日本バングラデシュ協会に参加の皆様へ

日本バングラデシュ協会 メール・マガジン(第13号)  2015年8月12日

■目次
1)『日バ協会メルマガ13号会長メッセージ
   ―バングラデシュの砒素問題に15年取り組んだ日本人―』会長:堀口松城
2)『在バングラデシュ大使時代の教育・文化を通じた思い出』理事:井上正幸
3)『日本バングラデシュ協会の事業に関する会員へのアンケート結果』
4)『バングラデシュの政治、経済関係の動きについて』
5)『事務連絡』

■1)日バ協会メルマガ13号会長メッセージ
   ―バングラデシュの砒素問題に15年取り組んだ日本人― 会長:堀口松城

1.この度、15年間にわたりバングラデシュにおける砒素問題と取り組んでこら
れた川原一之さんのライフヒストリー『いのちの水をバングラデシュに―砒素が
くれた贈りもの』を読み、その感想を川原さんにお伝えしたところ、それに対す
るお返事を頂きました。その往復のメールを川原さんのご了解を得てご紹介します。

「川原様 
先日は貴著『いのちの水をバングラデシュに』をお贈りいただき有難うございま
した。川原様の人生の15年をかけたお仕事の貴重な記録を読ませていただき、こ
のような人生もあるのだと深い感慨に襲われました。
殆ど知られていなかったバングラデシュにおける砒素をめぐる諸問題の一つ一つ
を、自らの足を使って一から解明され、その間、問題の複雑性から他のドナーや
国際機関が砒素問題から去ってしまった後も、代替水源技術に挑戦され、「地下
の不思議」の解明や、住民の啓発のための技術を考えつかれるなど、その疲れを
知らないご努力に文字通り頭の下がる思いです。
貴著の中で私にとって一番印象的であったのは、第5章の「持続的制度への挑
戦」でした。川原さんはやがて「バングラデシュのプロジェクトに住み着いた魔
物、即ち、国際的な援助に慣れたバングラデシュ社会にいつの間にか忍び込む魔
物の正体を見つけ」られます。そして、単にその正体を見つけられただけでな
く、その対策として、バングラデシュ側に動機づけを仕込む必要性を発見され、
「ほとんど精根尽き果てながら」も、「ユニオン議会との連携、水供給職人の雇
用」という解決策を、JICAの草の根事業につなげられましたが、その執念には感
動さえ覚えました。
川原さんご自身の15年の苦闘の記録である本書の中で、川原さんと一緒にバング
ラデシュの砒素問題の解決に、青春の貴重な歳月を費やした仲間の皆さん一人一
人の砒素問題との係わり、その意義などについて紹介されていることは、貴著の
価値をさらに高めていると思います。
 いずれにせよ貴著を通じて大変勉強させていただきました。有難うございまし
た。末筆ながら、お身体に留意の上、ますますのご活躍をお祈りいたします。堀
口 」

「堀口様 
心のこもった読後感想を有難うございました。拙著『いのちの水をバングラデ
シュに』をていねいにそして正確に読んでいただいたことに感激いたしました。
バングラデシュのプロジェクトに住みついた魔物には、さんざん手こずらされる
とともに、いったん慿りつかれると足が抜けなくなってしまうものです。この5
月末に終了するプロジェクトの中で、安全な水の供給をバングラデシュ農村社会
に定着させるために「飲料水サービス」という形の動機づけを仕込んでみました
が、それをジョソール県の外に普及させるために、また次のプロジェクト案を考
えているところです。まだまだ懲りずにやるのかと、自分に呆れながら、ヒ素と
の付き合いは続いていきそうです。
いただいた感想を読みながら、2006年の正月明けにダッカの大使公邸で開かれた
新年の祝賀会で、岩波ジュニア新書の拙著『アジアに共に歩む人がいる』を紹介
していただいて、たいへん励まされたことを思い出しました。今回も苦労して書
いてよかったと大きな勇気をもらったところです。
今年のバングラデシュは雨季が早いのか、4月の後半から毎晩のように嵐が吹き
荒れています。気象の歯車の狂いを感ずることの多い昨今ですが、どうぞお体を
大切に後進の育成にご尽力ください。
川原 ジョソールにて 」

