日本バングラデシュ協会の皆様へ

■目次
1)『日本バングラデシュ協会メルマガ50号会長メッセージ
  ―「徳島・日本バングラデシュ友好協会」の発足―』      会長:堀口松城
2)『現地だより:バングラデシュのシンガポール』             
                前アジア太平洋住友商事ダッカ事務所長 山田尚登
3)『バングラデシュと私(第三部)』
          大阪外国語大学名誉教授 溝上富夫
4)『私とバングラデシュの関わり』           
       東京大大学学院博士課程在籍/日本学術振興会特別研究員 小野道子
5)『バングラデシュと向き合った日々を振り返って』
    ジェトロ・ベンガルール事務所長(前日本バングラデシュ協会理事)鈴木隆史
6)『イベント・講演会のご案内』
7)『事務連絡』

■1)『日本バングラデシュ協会メルマガ50号会長メッセージ
  ―「徳島・日本バングラデシュ友好協会」の発足―』      会長:堀口松城

1.さる8月27日、「徳島・日本バングラデシュ友好協会」の設立祝賀会が、鳴門市の
うずしお会館で開催されました。同友好協会は、本年4月9日に日バ協会の平石理事など
有志5名が発起人として設立し、会長には鳴門商工会議所の中岸(ちゅうがん)会頭が
就任されています。その際に採択された規約では、会の目的として、徳島県民とバング
ラデシュ国民との交流を促進し、相互理解を深め親善を図るとともに、地域社会の繁栄
と発展につなげることが目標とされました。
 この徳島とバングラデシュの関係のきっかけは、2015年に平石理事など有志が中心と
なって、16名のバングラデシュ舞踊団を阿波踊りに招待したことでしたが、この時の阿
波踊りと同舞踊団との見事なコラボレーションについては、メルマガ14号にてお伝えし
たとおりです。
 その後、2016年、バングラデシュのナラヤンゴンジ市のアイビー市長が訪日した際、
鳴門市を訪問され、市長、市議会長、商工会議所会頭等と会談し、経済、文化等の面で
交流を深めるべく、鳴門市とナラヤンゴンジ市との友好都市関係を目指して努力するこ
とが合意されました。
2.次いで2017年の阿波踊りには、今度はバングラデシュ側の発意に基づき、日本国民
にもっとバングラデシュを知って欲しいとして14名の舞踊団が参加し、様々な舞台にお
ける素晴らしい踊りの模様は、徳島とバングラデシュで広く報じられました。
 そして、阿波踊りにおけるコラボに引き続き、鳴門商工会議所主催で「日本バングラ
デシュ経済フォーラム」が開催され、多数の徳島の経済人がバングラデシュとの経済的
可能性につき理解を深めました(日バ協会メルマガ38号参照。)
 この様にバングラデシュとの交流に当たって、先ず文化交流を先行させた徳島、鳴門
の「徳島・日本バングラデシュ友好協会」の発起人グループは、本年1月、鳴門商工会
議所、鳴門、徳島の市会議員、経済人18名でバングラデシュを訪問し、ナラヤンゴンジ
の市長、市議会議員及びヌール文化大臣と会談し、鳴門・ナラヤンゴンジの友好都市締
結に向け、さらに話し合いを進めました。
 今回開催された「徳島・日本バングラデシュ友好協会設立祝賀会」においては、中岸
