連代表部(NY)(2001-2003),印(2008-11)、英国(2011-14)、シカゴ総領事(2017-19)など。

 

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