2.川原さんの著書の中に出てくる「バングラデシュのプロジェクトに住みつい
た魔物の正体」とは、バングラデシュ側の「プロジェクトを担当する業者もプロ
ジェクトのスタッフも政府関係者も、日本側は今は強いことを言っているが、最
後は延長するさ、と甘く見ている」ために、プロジェクトの期限を守ろうとしな
いのではないかという疑いであり、それは、「プロジェクトが延長すれば、業者
は楽ができ、スタッフは給料をもらう期間が延びるからだ」、とする事情を指し
ています。
 このような状況は、バングラデシュに限らず多くの開発途上国に見られるもの
ですが、プロジェクトが一定の効果を収めていても、援助する側が援助をやめる
と、プロジェクトがその時点で終了してしまう事例も少なくありません。
援助側が成功の裡にプロジェクトを終了できる「出口戦略」とは、被援助側がそ
のプロジェクトを自らの手で継続しうる自立の道を、援助側が一緒に考え出すこ
とにかかっているわけですが、その成否は「ほとんど精根尽き果てながら」も何
とかして問題の解決策を探そうとする執念にかかっていることを、川原さんは教
えてくれています。川原さん、お疲れ様でした。

■2)『在バングラデシュ大使時代の教育・文化を通じた思い出』  理事:井
上正幸

在バングラデシュ大使時代(平成18年4月~平成21年7月)は思い出が沢山
あり、そのいくつかについて触れてみたい。
まず大使に任命される前のことについて、後述の事とも関係があるので若干述べる。
私は海外子女として、昭和34年~37年まで中東イランの現地小学校・中学校
に通っていた。ペルシャ語で「シャーナーメ(王書、ペルシャ10世紀の古典文
学)」などを学んだことを思い出す。大学は東京外大に進み、インド・パキスタ
ン語学科を卒業した。
外務省に、一年ほどペルシャ語の専門家としてお世話になり、試験を受け直し
て、昭和49年、行政官として文部省に入省(後に文部科学省)。文部科学省で
は、特にイラン、インド、パキスタンに直接的にかかわる仕事は無く、ユネスコ
や留学生などの国際関係、学術関係、そして科学技術の国際協力などに従事し
た。そんな折、在バングラデシュ大使に任命された。
大使の仕事は大変幅広いものだが、そういう経歴でもあったので、文教関係にも
大きな関心を有しており、今回はこのことについて焦点を当てて思い出を述べたい。

1、国立博物館視察

着任して数日を待たずに市内視察をしたが、特に国立博物館を視察日程に入れて
もらった。
任地国の人々の心や価値観を知るためには、様々な手段があるが、博物館で何が
展示されているかを見ることは、一つの体系的、かつ、効率的な方法ではない
か、と思ったからである。
ダッカの国立博物館は美術、自然、歴史等、全てが展示されている。先史時代か
ら始まり、
ヒンドウー、仏教、ムガール朝イスラム、英国統治時代、印パ分離、そしてバン
グラデシュとしての独立である。
その中で、特に私の目を引いたのが、一:ムガール朝時代に展示されていた上記
「シャーナーメ」やオマルハイヤームの書、 二:繊細なダッカムスリン そし
て、三:1943年のベンガル飢饉を描いたアベデイン画伯の絵画の三つであった。