会長から、会員となる企業代表および個人約50名の出席者に対し、本友好協会設立に至
るこれまでの経緯について説明があり、次いで、在京バングラデシュ大使館のアベディ
ン参事官より、同協会設立への歓迎とともに、同大使館として本友好協会設立への祝意
と全面的協力の表明がありました。
 また、泉鳴門市長からは、本年初めにバングラデシュを訪問した一部の人達を除き、
一般の徳島県民は、バングラデシュについて殆ど何も知らないので、バングラデシュと
はそもそもどういう国であるのか、
バングラデシュの様々な分野における実情をパネルなどで紹介する機会を設けて欲しい
との具体的要望が出されました。
3.私からは、日本バングラデシュ協会の代表として、これ迄バングラデシュ舞踊団の
当地訪問に合わせ2回当地を訪れ、阿波踊りの中に入れて貰い、また古くからの巡礼者
に対する伝統あるおもてなしを受けて以来徳島のファンであるので、今回の「徳島・日
本バングラデシュ友好協会」の設立に喜びと感慨を覚えるとしつつ、先刻、泉市長が要
望されていた徳島の人々にバングラデシュがいかなる国であるかを紹介するためのパネ
ル等を使った展示会の開催を、バングラデシュ大使館とともに検討していきたい旨述べ
ました。
 徳島における日バ両国民の友好、相互理解に、多くの関係者のご尽力のよりこれだけ
の道筋をつけていただいた以上、このモメンタムを失わないためにも、日本バングラデ
シュ協会としても努力していきたいと思います。
 なお、2016年初め、「香川・日本バングラデシュ友好協会」の設立総会が開かれ、着
任間もないファティマ大使とともに出席しましたが、同協会は不幸なことに、同年7月1
日起こったダッカのテロ事件により、「バングラデシュは危険な国」とのパセプション
が広がって関係者の熱意と関心が冷めてしまい、現在は開店休業状況にある由です。
 今後、バングラデシュの渡航情報の危険度が2から1に引き下げられ、「香川・日本バ
ングラデシュ友好協会」の人々のバングラデシュへの見方が和らぐなどの条件が揃えば
、上記展示会を徳島で行う際は、香川でも開催する可能性も検討する価値はあろうかと
考えています。
4.最後に、日本バングラデシュ協会と地方の日本バングラデシュ友好協会との協力の
あり方はいろいろな形が考えられますが、一形態として、上記2.のバングラデシュ側
発意により派遣された舞踊団のメンバーは美人揃いで、舞踊のレベルも素人目にも抜き
んでたものでした。徳島の日バ友好協会が徳島迄招請したこの舞踊団を、仮に日本バン
グラデシュ協会が東京など大都市における実演をアレンジすれば、バングラデシュの優
れた芸術を多くの日本人に鑑賞してもらえるだけでなく、バングラデシュのイメージ改
善の上でもより大きな効果が期待されます。  
 徳島迄いずれにせよ訪問される同舞踊団に、追加的経費を工面して東京公演を実現で
きれば、とくに最初の舞踊団訪日の費用は徳島の招待者側負担でしたが、二回目の訪日
時の航空賃はバングラデシュ政府が負担した由であり、日バ双方にとってプラスになり
うるところです。バングラデシュ舞踊団の東京公演を実現できる、企業家センスのある
方、いらっしゃいませんでしょうか。 


