2016年 |
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第23号(6月号) |
「『ハティア島へのコミュニティー・ラジオ局およびラジオの寄贈』 |
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「『コメと肥料と電力と』 |
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「『バングラデシュの名前を持つ 私』PART 2 |
第22号(5月号) |
「『新バングラデシュ大使館における最初の講演会』 |
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「『モスリンロードを知っていますか?』 |
第21号(4月号) |
「『イスラム教国教化見直しの却下、原理主義の見通しと危険情報の見直しについて』 |
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「『バングラデシュの名前を持つ 私』PART 1 |
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「『我が青春のバングラデシュ。』 |
第20号(3月号) |
「2月21日、国際母語デーの式典に参加して」 |
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「タゴールの日本文明論(世界平和と日本の使命)(下)」 |
第19号(2月号) |
「川崎市主催のバングラデシュ・ビジネスセミナーを聴いて」、 |
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「タゴールの日本文明論(世界平和と日本の使命)(上)」 |
第18号(1月号) |
「バングラデシュにおける『シャーバグ運動』について」、 |
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「第4回国際ベンガル学会を終えて」 |
2015年 |
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第17号(12月号) |
「国際エンゼル協会の30年余のvolunteer活動を支えるもの」、 |
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「バングラデシュのマイクロ医療保険」 |
第16号 (11月号) |
「法人殺人事件と危険情報レベルの引き上げについて」、 |
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「モメン大使夫妻への送別の辞」、「在日半世紀の体験」 |
第15号 (10月号) |
「バングラデシュ観光産業発展への期待」、 |
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「私のバングラデシュとの出会いとそこでの学び」 |
第14号 (9月号) |
「阿波踊りとバングラデシュ舞踊団とのコラボレーション」、 |
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「ムジブル・ラーマン回想録出版に寄せて」 |
第13号 (8月号) |
「バングラデシュの砒素問題に15年間取り組んだ日本人」、 |
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「バングラデシュ大使時代の思い出」 |
第12号 (7月号) |
「2年目を迎えた日本バングラデシュ協会の課題」、 |
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「独立直後のダッカ大学「スタッフクォーター」に暮らして」 |
第11号 (6月号) |
「復刻版『バングラデシュとの出会い』の出版と |
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東パキスタン時代の日本の援助」 |
第10号(5月号) |
「バングラデシュから見たインド・バングラデシュ関係」、 |
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「急がれる!バングラデシュでの生涯を通じた健康づくり」 |
第9号 (4月号) |
「『インドの仏展』とバングラデシュの仏像」、 |
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「YKKバングラデシュでの新会社設立」、「東京外語大学とベンガル語」 |
第8号 (3月号) |
「母語運動、独立戦争の殉難者は今日の発展をどう見ているか」、 |
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「バングラデシュに帰って」、 |
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「言語運動記念日に思うこと」 |
第7号 (2月号) |
「9年ぶりに見たバングラデシュ」、 |
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「『知られざる工業国バングラデシュ』の出版」、 |
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「第1回日バ次官級定期協議の開催」 |
第6号 (1月号) |
「日バ友好関係の新たな流れ」、 |
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「バングラデシュの八幡製鉄所「カフコ」と日本」 |