一番目については、ムガール朝の宮廷用語はペルシャ語であり、ペルシャ語はこ
こまで東漸していたのか、というある種の感慨があった。その後、バングラデ
シュ人と話した折に、私と同世代の人では、祖父の世代までは英語とペルシャ語
の両方を使うことが出来たということや、ベンガル語の中には、約1万語のペル
シャ語彙が入っているということを教わった。
ただ、若い人は、これをペルシャ語彙とは捉えておらず、ウルドウ語彙として捉
えている。
印パ分離後の東西パキスタン時代の残滓かもしれない。例をあげると、バングラ
デシュの里程標のゼロ地点はグリスタンである。ダッカの学生に聞いても、これ
が『バラ園』を意味していることはほとんど知らない。『グリ』はペルシャ語で
は『薔薇』の意であり、13世紀ペルシャ詩人サーデイーの傑作詩集名である。
もしかしたら、私の解釈は間違っていて、グリスタンは都市化の進む前、実際薔
薇園があったかもしれない。ダッカ市史に詳しい人に確かめてみたいものだ。
二番目のダッカムスリンについては、多くを語る必要は無いだろう。マンチェス
ターの綿産品がベンガル地方に入ってくる以前にも、絹地のような繊細な布地が
あったのだ。まさにこのような繊細なものを生産できるベンガル人だからこそ、
今に見る縫製業の隆盛の原点があるのではなかろうか。
三番目の飢饉の絵画は、観る人を慄然とさせるものである。300万人が餓死し
たと言われている1943年のベンガル飢饉は、人類史上最悪なものと言われて
いるが、何故「豊穣のベンガル」と言われている当地で、このような大飢饉が
あったのだろう。英独の戦場になっている中東への食糧供給、東から迫ってくる
日本軍への対応、食糧供給における英国植民地政府の不手際など・・・様々な指
摘がされているが、これを論じることは本稿の目的ではないので、ここまでとする。
ただ、この作品を通じ、バングラデシュ画家の秀逸性を強く認識した次第であ
る。アベデイン氏については次の留学生のところで更に語ろう。

2、日本からの帰国留学生

現在その人数は、残念ながら減少してしまったが、9年前バングラデシュから日
本への留学生は約1500人いた。当時インドから日本への留学生数が、500
人位であっただろうから、人口サイズから言うと、かなりの留学生がいたことに
なる。工学、医学、農学,歯学等、幅広い分野で優秀な留学生が日本の大学で学
んでいた。帰国留学生の会で、着任歓迎会を催して頂いたが、後に日本政府から
叙勲の栄に浴されたホセイン先生には、中でも大変お世話になった。
先生は1960年頃の東大造船工学のご卒業である。後にダッカ工科大学の造船
学科を立
ち上げられ、そのお弟子さんはメグナ河に造船工場を建設し、完成した船を輸出
するまでになっていた。日本の学問と技術が移転した好例である。先生の日本語
も素晴らしい。
この他、心臓外科(元大阪大学、東京大学留学生)、北海道大学歯学部留学生が
立ち上げたダッカ札幌デンタルホスピタル、ダッカヤマガタ(山形大学)ホスピ
タル等、医歯学の分野でも帰国留学生は大活躍している。
絵画の面でも重要な系譜がある。東パキスタン時代、文部省(当時)の国費留学
生枠が在ダッカ日本総領事に接到した。総領事の方は、上記アベデイン氏に相談
し、その結果、後にバングラデシュ画壇の最高峰となられた、若きモハマッド・
キブリヤ氏が選ばれ、東京芸術大学に留学された。その後、連綿としてバングラ
デシュ画壇の俊才が日本に留学したのである。
私が在勤当時、キブリア画伯の業績を顕彰する会が、チーフアドバイザー(選挙
管理内閣首相に相当)及び、文化アドバイザー(文化大臣に相当)臨席のもと、
内外の顕官、芸術界、経済界等の重鎮が集まり開催された。キブリア氏より、
「自分の画風は日本への留学によって大きく変貌を遂げ、日本と指導教授に感謝
している」との発言があった。
会が終わった後、とある国の大使が「日本はインフラ等の経済協力はナンバーワ
ンの国だが芸術の分野でも大きく貢献しているのですね」と私に語り、何となく
鼻が高くなったものである。