■2)『現地だより:バングラデシュのシンガポール』             
                前アジア太平洋住友商事ダッカ事務所長 山田尚登

1. マタバリ・モヘシュカリ地区の開発 
バングラデシュに携わっている人でなければ、誰も知らないであろう。
マタバリ・モヘシュカリ地区。ダッカから350キロメートル程度南東に位置し、世界一
「長い」ビーチが続くコックスバザールの北。そしてロヒンギャ避難民問題で国際的に
もクローズアップされているミャンマーとの国境にも程近い地区である。
日本政府ならびにバングラデシュ政府が提唱するBIG-B「ベンガル湾産業成長地帯」の
拠点であり、バングラデシュにとって悲願の深海港のファシリティを兼ね備えた、「電
力~エネルギー~産業」の一大ハブとしての開発が今まさに始まっている。

2.マタバリ・モヘシュカリ地区とは?
2014年に初めてマタバリ・モヘシュカリ地区に足を運んだ。まずはダッカからコックス
バザールまで飛行機で向かい、その後近くの船着場からスピードボート(6人乗りぐら
いの船外機付きの小型船)に乗って約1時間半。ルートにもよるがマングローブ林の中
の細い水路を通ったり、多少なりとものアドベンチャー気分を味わいながら現地に到着

初めて目にするものは・・・・、ビーチの砂は白くはなく灰色。海も青くはない。ただ
ただそこには整備の行き届いていないというか、まさに天然の塩田が広がり、自然蒸発
させた天然塩を頭に載せて、船へと運んでいる多くの若者の姿があり、また異邦人が来
たかのように、僕らを見つめる近くの村落の住民がいた。
それ以来幾度となく訪問して、塩田が出現するのは乾季のみで、雨季には全面が水にお
おわれ大きな池のようになり、あぜみちを歩くことさえままならないことも知った。

3.大型船が寄港できる深海港の建設
ご存知の通り、バングラデシュは世界一過密な人口密集国で、未開発の土地は少ない。
大型船が入港できる深海港を建設し、かつこのような壮大な一大開発をするにはこの場
所しかなかったのだろう、消去法での選択なのかもしれないが、あらゆるもの全て一か
ら開発するという夢を見させてくれるロケーションである。
その後、住友商事は円借款で整備される超々臨界圧石炭火力発電所ならびに関連港・航
路の建設工事を幸いに請け負うことができ、2017年8月から工事を開始した。完工予定
は2024年、なんと7年にも及ぶ大工事である。まずは大型船が寄港できるだけの航路の
浚渫と港の建設。そして洪水対策のため発電所の土地を嵩上げするところから工事が始
まっている。海外のあらゆる場所で様々な発電所工事に携わってきた住友商事でさえ、
こんなロケーション・長期にわたる案件は初めてであり、このエリアの開発の先駆者と
して、現在必死に苦労しながら多くのパートナー企業、ローカル企業と共に全力で取り
組んでいる。

4.シンガポールのようになる夢
契約調印式典の場でバングラデシュ政府高官はこう言った、「マタバリ・モヘシュカリ
地区をシンガポールのようにする」と。思わず苦笑してしまったし、現在のマタバリ・
モヘシュカリを見て誰もここがシンガポールのようになろうとは想像すらしないだろう
。この地区の細い水路がクラークキーみたいになるのかな?ちょっと違うだろうと・・
・・
ただシンガポールだってふた昔前はどの程度のものだったか。
インフラ整備にはとにかく時間がかかる。ただ基礎インフラがないと誰も近づかないし
、産業・社会開発も進まない。誰かが始めるほかないし、それをこの場所ではバングラ
デシュと日本の両政府がイニシアティブをとって真剣に取り組み始めている。そして国
内外の民間企業も続々とエネルギー・電力分野を中心に案件の計画をぶちあげている。
20年30年40年後、この調子でバングラデシュ経済が伸長し、経済協力資金、国内と海外
からの民間投資どんどん入ってくれば・・・それに何にもましてバングラデシュ政府・
国民のたゆまぬ熱意があれば・・・・、単なるバングラデシュ政府高官の夢にとどまる
ことなく、誰しもが驚くような風景になっているかもしれない。そして夢は大きい方が
いい、またそれを現実のものになしうる国に成長していって欲しいと、私自身も大きな
夢を思い描いている。

■3)『バングラデシュと私(第三部)』
          大阪外国語大学名誉教授 溝上富夫

 ようやく、27年ぶりにバングラデシュを訪問する機会が思いがけず訪れたのは、2013
年3月のことだった。突然、3月中旬頃、ディプ・モニ外相(当時)から、「バングラデ
シュ解放戦争の友栄誉賞(Friends of Liberation War Honour)」 を授与するので、
授与式と3日間にわたる独立記念日関連行事に招待する」という内容の招聘状を受け取
った。一瞬何のことか分からなかったが、数日前に、東京外国語大学名誉教授の故奈良
毅先生から、近くバングラデシュ大使館から連絡があるとお聞きしていたので、この事
かと察知したが、「なぜ私が受賞?」という理由はしばらくするまで分からなかった。
バングラデシュ独立戦争の頃、故奈良毅先生は「日本ベンガル友の会」を結成して公然
と、バングラデシュ独立戦争を支持する運動を始められた。募金・広報活動が主たるも
のだったとはいえ、国家公務員として許されるギリギリの政治活動であっただろうと想
像される。愛するベンガル語を話す7千万人の東パキスタンの民衆に対する、西の支配
者による残虐行為に、人間として黙ってはおられなかったのだろう。私は名目だけの会
員で、多少の募金に応じたり、新聞にパキスタン政府の残虐行為を非難する投書をした
だけのことである。毎日新聞に載ったこの記事が英文毎日を経て、インドの主要紙のひ
とつ、The Tribune紙に転載されたため(インドは反パキスタンの立場から、この独立
戦争を支持していた)、有名になってしまったのだろう(詳しくはSukumar Biswas,
JAPAN AND THE EMERGENCE Of BANGLADESH,Dhaka,1998を参照)。

