日本バングラデシュ協会 メール・マガジン 72 号(2020 年 6 月号)巻頭言:『 マゴー(お母さん): 母の日に思うこと』 (京都大学東南アジア地域研究所連携教授 安藤和雄)他

日本バングラデシュ協会の皆様へ

■目次
1)巻頭言:『マゴー(お母さん:母の日に思うこと』

京都大学東南アジア地域研究所連携教授 安藤和雄

2)会員証言:『1971年3月にダッカで見たムジブル・ラーマン』

-ムジブル・ラーマン生誕 100 周年シリーズ No.6-

福島応援プロジェクト代表 長田満江

3)企業便り: 『バングラデシュでの事業成長に向けた現地スタッフの日本研修』

株式会社サンテック バングラデシュ支店長 赤城 裕一

4)文化便り:『もし君の呼びかけに誰も答えなくても ひとりで進め』

- 映画『タゴール・ソングス』公開に寄せて -

映画監督 佐々木美佳

5)イベント、講演会の案内

 

6)『事務連絡』


 

 1)巻頭言: 『マゴー(お母さん): 母の日に思うこと』

京都大学東南アジア地域研究所連携教授 安藤和雄

1.マゴー

「マゴー、マゴー」。バングラデシュの村人たちは、男女の区別なく、子供も大人も、肉体的痛みや精神的な悲しみを受けた時、叫ぶように、あるいは、呪文のように、涙を流して呼びかける。「マー」は母、「ゴー」の意味はよく分からない。私の調査地で JICA のプロジェクトサイトでもあった、タンガイル県D村で、長くプロジェクトスタッフの中心的役割を担 ってくれた、友人のAさんの話では、「ゴー」は村の言葉で「タン」(日本語訳がしにくい言葉であるが、単語の接尾辞的に 自然にでてくる言葉というような意味がある)だという。「マゴー」を、あえて日本語に訳せば「お母さん」「お母ちゃん」「おっかさん」だ。バングラデシュの人たちは泣くときは「お母さん」といって泣く。人前で泣くときに「ババゴー」とは聞いたことがない。ババは「お父さん」「お父ちゃん」「おとったん」である。
母はバングラデシュの人々にとって、家族の中でも特別なのだ。私は子を持つ父であるが、父は「悲しい存在」である。部屋の中にも時々「マ(母)」という一文字の刺繍の額が飾ってある家が決して珍しくない。「ババ」という文字が刺繍で部屋に飾られているのを、私は見たことはない。私の友人たちは、ほとんどがモスリムだったこともあるが、「マ(母)」の文字以外には、アッラーのアラビア文字が飾ってあることも決して珍しくはない。「神格化」というと硬くなって大袈裟であるが、バングラデシュの人たちにとって、母はいつも手を差し伸べてくれる存在なのだろう。