3、大統領と大学学位授与式

着任当初、ダッカ大学長には表敬訪問したが、一年後私が上記経歴を有している
ということがバングラデシュ大学関係者にも徐々に知れ渡り、有力私立大学も含
め卒業式式典への出席を要請され、場合によっては、卒業生に送る言葉を求めら
れるようになった。
バングラデシュは、もともと国立大学だけであったが、1990年代より私立大
学の設置が認められ、私が在勤していた頃は、私大が90大学位あったのではな
いかと記憶している。
国立は授業料無料であったが、私立大学は有料で結構な額であった。
親の中には、ダッカ大学に進むと政治紛争に巻き込まれ、卒業が数年遅れるの
で、むしろ授業料を支払ってでも、私立大学に行かせ、伸びゆくビジネス界での
早期就労を望む者、また手づるをたどって外国に留学させたい、と思っていた人
も見受けられた。
ダッカ大学は、ほぼすべての学部、学科を有していたが、私立の場合は情報、ビ
ジネスマネジメント、語学、薬学の学生が多かった。情報系の学生が多かったこ
とについては別の話題で後述する。
英国の大学では“名誉学長は女王陛下で、実際の学長は副学長”と言われている
が、英国系のシステムを採用しているバングラデシュにあっても、名誉学長は大
統領である。
ここで興味深かったことは、大学の学位授与式には、ご都合がつく限り、大統領
自らが、時には大統領夫人と共に式にご臨席されていたことである。
式典は通常バングラデシュ・中国友好会館で開催されていたが、その壇上奥で
は、式の終了後、お茶・お菓子が出席要人に出されたので、その折、大統領ご夫
妻と非公式にお話をする機会に恵まれた。私が在勤した折、当初7か月はBNP
内閣、終わりの6ヶ月はアワミリーグ内閣だったが、その途中の2年間は、選挙
管理内閣で、選挙管理内閣の大統領は、選挙上の中立性確保という観点からも、
もともとダッカ大学の教授であり学者であられた方だったので、特に話が弾んだ
ことを思い出す。令夫人も古代仏教学の研究者であられたと記憶している。

4、選挙人名簿作成作業と情報系大学生の役割

着任した2006年末は、BNP政権の5年任期が終了し、国内総選挙が予定さ
れていたが、そこで大きな課題となっていたのが、選挙人名簿の作成であった。
と言うのも、バングラデシュは300の小選挙区制で、BNPとアワミリーグの
2大政党は各選挙区でみると僅差であって、仮に選挙手続きに不正があると、選
挙そのものの正当性が問われ、国が混乱するということであった。
選挙の正当性が問われることは、読者もさまざまな国のケースをみるにつけ肯か
れるので
はないかと思われる。
日本での選挙に慣れている自分にとって、着任当初、国連駐在官が二重底になっ
ていない透明の投票箱をどう確保するのか、選挙人の二重登録をどう回避するの
か、などと言うことを真剣に議論しているのを見て、いったい何を議論している
のかわからないところがあった。
結局選挙管理内閣の行った大きな仕事は、パソコンを使った丁度日本の運転免許
証サイズ
の写真入り選挙人カードを、2年かけて作成したことだった。
約8千万人分(と記憶している)の選挙人カードが出来たのは、投票予定日の2
か月ぐらい前であった。
さて、前書きが長くなったが、どうしてこのような大作業ができたのであろうか。
一つの大きな理由は、上記のような細かい作業に情報系大学生がボランティア的
協力をし
たことである。国内行政の基本中の基本は、統計作業である。日本では、国勢調
査や指定統計などが、明治以来整備されていて、例えば児童生徒数や教員数は、
教育予算算定上の基本データである。
選挙人名簿が出来た時、バングラデシュもいよいよ現代的な行政制度に移行して
いく大き
な足がかりが出来、そしてそのために数多くの学生がかかわったことを喜んだ次
第である。

