日本バングラデシュ協会に参加の皆様へ

日本バングラデシュ協会 メール・マガジン(第8号)

2015年3月10日
■目次
1)「母語運動・独立戦争の殉難者は今日の祖国の発展をどう見ているか」
   会長:堀口松城
2)「バングラデシュに帰って」理事 安達淳哉
3)「言語運動記念日に思うこと」理事 渡辺一弘
4)「バングラデシュの政治、経済関係の動きについて」 
5)事務連絡

1.「母語運動・独立戦争の殉難者は今日の祖国の発展をどう見ているか」
  会長:堀口松城

2月21日、「国際母語デー」(「エクシェ・フェブラリー」)の行事が在京バング
ラデシュ大使館で、モメン大使はじめバングラデシュ大使館員や日本側関係者の
出席の下に行われました。
バングラデシュ大使館側からの挨拶の後、日本側からは、東京外国語大学のベン
ガル語科学生によるベンガル語の歌の披露の後、同ベンガル語科長の丹羽京子理
事からベンガル語教育について、また、NHKベンガル語番組担当の渡辺一弘理
事から「言語運動記念日について思うこと」と題しそれぞれお話がありました。
このうち、丹羽理事のお話はやや長いので次号メルマガでご紹介しますが、渡辺
理事のお話は本メルマガをご覧ください。両理事のあと、私からは以下のメッセー
ジを伝えました。

私が拙著「バングラデシュの歴史」の執筆課程で、バングラデシュがまだパキ
スタンの一部であった時代を書いていたとき、西パキスタンにある中央政府によ
る東パキスタンに対する理不尽な支配や決定に対するバングラデシュの人々の味
わった挫折感、深い絶望を追体験する思いがしました。
とくに全パキスタンの55%の人口が話すベンガル語が公用語として認められな
い事態に、これを不満とする東パキスタンの人々の運動は、中央政府による、政
治的不平等、経済的不公平、文化的従属そして抑圧的支配に対する抵抗運動に変
わっていき、やがて独立を求める戦争となって、結局3百万人という大きな犠牲を
払ってバングラデシュはようやく独立を獲得することができました。     
第二次大戦後、それまで欧米の植民地であった多くの国々が独立を果たしまし
たが、独立達成のために数百万人もの犠牲をはらった国は余りなく、独立の価値
をバングラデシュ人以上に認識している国民は多くないはずです。
また、バングラデシュは広大で多様なインド亜大陸の中でも民族的同質性を有し、
唯一の言語を話し、9割の国民がイスラム教徒という稀にみる一体性を有し、し
かも、国民は勤勉で、企業家たちは企業家精神や国際性に富み、エリート層は高
い能力を持つという優れた長所を有しています。
私は前号のメルマガでご報告したように、1月末に実質的に9年ぶりにバングラ
デシュを訪問し、この間の目覚ましい発展に大いに驚きましたが、他方、同じころ
4週間に及ぶハルタルで5,60名の死者が出ていることに心を痛めました。そのと
きふと思いましたのは、言語運動や独立戦争で亡くなった3百万と言われる人々の
霊が今日の発展ぶりを見たら、どう思ったであろうかということでした。
中には、今日の発展は国民の勤勉の成果として、これを多とする霊も当然いるも
のと思いますが、別の霊たちは、独立のために払った大きな犠牲や、上記のよう
なバングラデシュ人の持つ長所に鑑みれば、もっと発展していてよかったはずで
あると思っているかもしれません。これらの霊たちは、もしこの国の二大政党が、
少なくとも1990年エルシャド政権を倒し、5年ごとに選挙で政権を選べる民主化
を達成してから今日に至るまでの間、ハルタルをしないでこられたら、多数の一
般国民の生命、財産が失われることも、日常の経済活動が妨害されることも、さ
らに学生たちが勉学を妨げられることもなく、バングラデシュは現在より遥かに発
展していたはずであると嘆いているかもしれません。この霊たちはさらに、バン
グラデシュの同胞に対し、国民的英知を動員して植民地時代の闘争方法であるハ
ルタルを一日も早く廃止し、全国民が力を合わせて安定し繁栄した国家建設に取
り組んでほしいと訴えているのではないかと思われます。
私もバングラデシュの友人の一人として、バングラデシュ国民が、より良い、
繁栄したバングラデシュが実現する日を信じながら言語運動や独立戦争に殉じた
同胞の霊に対し、もっと深い、心からの敬意を払うことができれば、現在の憂う
べき事態への解決策を必ずや見出し、一致団結して、確固とした前進に向け歩み
出すだろうと思うのです。