2.母性と父性の違い

厳格なアッラーのイメージは、私にとっては男性的、父性的で、戒律の厳しさが漂うが、バングラデシュの村人たちにとっては、案外、そうではないのかも知れない。
バングラデシュのスーフィズム(神秘主義)イスラムの影響が今も色濃く残るタンガイルの村々では、私が頻繁に通い滞在もした1990年代半ばまでは、「マールポットがいい」と公言する人たちが多かった。「マール」は「モン」(こころ)に近い意味だと聞いた。恐らく、マールポットは、Wikipedia の「Haqiqa」の説明にあるスーフィズム(神秘主義)イスラムにおける人生の 4つのステージである、① Shariat、② Tarigat、③ Haqiqat、④ Marifat のうちの Marigfat のことで、「最終的な神秘的知識」と説明されているが、私は「こころの道」と訳したい。
マールポットに対して、村人はよくショリオットということを口にする。ショリオットはShariat のことだろう。ショリはイスラム法のシャリアである。ショリオットとはコーランを規範として、それを尊び、モスリムの生活を送ろうとしている人たちを「あの人たちはショリオットだ」と村では呼ぶことがある。マールポットだからコーランを尊んでいないというのではない。マールポットはイスラム神秘主義ではもっとも尊ばれる状態でもある。マールポットと自認する人たちは、村に複数いる「ピール」(イスラム神秘主義の聖者)を、コーランの教えとともに尊敬しているのである。私にも尊敬していたピールがいた。ピールの話は別の機会に譲るが、私のピールは「アッラーのアドール(尊敬し、愛しく)」を受けることの重要性を説いた。マールポットのシンボル的な存在が村のピールたちである。ピールを「師匠(グルー)」として自分を「生徒もしくはフォロワー(シッショ)」とする関係を「ムリッドを結ぶ」という。
D村では、当時、乾期の冬になると「師匠」のピールを招いた「オローシュ」と呼ばれる歌会がよく行われていた。大抵は家族のメンバーの病気が治ったことを師匠に感謝したりして、毎年決まった日に開催される。庭先にテントを張って、裸電球を引き、地べたにひかれた藁や御座が、招待された村人たちの即席の席となり、男女の区別は設けられていたが、多くの村人が集まっていた。オローシュにはD村とその周辺の村からピール数人が招待され、時には「プロ」の歌手や卓上オルガン、太鼓、横笛などの楽隊がついたりする。そして、真夜中から明け方まで、参加者も自由に歌う。歌は、「ドア・ガン」(「ドア」は 同情とかあわれみ、「ガン」は歌で、同情、あわれみの歌と訳せる)、「ムンシディ―・ガン」(ムンシディーはイスラム神秘主義においては、先生であるピールに導かれる、という意味がある)が歌われる。
マールポットの人々に面と向かって聞けば、「アッラーは女性でも男性でもない」というだろう。アッラーに性がないことは常識として共有されている。この点について、ネット・ミーティングを利用してAさんに尋ねてみた。「母は子供をアドール、もしくはスネッホ(愛情)でシャション(コントロール)するが、父はニティ(規範)で子どもたちをシャションするのではないのか」 と尋ねてみると、「大体そのとおりだ、アッラーはすべての人々をアドールとニティでシャションするのだ」という答えが返って きた。Aさんの意見を一般化できないが、恐らく、バングラデシュの人々はきっと母性と父性には明確な違いを認めているように私には思われる。

3.母と息子の特別な関係

バングラデシュでの母と息子の関係も大変興味深い。息子は成人しても母の前ではいつまでも「赤ちゃん」である。それを母も「よし」として受け入れている。一度だけだが、外に出て暮らしている息子が母のもとに帰ってきたとき、母が、手で息子にご飯をたべさせていた。息子もそれを喜んで受け入れていた。私は驚いて「普通のことか?」と聞くと、「良くあることだ」 という。このことをAさんに確認すると「同居していない息子が帰ってきたときは、母が手でご飯を息子の口に運ぶことはよくあることで、それは息子が既婚、未婚、年齢には関係がない。娘に対してはしない」、と教えてくれた。
Aさんの二人の息子のうち、結婚した子供(Aさんの孫)があり、「同居(といっても家族を実家に残してダッカで働き、週末のみダッカから戻る単身赴任)の長男に対してはしないが、ダッカに住む次男が帰省する時には、Aさんの妻も次男に食べさせることがある」と言っていた。ただし、電話での話であるが、バングラデシュ農業大学の准教授のLさんは「以前は男の子が小学校の低学年くらいの時期まではそうするようだったが、大人になったら行なわず、今ではあまり見かけることはできなくなった」と言っていた。きっと家族によって異なることなのだろう。
母との関係は、母の兄弟と甥、姪との関係にも影響している。母の兄弟をママとよび、父の兄弟をチャチャ、母の姉妹をカラ、父の姉妹をフフと、ドッキンチャムリア村では呼ぶ。ママからみると甥(バグナ)、姪(バグニ)の親戚関係である。甥や姪 は、チャチャではなく、圧倒的にママから様々な助言を受け、相談にのってもらう。同じ村に同居し、父との土地相続の件でも、対抗関係になりやすいチャチャに相談する、ということを私はあまり聞いたことがない。それほどママの影響力は甥や姪にとっては大きいことがバングラデシュでは知られている。母を中心とする母方関係は、息子や娘にとっては、母同様特別な関係を築いていることが多い。ただし、カラとフフはそれほどの違いはないことも知られている。