まだ語りたいことはあるが、別の機会に譲るとして、今回は、最後に日本人学校
生徒の涙を誘う貢献についても記しておきたい。

5、サイクロンシドルと日本人学校生徒の貢献

勤務2年目の2007年11月、サイクロンシドルがバングラデシュを襲い、死
者5千人と言われる大きな被害を与えた。ベンガル湾に源を発する低気圧は、し
ばしばバングラデシュの地に大洪水をもたらすが、サイクロンの被害は桁外れに
大きい。1970年のサイクロンでは、30万人が犠牲になるなど、その被害例
は多い。
サイクロン直後、軍が提供した単発大型ヘリコプターで被災地に赴いたが、何千
人という人たちが、着陸寸前のヘリコプターの下に集まり、救援物資に手を差し
伸べていた。また、風速60メートルにより、海辺にある古めのサイクロンシェ
ルターは倒壊していて、その威力に驚いたものである。
それにしても、何故被害者が多いと言っても、数千人で済んだのだろうか?
また、それでも何故数千人も出てしまったのだろうか?
関係者からの話を、私なりに纏めると、前者の答はサイクロン予知の気象レー
ダーの設置と強固なシェルター整備であろう。そしてその両者に、日本は大きな
役割を果たしてきた。
無償資金協力で、日本は気象レーダーを設置した。実際の仕事は財団法人日本気
象協会が行い、私自身も開設記念式典に出席したが、例えば、ケッパラのレー
ダーは、いくつかの大河と森の中を行かないとたどり着けないような場所に設置
されており、仕事とはいえ、数年もかけて建設整備に尽力した日本人関係者に
は、頭が下がる思いであった。
後者の答は多様であり、意外なものも含んでいた。一つ目は、予知を知り避難を
試みたが、
家に置いてある耐久消費財や家畜の行方が気になり、戻ったところで被害にあっ
てしまっ
たというもの、二つ目は、サイクロンシェルターまでたどり着いたが、避難して
いる人のあまりの多さで、特に女性が戻ってしまったということ、三つ目は、か
つての藁草の屋根がトタンになり、風に舞うトタンでの怪我をもとに命を落した
方・・・など多様であり、バングラデシュ社会の近年の多様性を反映したもので
もあった。
災害後の内閣の対応も、興味深いものがあった。上記チーフアドバイザー官邸
に、多くのビジネス界、地方政治家等々の人たちが小切手を持参し、新聞やテレ
ビで名前と額が公表されていたのだ。
日本政府もいち早く巨額の無償援助や超低利の借款を申し出て、バングラデシュ
関係者に
喜ばれたが、その中に額としては必ずしも大きいものでは無かったが、日本人学
校生徒の寄付が入っていた。
ダッカ日本人学校の生徒数は、大きなインフラ整備支援が動いていた時には、最
大時40名ぐらいであったが、私の在任時、20名前後であったかと思う。子供
たちは先生方の指導の下、バングラデシュの自然や社会、歴史について、読み応
えのあるレポートを作成していた。
心に残っているものでは、身近な環境をきれいにしようという活動をしていた生
徒達がお
り、集めたごみを売り、その対価を貧しい人への支援などの為に貯金をしていた。
サイクロンシドルの被害額が大きくなった時に、先生や日本人会会長・PTA会
長さんと相談し、チーフアドバイザーにその貯金を手渡すことになった。
校長先生、学校関係者と子供たちが官邸に行き、子供たちがそのお金の本来の趣
旨と目的を変更して、被災者に届けてほしいと述べた時、チーフアドバイザーが
ふと目に涙を浮かべたのを私は見逃さなかった。
日本政府からの巨額な支援ももちろん大事なことだが、日本人の子供たちの気持
ちが、バングラデシュ人と共にあるということを、チーフアドバイザーに汲み
取って頂けたのだろうと思った次第である。
子供たちが、きっと未来でも両国をつないでくれると信じ、私の思い出話を終わ
りたいと思う。