2.寄稿「バングラデシュに帰って」 理事 安達淳哉

私は2006年4月からから2008年3月に、青年海外協力隊としてチッタゴンで活
動していました。仕事の関係もあり、なかなか長期のお休みをとることが難しかっ
たのですが、昨年末6年半ぶりにバングラデシュへ行ってきました。
チッタゴンに2年住み、GECモール近くのオフィス(Bangladesh Computer
Council Chittagong Center)でコンピュータの指導を行っていたのですが、 当
時は高速なインターネット回線もなく、10数キロの回線を使ってメールの使い方
やWEBブラウジングをしていました。現地からの情報発信は大きな写真は載せら
れない分、毎日小さな写真とともに記事を更新するようにしていました。
この6年半の間に、バングラデシュの通信環境が飛躍的に早くなっており、
FacebookもSkypeも普通に使えるようになっているのは大きく変わった印象の一つ
でした。携帯電話の普及と携帯電話を使用したインターネット回線速度の向上は、
生活の快適さをすごく向上させていました。
また、驚いた乗り物は、電動モーター付きのリキシャ。人力で動く人力車が名前
の由来なのに、電動式で足で漕がなくても進む優れものが出ていました。以前は炎
天下の最中、人2人を乗せて坂道は押して歩く姿が、今はハンドルひとつで進むよう
になっていました。疲れずに人を多く乗せることができるようになれば、すこしは
所得向上になっているでしょうか。ただ、電動リキシャの多くがバッテリーを積む
ために、丸みを帯びていた座席部分が四角い箱状になり、せっかくのデザインが無
骨になっていたのが残念です。
リキシャの料金の値上がりも物価の上昇とともに驚きました。ダッカやチッタゴ
ンで乗ったリキシャでは自分のいたころの倍以上の金額を請求され、値段交渉をし
ても安くなりませんでした。値上がりの感覚がまだわかっていないときの値段交渉
では、だいぶ非常識な値段を吹っかけていたのかも、と後から思いました。チッタ
ゴンのスタジアムからGECサークルまで25タカもかかるなんて!以前は10タ カく
らいだったのに。
今回の旅の目的はチッタゴン・パハールトリー地区のマハムニ村にあるマハムニ
母子寮に行くことでした。当時、チッタゴン市内に住んでいたのでたびたび母子寮
に遊びに行くことがあったのですが、ずっと来ることができなかったので、久々の
訪問でした。当時母子寮の代表をしていた福井さんとも何度かお会いしていて、お
亡くなりになった後も何度か訪問していた場所です。ここ数年で三菱商事や日本人
会からの支援で、寮の整備や飲用のための井戸の整備を行っていただいたと聞いて
いたので、その様子も楽しみでした。
マハムニ母子寮は主に仏教徒の子供たち(一部ヒンドゥー教の子供もいます)を
預かっています。ブルワ族やチャクマ、マルマといった少数民族の子供たちが多
数います。イスラム教のバングラデシュには、イスラム教の宗教学校であるマドラ
サや、キリスト教の寄宿舎もあるのですが、仏教系の寮は多くはありません。子供
を学校に通わせることのできない家庭などから預かり、近くの学校に通わせ ていま
す。今在籍してる子供は119人です。うち少数ですが成績の良い子供を中学、高校
に通わせています。
母子寮を立ち上げた渡辺天城さんの頃には、子供に農業を教えて村での生活基盤
となるようにとしていましたが、福井芳宗さんの頃には勉強中心にシフトしてきて
今に至ります。以前よりも学校の卒業をしたかどうかの評価が大きく変わってきて、
義務教育の卒業だけでは、就職などなかなか難しくなっていると聞いています。
今回の訪問では、2泊3日の滞在のなか一緒に行ったメンバーと一緒に、プレゼン
ト大会を開いたり、子供と振付をしながらAKBの恋のフォーチュンクッキーを踊っ
てみました。ベンガル舞踊を踊れる子供もいるので、普段踊っていない大人よりも
すぐに踊れるようになりました。その時の様子はYoutubeで見ることができます。
 http://youtu.be/NGYC_8cHKEU
バングラデシュにはまだまだ学校に通えない子供がたくさんいます。日本からの
援助によるのではなく、人々が少しずつでも経済的に豊かになれば、家庭の事情で
学校に通えない子供は減るはずです。今のバングラデシュの経済成長が一部ではな
く、広くたくさんの人を幸せにしてほしいと願っています。