4.ベンガル文化の母性

私が長期滞在した時にバングラデシュで強く実感した母性に対するこうした人々の特別な感情はどこから来ているのだろうか。ベンガル文化、母性をキーワードにネット検索し、粟屋利江さんの論文(1995)を読むことができた。これは1995年時点のものであるから、その後の研究動向は不明であるが、「ベンガルの母性が植民地支配下のインドでの(ヒンドゥー)ナショナリズム形成の核となった」という研究が論文となって紹介されていた。
紹介論文の説明によれば、ベンガルの初期ナショナリストたちが、植民地支配へのイデオロギ-的対抗のために、ベンガル文化的に特権的な位置を占めていた母性概念をとりあげたという。 母性が「シャクティ」(女性に結びつけられるパワーであり、かつ女神をも意味する)信仰の偏在を確認し、植民地支配下で呻吟するベンガル/インドを遺棄された母親像と重ね、その解放をめざすナショナリスト、つまり息子たちに闘争へのパワーの源泉として「母性」が機能したというのである。そしてインドの地は「バーラト・マター」(母なるインド)として想念され、「バンデー・マータラム」(母なる大地を讃える!) ことが、(ヒンドゥー)ナショナリズムのスローガンとなったのだそうだ。
論文の紹介では、ヒンドゥー教徒に特有であるかのような印象を受けるが、私のバングラデシュでの経験からすると、それは宗教を問わず、植民地時代にもベンガル地方には、母性に対する特別な意識があったのだろうと思う。その文化的ルーツをどこに求めたらいいのだろうか。

Mother Goddess5.(地母神)信仰

バングラデシュの考古学の遺跡からは、人、動物、仏像、神像を立体的に描いた赤土の素焼きプレートであるテラコッタが多く出土している。バングラデシュの古代のテラコッタ図柄を検討してみると興味ある点に気が付く。Saifuddin Chowdhury は、① Mauriyan(317BC-2BC)、② Sunga(187BC‐75BC)、③ Kusana(78AD-320AD)、④ Guputa(320AD-570AD)、④ Pre-Para と Pala(750AD-1174AD)の時代区分を設けて、112 の図(109 のテラコッタの写真と3つの図柄の絵)を材料に、テラコッタの図柄を分析している(2000)。
Mahasthan 出土として掲載されている、Mauriyan と Kusana のテラコッタのプレート写真は16枚と少ないが、女性の図柄のテラコッタが多く、それらはYakshniもしくはMother Goddessと呼ばれている。Mother Goddessは、日本語では「地母神」もしくは「大地の母」と訳され、多産、肥沃、豊穣をもたらす神、大地の豊かさの体現とされる(Webilo 英和辞典より)。この考古学的資料が語るところは、バングラデシュの地にヒンドゥー教やイスラムが確立されるはるか以前に、地母神信仰がこの地で盛んであったことを示していることである。
谷口晋吉さんが『ベンガルにおける部族カーストをめぐって:一つの歴史的試論』という、大変興味深い論文を2013年に発表されている。この論文のまとめで、アーリア文化の影響がベンガル地方に及ぶ、はるか以前から村の守り神として「Gramdevota」(地母神)が祭られ、それが現在でもベンガルの村々で見いだされると、喚起されている。今では、バングラデシュのモスリムの村でこの地母神を祭ることは行っていない。しかし、タンガイルのモスリムの村では、昔は、大木には精霊がやどると信じられていたようであり、地母神をここでも信仰していたと推測されるのである。私は「マゴー」に地母神と母性への特別な感情のつながりをどうしても想像してしまう。それは「ショナール・バングラ(黄金のベンガル)」とタゴールが呼んだ、豊饒なベンガルデルタの大地には相応しいと思うのである。

 

参考文献

粟屋利江 1995「インド女性史研究の動向」『南アジア研究』第7号:132-159
谷口晋吉 2013「ベンガルにおける部族カーストをめぐって:一つの歴史的試論」『東京外国語大学論集』第86号:175-204.
Chowdhury,Saifuddin 2000,Early Terracotta Figures of Bangladesh, Bangla Academy:10-79,145-206.

 

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