■3)『日本バングラデシュ協会の事業に関する会員へのアンケート結果』

 去る6月27日に開催された第2回社員総会の際に、出席された会員に対し、日バ
協会がこれまで行った講演会事業、メール・マガジン及び交流会ないし懇親会に
ついてのご意見をアンケートの形でお聞きしました。
 回答者は総会出席者の約半数弱の23名とやや少なかったものの、講演会の講師
についての意見、メール・マガジンについての要望や評価、さらに会員間の交流
会についての様々な希望が寄せられました。
 日本バングラデシュ協会といたしましては、今後の事業の運営に当たりまして
これらのご意見を十分考慮していきたいと思っています。

 添付のPDFをご覧ください。

■4)『バングラデシュの政治、経済関係の動きについて』

〇城内外務副大臣とアリ・バングラデシュ外務大臣との会談
〇アジア開発銀行 鉄道網を改善 バングラデシュに5億500万ドル融資
〇沼田ロータリークラブ 地下水ヒ素汚染のバングラデシュ
 遠隔医療システム設置
〇バングラデシュ中銀総裁「インフラ整備へファンド」
〇バングラデシュでKUMON式導入、「子どもたちが主体的に考えるようになった」

◆城内外務副大臣とアリ・バングラデシュ外務大臣との会談
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sw/bd/page3_001315.html
 (外務省 2015年8月5日)

ASEAN関連外相会談等出席のためクアラルンプールに滞在中の城内実外務副大臣は
,8月5日15時15分(現地時間)から約15分間,アブル・ハッサン・マームード・
アリ・バングラデシュ外務大臣(H.E. Mr. Abul Hassan Mahmood ALI, Foreign
Minister of the People’s Republic of Bangladesh)と会談を行ったところ,概
要は以下のとおりです。

1 冒頭,城内副大臣から,「昨年の両国首脳の相互訪問によって日・バングラデ
シュ二国間関係は一層強化された。両首脳が立ち上げた『包括的パートナーシッ
プ』の下,両国間の協力を一層推進したい」と述べるとともに,国連安保理に関
し,バングラデシュが非常任理事国選挙の立候補を取り下げ日本を支持してくれ
たこと及び日本の常任理事国入りへの支持に謝意を述べました。これに対し,ア
リ外相から,日本はバングラデシュ独立時からの親密な友人であり当然である,
また,長年にわたりバングラデシュの復興・開発を支援してくれたことに改めて
感謝する旨述べました。

2 二国間関係につき,以下のやりとりがありました。
(1)城内副大臣から,本年2月の外務次官級協議,3月の原子力の平和利用に関す
る専門家会合の開催,4月の我が国ニット製衣類の原産地規則の緩和など,「包括
的パートナーシップ」が着実にフォローアップされていることに歓迎を表明しま
した。

(2)また,城内副大臣から,昨年両国首脳が合意したベンガル湾産業成長地帯(
BIG-B)構想推進のため,「安倍総理が約束した2014年から概ね4年から5年を目途
に最大6000億円のバングラデシュへの支援を通じて,バングラデシュのインフラ
整備等の開発協力に貢献していきたい」との日本の意思を改めて伝達しました。
さらに,バングラデシュ進出の日本企業数の増加を背景に,ビジネス環境の改善
・向上を要請しました。

(3)これに対し,アリ外相から,ハイレベルの交流を含め,両国関係の更なる強
化のため協力していきたい,国連総会の際にもまた意見交換したい旨発言があり
ました。

◆アジア開発銀行 鉄道網を改善 バングラデシュに5億500万ドル融資
 (鉄鋼新聞 2015年7月13日)