3.「言語運動記念日に思うこと」理事 渡辺一弘

私事になりますが、今年2015年は私にとって特別な年です。と言うのは今からちょ
うど40年前の1975年にベンガル語を学び始めたからです。その1975年はベンガル民
族の歴史上、重要な年となっています。同年の8月15日、ボンゴボンドゥ(ベン
ガルの
友)の呼び名で知られるシェーク・ムジブル・ロホマン元大統領が、一部の軍人
により
殺害されたからです。
 最近、そのボンゴボンドゥが書き綴った自叙伝を読む機会がありました。そ
の中 には
1952年の2月21日に関する記述もあります。当時ボンゴボンドゥはフォリドプルで収
監中だったため、その日の抗議行動に自ら参加することはできませんでしたが、
刑務所
の中にまで聞こえてくるデモ隊のスローガンなど周囲の緊迫した状況や、新聞報
道など
を通じて知った事件の様子を書き記しています。その描写を読み、言語運動当日
抗議行
動に参加した人たちの証言を通じてその様子を詳しく知りたいと考えていまし
た。今日
(2015年2月21日)在東京バングラデシュ大使館での言語運動記念日の催しで上
映され
たドキュメンタリー映画の中で、そうしたいくつかの証言を聞くことができまし
た。    
歴史を自分自身のものとして感じるためには、歴史を知ろうとする積極的な姿勢がな
くてはなりません。1952年の2月21日を目撃した人たちの話を記録に残しておく
ことは
重要です。その人たちの話を聞き、あの日の出来事を自分たち自身の経験として
持つ努
力がなされない限り、2月21日の思いや理想は、ありふれた年中行事の形式の中
に閉じ
込められてしまうことでしょう。ベンガル人の伝統と文化を守ろうとする意志
は、基と
なっている力を徐々に失っていくことになるでしょう。
時の流れとともに薄れていく記憶をとどめるのは困難なことです。ましてや、海外在
住の人にとって、自分たちの文化を守って行くことには常に難しさが伴います。
ですか
ら外国暮らしの中で2月21日の理想を次世代に伝えるために、日本など外国で生
活する
バングラデシュの人たちが、相当な強い意志を持って臨まなければなりません。
さらに
外国暮しのベンガル人たちは別の義務も背負い込むことになります。それは外国
人たち
がベンガルの文化と歴史をよりよく知り、理解できるようになるための活動を行
なうこ
とです。
在京バングラデシュ大使館では何年か前から、日本在住のバングラデシュ人子弟のた
めのベンガル語の授業が催されています。また、小さな子どもたちにバングラデ
シュの
伝統的な歌や踊りを指導している方たちもいると聞きます。これらの試みは言う
までも
なく素晴らしいものです。こうした努力の対象を日本人など外国人にも広げてい
ただけ
たらと希望します。日本に居ながらベンガル文化についての正しく知ることが可
能にな
ればと思います。そのために、例えば外国人のためのベンガル語講座や、外国人
による
ベンガ ル語のスピーチコンテストなどが行なわれるようになれば素晴らしいこ
とだと
考えます。
今後1年の間に、この東京にバングラデシュ大使館の新しい建物が建設されると聞き
ました。新しい大使館が日本との外交、政治、経済ばかりでなく、ベンガル文化
紹介の
ための窓口としての役割を果たすようになることを期待しています。
私どもNHKの国際放送局はベンガル語を含む18の言語で世界に向けて放送を行なって
います。日本から情報を発信し、日本についての正しい理解を視聴者に持っても
らうと
いうのが基本スタンスですが、日本の方たちの外国語学習ツールとしても役立っ
ている
ようです。例えば私どもも日本の方からお便りをいただくことが稀にあります。
今後そ
のような形で、日本とベンガルの相互理解に少しでも貢献できればと考えています。

4.バングラデシュの政治、経済関係の動き 
  ~東京外国語大学 「日本語で読む世界のメディア」から~
  http://www.el.tufs.ac.jp/tufsmedia/
 (このニュースは「プロトム・アロ紙」の許可を得て翻訳されています。)

①「抗議行動による死者100名を超える」(2015年2月24日付)
「オレたちは貧乏だ。日毎の稼ぎで何とか食べている。政治なんか関係ない。分かり
もしない。そんなオレたちがなぜ死ななきゃならない?こんな政治はやめてくれ」
サミウル・イスラムはそう言って嘆き、訴えた。サミウルの兄ソイヨド・アリは
2月6
日、ガイバンダのシュンドルゴンジョで、乗っていたバスが火炎瓶を投げつけら
れ炎上
し、火傷を負って亡くなった。日雇いの仕事をしていた。村で仕事がないときは
ダカま
で出てきていた。その日も仕事を求めてダカに向かっていた。だがその途中で命
が絶た
れた。
ソイヨド・アリばかりではない。2才の幼児から60才の老女、14才の少年から32
才の青年まで、誰も安全ではいられないのが現実だ。今日までの48日間で、
101人が
暴力行為の犠牲者となった。昨日(21日)ボリシャルのアゴイルジャラで起きた
銃撃戦
で2人が死亡したため、死者の数はついに100人を超えた。昨年1月5日の「一
方的な
選挙」で成立したアワミ連盟の退陣を要求して、最大野党BNPとイスラム原理主
義政党、
ジャマティ・イスラミは今年1月6日から 道路封鎖やホルタル(ゼネスト)を
実施して
いるが、暴力行為はその2日前から始まっており、昨日が48日目にあたってい
た。今回
の一連の抗議活動では、野党側の指導者が公衆の前に姿を現わすことがない一
方、一般
の人たちが攻撃対象になっている。