 3月23日、もう一人の受賞者である東京外国語大学名誉教授の中村平治先生と、それ
ぞれの乗り換え地であるバンコク国際空港で落ち合って、タイ航空のビジネスクラスで
快適な空の旅を楽しみながらダッカ国際空港に降り立つとすぐ、外務省職員と、花束を
持ったダッカ大学の女子学生の出迎えを受け、通常のルートとは違って、VIPルームに
案内され、ソファーに座って美味しい紅茶の接待を受けた。そしてルポシホテルに直行
すると、荷物は届いているという手回しの良さに感心した。すべての招待者(68名と1
団体)に世話係がついて、プログラムの説明とイベント会場への案内、買い物まで付い
てくれるという暖かい気配りにも感激した、しかも、私には魅力的な女性が付いてくれ
た。このバングラデシュ政府の心のこもった歓迎ぶりと、あらゆるイベントのシーンと
スナップ写真を美しい記念アルバムにまとめて、帰国前日までに、全員のホテルの個室
に届けるという離れ業までやってのけた、外務省職員の優れた事務処理能力に特別感動
を覚えた。
最近私は、インド政府からパドマシュリ―という勲章を受勲し、4月2日の授与式に出席
してきたばかりなのだが、その時のインドの官僚(担当は内務省)の接待ぶりは、バン
グラデシュ政府のそれと比べると、非常に官僚的で冷たかった。空港への出迎えはなし
、指定のホテルにタクシーで来いという態度である(もちろん、その費用は払われたが
)。CDを内務省で作成して渡すので、一般のカメラマンの入場は禁止するといいながら
、3ヶ月を経過して未だに送ってこないのは、鶴首しながらその到着を待っている受勲
者にとって、余りにも不誠実な態度である(ただし、インド政府の寛大性も別の面では
ある。インドの新大統領は、8月15日の独立記念日のレセプションに、再び受勲者を招
待してくれたのだ)。