【ダッカ・ロイターESH時事】アジア開発銀行(ADB)とバングラデシュ政府は、同
国の鉄道網を改善する目的での5億500万ドルの融資合意に署名した。
バングラデシュの財務省経済関係局(ERD)高官とADBのバングラデシュ駐在員事務
所の樋口和彦カントリー・ディレクターがダッカで合意に署名した。
樋口氏は「このプロジェクトはバングラデシュの鉄道輸送システムの改善に貢献
するものであり、地域取引のためにダッカーチッタゴン線など戦略的回廊の運輸
コストを低下させ、物流を改善することを目指している」と説明した。
南アジア地域経済協力(SASEC)鉄道接続性プロジェクトは、ダッカーチッタゴン線
のうちアカウラーバングラデシュ間(72キロ)に複線化や信号設備の刷新などの改
良を加える。プロジェクトの総費用は8億500万ドルで、2022年までに完成する見
通し。

◆沼田ロータリークラブ 地下水ヒ素汚染のバングラデシュ
 遠隔医療システム設置
 (上毛新聞 2015年7月9日)

地下水のヒ素汚染が深刻なバングラデシュで中毒患者の治療に役立てようと、沼
田ロータリークラブ(春日政志会長)は、現地のクラブと協刀し遠隔医療システム
を設けた。専門知識を持つ医師がパソコンを通じて地方の患者を診ることで、症
状の早期発見・治療につなげる。

遠隔医療は通信技術を活用し、医師不足を補完するシステム。地域の医師が判断
できない病例を遠隔地の専門医と画像やデータを共有しながら診断する。
同クラブの山田龍之介前会長や関真一前国際奉仕委員長が中心になり、首都ダッ
カから100キ。南のチャンドプールのロ!タリークラブと事業を計画し
た。ことし2月、現地を訪れ、専門医のいる医院に拠点を設けた。
40キ。東の農村の診療所に端末を設置し、医療スタッフが対応する。
事業費約700万円。
利根沼田地域では、25施設が遠隔医療を導入している。日本遠隔医療学会理事を
務める郡隆之・利根沼田中央病院外科部長が、システム導入や現地スタッフの研
修で協力した。
今後は安価なタブレット端末を活用し、遠隔医療を拡大する方針。
8日に沼田市役所で会見した山田前会長は「沼田発の事業が現地の医療向上に役立

ば」と話した。郡部長は「日本の病院とも接続し、こちらから診察できるように
したい」
と展望を述べた。
同国はヒ素による井戸水の汚染で、慢性中毒の影響による心臓病や皮膚がん、肺
がんなどの死亡率が高い。医師不足と相まって平均寿命は58歳と短く、死因の7割
はヒ素に関連しているという。

◆バングラデシュ中銀総裁「インフラ整備へファンド」
 http://www.nikkei.com/article/DGXLZO90097260T00C15A8FFB000/
 (日本経済新聞 2015年8月4日)

 【ダッカ=黒沼勇史】バングラデシュ銀行(中央銀行)のアティウル・ラーマ
ン総裁は日本経済新聞の取材に対し、インフラ整備を目的とした政府系ファンド
(SWF)を近く設立することを明らかにした。海外出稼ぎ労働者からの送金で
過去最高水準に積み上がった外貨準備高のうち10億ドル(約1240億円)以上を充
てる。インフラ不足などを克服すれば「2ケタ成長も可能」とし、外貨準備の積
極活用に踏み切る。

 バングラがSWFを持つのは初めて。中銀は既に準備委員会を立ち上げた。フ
ァンドの規模などについて「当初は10億~20億ドル程度で、早ければ数カ月以内
に設立する」と明言した。

 バングラは中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に当初から参
加表明するなど、脆弱性が指摘されている道路や港湾の整備を重点課題としてい
る。

 原資となる外貨準備高は2014年度(14年7月~15年6月)末に250億ドルと過去
最高を記録した。貿易収支は慢性的な赤字だが、出稼ぎ労働者の送金額が150億ド
ルと同じく過去最高を記録。直接投資受け入れ額も高水準で推移している。

 SWFのほか、繊維・衣料など輸出企業の借り換え需要に応えるため、外貨準
備から2億ドルを充てる融資枠を新設する。インフラ向け長期資金の低利融資枠
も16年1月以降は現在の3億5千万ドルから5億ドルに拡大する。