②「政情不安の中の衣料品産業」(2015年2月11日付)
(1月24日付)この10ヶ月間というもの、アメリカ市場へのバングラデシュのア
パレル
製品輸出は全く伸びを記録しないままだ。また今会計年度の前半期では衣料の輸
出は前
年度に比べて減少している。ニット製品だけは1.9%の成長を何とか保っている。
こうし
た状況に、またもや不安定化した政治状況が打撃を与えることになった。
  野党によるホルタル(ゼネスト)や道路封鎖が長引く中、国外のバイヤーは
あえて危
険を冒してまでバングラデシュに来ようとはしない。そのためバングラデシュの
アパレル
産業の経営者たちは自ら商談のために、タイやシンガポールといった国に出向い
ている。
しかしバングラデシュ国内の不安定要素のために、国外からのオーダーは少な
い。オーダ
ーがキャンセルされることも起こっている。アパレル産業の経営者の団体、バン
グラデシ
ュ縫製品製造業・輸出業協会(BGMEA)が傘下の5つの企業から受けた報告によれ
ば、注
文がキャンセルされたり、値引きに応じたり、商品輸送のための航空運賃を自己
負担した
りといったことに加えて、積み出しの遅れやホルタルなどに伴う妨害行動のため
にこれま
でに被った損害は610万ドル(約7億3200万円)に達するとされる。一方ニット産
業の団
体であるバングラデシュニット製品製造業・輸出業協会(BKMEA)によれば、あ
る企業が
受けていた380万ドル(4億5600万円)近いオーダーがキャンセルされた事例があ
るとい
う。

③「日本バングラデシュ商工会議所が3企業を表彰」(2015年02月13日付)
(2月3日付)日本バングラデシュ商工会議所 (JBCCI)は、ビジネス面で優れた
業績をあ
げ、経済への大きな貢献があったとして、3つの企業を表彰した。ローカルマー
ケット部
門では鉄鋼生産会社のBSRS、ビジネスにおける新しいコンセプト実現の部門では
モティン
シッピングミルス、そして製品輸出部門では、日本の投資により創設されたオプ
シード社
(Op-Seed Co.(BD)Ltd.)が受賞した。最近ダカのあるクラブで行なわれた授賞
式には、
佐渡島志郎在バングラデシュ日本大使、堀口松城日本バングラデシュ協会会長、
JBCCIか
らはタレク・ラフィ・ブイヤン会頭とシャムスル・アロム・ジャハンギル事務局
長が出席
した。

5.事務連絡
●初年度年会費未納者へのお願い
 一部の会員で未だ初年度の年会費を収めていただいていない方がいらっしゃいま
 すが、至急以下の口座にお振込みくださいますようお願いいたします。

ゆうちょ口座からの振込
 口座名称 一般社団法人 日本バングラデシュ協会
 シヤ) ニホンバングラデシュキョウカイ
 口座記号番号  00160-2-513606

銀行からゆうちょ銀行への振込
 店名(店番) 019 当座預金
 口座番号 0513606

会費について:一般法人(営利)会員 5万円、非営利法人 3万円
個人会員 5千円、学生会員  3千円

振込の確認後、領収書を発送させていただきます。

また、会員のご紹介での入会案内には、こちらの入会フォームをご利用下さい。

●日本バングラデシュ協会 法人申込フォーム
 http://www.japan-bangladesh.org/?page_id=79
●日本バングラデシュ協会 個人申込フォーム
 http://www.japan-bangladesh.org/?page_id=85
●日本バングラデシュ協会 学生申込フォーム
 http://www.japan-bangladesh.org/?page_id=89

◆その他
本協会の活動などについてご意見等ありましたら、お知らせください。
また、メール・マガジンに載せたいご意見、情報、その他昔のバングラデシュ
勤務時の思い出などお寄せ下さい。
宛先:info@japan-bangladesh.org
(約1500字。体裁上若干の修正あり得ることご了承下さい。)

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