 ところで、授賞者を国別にみると、インド43、パキスタン13、米国4、ネパール4、日
本2、英国・キューバ・豪州・スウェーデン各1であった。英国はハロルド・ウィルソン
元首相、キューバはカストロ元大統領という超大物である(もちろん、代理人が出席)
。インド人(ほとんどは西ベンガル州出身のベンガル人)が多いのは当然としても、「
旧敵国」パキスタンからの受賞者が多いのに驚く。
さらに驚いたことは、3月24日の授与式では、これらの著名人を代表して、何とこの私
が謝辞を述べるよう指名されたのである。私がベンガル語を話せたのは偶然で、司会者
は「日本人」を指名したと思われる。私はスピーチの中で国歌を捩って「アプナデル(
あなた方の)・ショナル・バングラ(黄金のバングラ)アミオ(私も)トマエ(あなた
を)バロバシ(愛します)」とやったら、万雷の拍手喝采を浴びた。
興奮すべき経験はその夜の、日本の援助でできた市内最大のホテルであるショナルガオ
ン・ホテルで催された、ハシナ首相主催の歓迎夕食会でも起こった。夕食会に先立って
、私は上記『文化紹介ベンガル語中級会話集』をハシナ首相に進呈したところ、「首相
官邸に保存する」という返事だった。夕食会場に入ると、何と私の席は丸テーブルで、
首相の真横に用意されていた。これは全くのサプライズだったが、偶然という事は有り
得ないので、多分ベンガル語によるスピーチへの「ご褒美」でなかったかと想像してい
る。こうして、私はこの国の最高権力者と食事中、30分ほど雑談を楽しんだ。
 翌日の25日はポッド川のクルーズに希望者だけ招待されて、3時間ほどくつろいだ。
受賞者同士の親睦会にもなって楽しかった。26日の独立記念日には、深夜3時に起きて
ミニバスに分乗して27キロ離れた国立戦没者記念塔で行われる独立式典に出席した。5
時半頃日の出を迎えるとやがて首相が到着、戦没者に献花した。受賞者一同からも献花
して簡素な式典を終えた。その他にも、独立戦争にまつわる多くの諸施設や博物館を見
学した。夜は、外務大臣主催のお別れ夕食会で、互いの親睦とバングラデシュの繁栄を
祈念して別れを惜しんだ。
なお、私は久しぶりのチッタゴン訪問も企画していたが、この頃のバングラデシュの治
安状況は良くなかったので、外国人招待客がダッカ以外の地を訪れるのを禁止され。そ
こで、イベントが終わってからも数日間ホテルに滞在して近くの店でショッピングを楽
しんだり、ダッカ大学を訪問したりした。27年前とはすっかり異なり、ありとあらゆる
商品であふれていた。中村平治名誉教授と共に、在バングラデシュ日本大使館の多賀正
幸参事官(現・在コルカタ総領事)と食事を共にしながら歓談した。

 そして、楽しかったダッカ滞在の思い出を胸にバングラデシュを去って数日後に、ダ
ッカ郊外で、アパレル工場の入った高層ビルの崩落事故が発生し、多くの犠牲者が出た
。まさに「女工哀史」である。その工場の女性労働者の賃金が月給で、わずか4千円ほ
どだと聞いて驚いた。因みに、こっそり聞いたルポシホテルの一泊の宿泊代は食事込み
で、300ドルだったというから、何たる格差であることか、と二度溜息をついた。

 2015年12月に東京外国語大学で、第3回国際ベンガル学会が開かれ、私も言語学の部
会で「大戦中、日本軍が英領インドで撒布した『伝単(編集部注:敵の戦意を削ぐため
の宣伝用ビラ)』に描かれたベンガル語の特徴について」というタイトルで発表したと
ころ、興味をもったダッカ大学の言語学の教授からダッカ大学での講演を依頼された。
2016年に再度バングラデシュをシャンティニケタンのギータ・キニ先生と一緒に、列車
でコルカタからダッカに入ろうと計画していた。また私にとっては、2015年の夏まで大
阪・神戸インド総領事の地位にあり、非常に親しかったアシーム・マハージャン氏が、
在バングラデシュのインド高等弁務官事務所(大使館)の副高等弁務官(代理大使)と
して赴任していたので、彼に再会できる良いチャンスだと期待していた。この高等弁務
官事務所内で、ベンガル語で講演をしたかった。またダッカでの滞在先として、インド
高等弁務官事務所内の施設を利用できれば、治安の点で「ダッカ一」かもしれない!
しかしながら、残念なことに、この夢は無残にも二つの理由で崩れてしまった。第一は
、マハージャン氏が再び異例のスピード出世で、ジュネーヴのインド代表部のNO.2の地
位に着いたこと。第二に、衝撃的な大事件が、2016年7月1日ダッカの高級レストランで
起こった、邦人7人死亡というテロ事件であった。これで、ダッカはおろかバングラデ
シュそのものへの訪問が不可能となってしまったことだ。これは実に悲しい事件であっ
た。犠牲者の方々には何とお悔やみの言葉を述べていいか分からない。一日も早くバン
グラデシュが安全な国となり、安心して自由に行き来できる日が来るのを切に祈ってい
る。
(完)

