日本バングラデシュ協会 メール・マガジン (66号) 2019年12月14日 1)巻頭言『バングラデシュのふたりの詩人~シャムシュル・ラーマンとショヒド・カドリ~』  東京外国語大学准教授、前理事 丹羽京子 他

1)巻頭言『バングラデシュのふたりの詩人~シャムシュル・ラーマンとショヒド・カドリ~』

東京外国語大学准教授 丹羽京子

2)特別寄稿 『マームード元空軍参謀長への叙勲』

駐ブルガリア大使/元駐バングラデシュ大使 渡邊正人

3)現地便り 『ダッカ日本人学校の運動会-臨時休校から運動会再開まで』

ダッカ日本人学校 校長 島村雅彦

4)会員便り『ダッカ随想』

九州大学特任教授 浅井 孝司

5)イベント、講演会の案内

6)『事務連絡』

 

 

1)巻頭言『バングラデシュのふたりの詩人~シャムシュル・ラーマンとショヒド・カドリ~』

東京外国語大学准教授 丹羽京子

1.ふたりの詩人:

シャムシュル・ラーマンとショヒド・カドリ

バングラデシュに詩人は多いが、シャムシュル・ラーマン(Shamsur Rahman, 1929~2006)とショヒド・カドリ(Shahid Quadri, 1942~2016)は、ともに間違いなくバングラデシュを代表する詩人と言えるだろう。このふたりには13歳の年齢差があるが、ともに詩壇にあらわれたのは1950年代、分離独立によって東ベンガルが西ベンガルと袂を分かち、独自の道を歩み始めた直後である。この世代のバングラデシュ人の例にもれず、ふたりも歴史に翻弄されるのだが、それによってふたりの歩みは大きく隔たっていく。

ふたりはおよそタイプの違う詩人である。シャムシュル・ラーマンは比較的晩熟で、20歳を過ぎるまでほとんどなにも書いたことがなかったのに対し、ショヒド・カドリは非常に早熟で12歳にして初めての作品を雑誌に掲載している。そして息詰まるような60年代を通して、ふたりの詩人は成熟していく。シャムシュル・ラーマンが、1969年の抗議行動で犠牲になった青年を悼んで、「アサドのシャツ」のような詩を書き、確実に人心を掴んでいく一方で、ショヒド・カドリは、都会的で孤独な現代人の魂を追求するような、完成度の高い詩編で他を圧倒していく。

2.バングラデシュ独立戦争とふたりの詩人:

70年代に入ると、そのショヒド・カドリを含めてあらゆる詩人が直視せざるを得ない、そして直視するに堪えないような事態となる。バングラデシュ独立戦争である。この時期を映し出したショヒド・カドリの「禁じられたジャーナルより」や「友人たちの目」は、その緊迫した状況を間違いなく今に伝えるし、「君に挨拶を、愛する人よ」は、非常時にあってベンガル詩伝統の抒情性を高らかに詠んだ傑作と言える。

一方のシャムシュル・ラーマンは、内戦勃発を受けて田舎の親族の家に身を寄せていたが、そこで高名な「独立よ、おまえは」を書く。ごくごくシンプルにベンガル人にとって大切なものを列挙したこの詩は、当時解放軍兵士の手から手へと渡されていき、ついには国境を越えてインド側のコルカタで出版されるに至る。この詩は多くのバングラデシュ人の支えとなり、今日なお人々に親しまれている。

3.ふたりの軌跡が離れる:

ふたりの軌跡が大きく離れていくのは、バングラデシュ独立後のことである。ダッカに戻り、なんとか生活を立て直していったシャムシュル・ラーマンに対し、ショヒド・カドリは混乱の止まない国を離れるという選択をした。ふたりはデビュー当時から親しく、シャムシュル・ラーマンは盟友のために安定した仕事を探す努力をしたようだが、ショヒド・カドリは結局イギリスからドイツに渡り、そして最終的にはアメリカに腰をすえることとなる。

70年代以降、21世紀を迎えて亡くなるまで、シャムシュル・ラーマンはバングラデシュの人々に寄り添い、その歩みとともに大詩人となっていく。一方のショヒド・カドリは78年の第三詩集を最後に詩作から遠ざかる。2009年に待ち望まれた第四詩集をニューヨークから出版するも、長らくベンガル詩の世界から離れていた感は否めない。

4.それだけで充分?

結果としてシャムシュル・ラーマンはバングラデシュとともにゆっくりと大成していったのに対し、ショヒド・カドリは早々に筆を折ったかに見えるが、それは詩人としての挫折を意味するのだろうか?そうではないだろう。始めから完成された詩人であったショヒド・カドリの詩編の魅力は揺るぎない。数々の記憶に残る作品を残したショヒド・カドリの生涯もまた、彼自身が「それだけで充分ではないのか?」と問うたように、充分すぎるものだったと言えよう。

 

付記:幸運なことにわたしはこのおふたりと会ったことがある。大詩人でありながら、どこか茶目っ気のあるシャムシュル・ラーマンに対して、ずっと年下のショヒド・カドリは、老成した感じを抱かせる人物だったのを思い出す。おふたりの詩のほんの一端にでも触れてみたいと思う方は、拙訳の『バングラデシュ詩選集』(大同生命国際文化基金)をご覧いただければ幸いである。ショヒド・カドリの「それだけで充分ではないのか?」という文言は「金をいつ手に入れる?」という作品中の一節である。

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