 中東や東南アジアからの出稼ぎ労働者の送金が伸びており「外貨準備高は今後
も3カ月で10億ドル増える」と見込む。外貨準備高250億ドルは輸入の7カ月分に
相当する。

 経済成長率は14年度に6.5%と3年ぶりの高水準だった。ラーマン氏は「輸出需
要の逸失につながった1~3月の(野党の)大規模ストがなければ7%に届いた。
15年度は過去最高の7%超になる」と自信を示した。

 同国の潜在成長率は10%以上だと指摘する一方で、政治的安定、エネルギー確
保、輸出先の多様化、インフラ整備の4つが条件だと言明した。バングラのイン
フラ整備には年100億ドル前後が必要とする試算もある。

 同国については世界銀行が7月、1人当たり国民総所得(GNI)が1046ドル
以上の「低位中所得国」と認定、低所得国から卒業した。

◆バングラデシュでKUMON式導入、「子どもたちが主体的に考えるようになった」
 http://www.ganas.or.jp/0804kumon/
 (Ganas 2015年8月4日)

公文教育研究会の井上勝之経営統括本部長は、東京・市ヶ谷で7月27日に開かれた
「EFA グローバルモニタリングレポートシンポジウム2015-世界のすべての人が
質の高い教育を受けられるように、日本はどうかかわるべきか?-」(主催:国
際協力機構=JICA、教育協力NGOネットワーク、ユネスコ・アジア文化センター)
で、バングラデシュでKUMON式学習を導入した例を紹介。「学力だけでなく、学習
姿勢にも変化が見られた」と話した。

KUMON式学習の最大の特徴は、教科別の練習問題が載ったプリントと呼ばれる教材
を使用すること。子どもの学年に関係なく、それぞれの実力に合ったレベルと量
(1枚につき10~20問程度)のプリントを与えることによって、子ども一人ひとり
の理解度に応じた学習を進める。

公文教育研究会は14年9月から11月まで、バングラデシュで活動するNGOのBRAC(
Bangladesh Rural Advancement Committee)が運営する小学校のうち3校で、KUM
ON式学習を1日30分導入する実験をした。「『学力が向上しただけでなく、学習姿
勢にも変化が見られた。自分で主体的に考えるようになった』とBRACから評価を
受けた」と井上本部長は語る。対象となった子どもは約100人の小学4年生で、教
科は算数のみだ。

この実験は、途上国の貧困層に有益な商品やサービスを提供する「BOP(Base of
the Pyramid)ビジネス」の事業化可能性調査(FS)の第一段階。公文教育研究
会はJICAからFS費用として5000万円の助成を受けており、FSの第二段階として8月
から16年3月まで同様の実験を実施する。対象は、BRACの小学校のうち17校の小学
2年生と4年生約500人超だ。

井上本部長によると、FS終了後は、BRACにライセンスを提供し、中高所得層の子
ども向けにフランチャイズ教室事業を展開することを検討している。その収益の
一部をBRACに還元する。「(教育協力として)さらに第3者からの資金を導入する
には、子どもの成長度合いを可視化する必要がある」と井上本部長は語る。

公文教育研究会は現在、48カ国・地域で教室を展開し、約430万人にKUMON式学習
を提供している。井上本部長によると、KUMONが世界で広まったのは、お母さん同
士の「KUMONのおかげで子どもが変わった」という口コミのためだという。

■5)『事務連絡』

本協会の活動などについてご意見等ありましたら、お知らせください。
また、メール・マガジンに載せたいご意見、情報、その他昔のバングラデシュ
勤務時の思い出などお寄せ下さい。
宛先:info@japan-bangladesh.org
(約1500字。体裁上若干の修正あり得ることご了承下さい。)

===============
一般社団法人 日本バングラデシュ協会
http://www.japan-bangladesh.org/