■4)『私とバングラデシュの関わり』           
       東京大大学学院博士課程在籍/日本学術振興会特別研究員 小野道子

1.大学時代:3度の訪問とベンガル語学習
 私とバングラデシュとの出会いは、今から25年前、1993年の春に遡ります。大学1年
次の春休みに大学の掲示板に貼られた1枚のポスターがきっかけで、初めてバングラデ
シュに行きました。高校時代に、バナナが日本に来るまでに子どもたちが危険な児童労
働に携わっているという話を聞いて衝撃を受け、大学ではフィリピンの地域研究を行い
たいと思っていました。フィリピンへのスタディツアーを探していたものの、なかなか
適当なものが見つからず、その時に目についたバングラデシュの寺子屋を訪ねるツアー
(ACEF:アジアキリスト教教育基金主催)のポスターで、大きな目が輝く子どもたちの
写真に魅了され、家に帰って、バングラデシュがどこにある国なのか調べるところから
始まりました。
 ACEFのスタディツアーで、ベンガル語の人形劇を上映して子どもたちに見せたことで
、ベンガル語で子ども達と意思疎通ができたことが楽しく、日本に戻ってから、早稲田
奉仕園でベンガル語を習い始めました。2年間ベンガル語を勉強するという条件で、大
学ではバングラデシュ地域文化研究を専攻することにしました。大学3年次には、ホー
ムステイをしながらベンガル語学校に通い、大学4年次には、卒論執筆のための調査を
するために、計3か月間ダッカに滞在しました。私の大学時代はバングラデシュへの3
度の訪問と共にあったとも言えます。

2.英国、コミラJOCV隊員、アフリカ
 大学を卒業後、イギリスの大学の修士課程に進学し、帰国後、財団法人でリサーチイ
ンターンをしていた間に、青年海外協力隊の社会学隊員に応募し、念願のバングラデシ
ュに住む夢が叶いました。コミラ県ダウドカンディ郡での農村開発プロジェクトの協力
隊グループ派遣事業のインパクト調査を行う業務でした。任期後半は、調査対象地域の
村でホームステイをさせてもらい、当時はプライバシーもない生活で大変な思いもしま
したが、今となっては大変貴重な経験でした。
 その後、JICAの短期専門家としてウガンダに3か月滞在したり、セネガル、エチオピ
ア、タンザニア、ケニアなどに調査団で訪問し、アフリカでもバングラ流儀を通して失
敗することも多々ありましたが、バングラデシュを相対的に見る良い機会にもなりまし
た。

3.パキスタン: JICAとUNICEF
バングラデシュへの想いが消えることはなかったのですが、なかなか仕事でバングラデ
シュに滞在するチャンスが得られず、2002年から2004年まで、JICA事務所の企画調査員
でパキスタンのイスラマバードに赴任しました。パキスタンへは、バングラデシュの敵
国研究のつもりで着任しましたが、その後、パキスタンとの縁が深くなり、2007年から
2010年にもUNICEFのイスラマバード事務所に赴任し、結局パキスタン生活の方がバング
ラデシュで過ごした期間よりも長くなってしまいました。2004年から2007年にはUNICEF
の南アジア地域事務所に勤務していたため、ネパールにも3年住みました。JICAや
UNICEFでの南アジアでの仕事は10年以上になりましたが、私の中での心の祖国は常にバ
ングラデシュです。

4.カラチのベンガル人、そしてロヒンギャ
 2011年4月以降、UNICEFの東日本大震災の支援活動に関わり、10年以上ぶりに日本で
の長期生活を始めました。協力隊時代にバングラデシュで知り合った夫と長野で暮らし
始め、当時1歳と5歳の二人の娘を連れて家族4人で懐かしい任地を訪問したこともきっ
かけになり、以前から関心のあった、カラチに住むベンガル人の研究を博士課程で始め
ることにしました。
 パキスタンのカラチには、カラチの推定人口1500万人以上の10%にもあたる150万人以
上のベンガル人が住んでいます。バングラデシュ独立前にカラチに来ていた人々もいれ
ば、独立後から90年代までに、国境を超えて来た人々もいます。ベンガル人の多くは、
故郷バングラデシュの農村での貧困や食糧不足、洪水による土地被害などの理由で、カ
ラチに仕事を求めてきた人々です。独立戦争時にパキスタン側についていたことから、
政治的な理由でカラチにきている人々もいます。パキスタンに住むベンガル人のほとん
どはカラチ市内に住んでいますが、シンド州内のバディン県(カラチから西に200kmほ
ど)などにベンガル人が1960年代に集団で入植した村もあります。バングラデシュ独立
戦争が激しくなる前まで運航していた、チッタゴンとカラチ間の客船フェリーできてい
る人々もいれば、陸路でインドを経由して来た人々もいます。
 実は、現地でベンガル人と言われている人々のうち、20%もしくはそれ以上の人々が
ロヒンギャ (正式統計はないのであくまでも私の感覚ですが)であるということも最
近わかってきました。カラチのベンガル人の多くは、ダッカ以東のコミラ、チッタゴン
方面から来ており、ロヒンギャの人々は、ベンガル語のコックスバザール方言に近い言
葉を話すので、コックスバザール出身のベンガル人と自称します。ロヒンギャの人々が
パキスタンで市民権を得るには、旧東パキスタン出身者であることを証明する必要があ
るため、ベンガル人と同化していることが多いです。ベンガル人も市民権を得ていない
、もしくは以前得ていたが更新できておらず、何十年にもわたりパキスタンに暮らして
いるにもかかわらず、実質、無国籍不法移民としての暮らしを余儀なくされている人々
も多数います。
 バングラデシュとの25年来の関わりは、今ではパキスタンに住むベンガル人との関わ
りを通してバングラデシュを見る機会となりました。パキスタンのベンガル人家庭でベ
ンガル料理をいただき、バングラデシュからパキスタンまで来た経緯や今の暮らしにつ
いて聞きながら、あらためてバングラデシュとパキスタンの歴史や民族、国籍について
考えさせられています。

■5)『バングラデシュと向き合った日々を振り返って』
    ジェトロ・ベンガルール事務所長(前日本バングラデシュ協会理事)鈴木隆史

 2009年12月にジェトロ・ダッカ事務所の所長として、バングラデシュの地に降り立っ
て以来、9年弱にわたって、公私ともに、バングラデシュと向き合う日々を送って参り
ましたが、今年の7月末より日本を離れ、インド南部・ベンガルールにあるジェトロ事
務所の所長として駐在生活を始めております。
 ここ、ベンガルールは、4年前までは「バンガロール」と呼ばれる都市でしたが、イ
ンド各地域の言語を重要視するモディ首相が就任したことで、現地の言語により近い発
音である「ベンガルール」、に改名されました。私にとっては「ベンガル」を彷彿とさ
せる名前でもあり(ベンガルとは直接関係ないそうです)、お客様に経済概況を説明す
る際に、つい、「バングラでは・・・」と言い間違えてしまいます(ほとんどのお客様
は気づきもしませんが)。
 ところで、最近、発刊されたビジネス書籍に「インド・シフト 世界のトップ企業は
なぜバンガロールに拠点を置くのか」という本があります。つい4年前までベンガルー
ルのソニーの代表をされていた武鎗行雄(たけやり ゆきお)さんという方が書かれた
本なのですが、以下のような忸怩たる思いを本書でぶつけられています。

(引用)欧米をはじめとした先進国や中国・韓国のトップ企業は、すでに何年も前から
、大規模な研究開発拠点をバンガロールに置き、社内のトップ人材や資金といったリソ
ースをそこに投入し、本気で勝負しに行っている。ところが、多くの日本のトップ企業
は、ITの世界で言えばシリコンバレーばかりを意識している。しかし、そのシリコンバ
レーの企業はバンガロールやインドのほうを向いているのである。このまま、日本企業
だけが流れに乗り遅れてしまえば、挽回不可能なほどの差がついてしまいかねない。

 この武鎗様には、ジェトロのインドセミナーでもご登壇いただいたこともあるのです
が、このご意見には大変共感します。
 以前に本メールマガジンに私が寄稿をさせていただいた際に、日本とバングラデシュ
の関係においても同様の状況がある、「大企業では、バングラデシュやインドのような
南アジアの国が海外戦略の中にすら位置づけられていない、経営者も米国や中国へは行
くけど、南アジアへはインドすら行ったことがない、ということも少なくない」といっ
たことを書かせていただきました。
バングラデシュでは、テロ事件以降、まったくポジティブなニュースが日本で流れなく
なってしまった時期がありましたが、日本におけるインドのニュースはレイプ事件をは
じめ、やはりネガティブな論調の内容が多いように感じます。
このようなステレオタイプな報道に負けず、南アジア諸国のリーダーであるインドに職
場を得て、インドやバングラデシュ、パキスタン、スリランカ、ひいてはネパールやブ
ータンといった「南アジア地域」に対する日本人、日本企業の認識を変えていこう、と
決意をあらたにしています。
 ところで、私のいるベンガルールのジェトロ事務所は、「IT、イノベーション、ス
タートアップ」といった最近流行り(?)のテーマで、日本企業の国際化やインド企業
との連携を支援する中核拠点となっています。ただ、このテーマは、インドのみに収ま
るものではありません。今や、先進国も途上国もなく、このテーマの中に世界経済の大
きな動き、変化が生まれています。バングラの関連でいえば、最近、日本国内のITエ
ンジニア不足を補う外国人材として、最も注目されているのはバングラデシュ人です。
 このように、このテーマに取り組む中で、インドにいながら、私のバングラデシュと
の関係もまだ途切れることはないのかな、という期待を持っています。
 また、大変うれしいニュースですが、日バ協会で懇意にさせていただいた皆様が、こ
こベンガルールに近々来られる計画もいくつか聞いています。法人会員のマルヒサ様は
食品関連のビジネスを新たに立ち上げられ、その取引先の一つがここベンガルールにあ
るそうです。また、小島衣料様も、幹事を務められる「アジアアパレルものづくりネッ
トワーク」の海外視察団の訪問先として、メンバー企業の皆様と10月にベンガルールに
来られる予定があると伺っております。
 世界は狭い、ということに尽きるのですが、バングラデシュと関わりを持たれるよう
な皆様は、南アジアの可能性にちゃんと気づいていらっしゃるんだなあ、と思うと、嬉
しいのと、感心するのと、こういった活動をジェトロとして少しでもお手伝いしなけれ
ば、と身の引き締まる思いもしています。
 日バ協会の直接的な活動からはしばらく遠ざかってしまいますが、今後もここインド
でできる貢献を続けていきたいと思っております。南インドに来られる機会があれば(
むしろぜひ作っていただいて)当地で皆様とお目にかかれる機会を楽しみにしておりま
す。
 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

■6)『イベント・講演会のご案内』
□日本最大級の国際協力イベント グローバルフェスタ2018 (2018/9/29,30)
 http://gfjapan2018.jp/
 NGO他諸団体が参加します。バングラデシュで活動するNGOも多数参加しています。

□ツーリズムEXPO ジャパン2018 (2018/9/20~23)
 http://www.t-expo.jp/
 バングラデシュ政府観光局(BTB) が出展します。

□第26回行事 講演会:『バングラデシュに学んだこと』
 http://www.japan-bangladesh.org/info/20180928

講演者: 中島 敏 氏 (前海上保安庁長官)
中島氏は、海上保安大学校卒業後、1980年代に青年海外協力隊隊員として、
バングラデシュに駐在(57年3次隊 職種:航海術)されておりその当時の
事も想い起しながら講演していただきます。

(略歴)
昭和54年3月 海上保安大学校卒業
昭和58年  海上保安庁を休職(青年海外協力隊に参加)
平成12年4月 新潟海上保安部巡視船えちご航海長
平成26年4月 海上保安庁警備救難部長
平成28年6月 海上保安庁長官
平成30年7月 退職

尚、講演会の後、懇親会を行いますので、奮ってご参加ください。

講演会日時:2018年9月28日(金)
開場・受付:18:00~18:30
講 演 会:18:30~20:00
懇 親 会:20:10~21:30

会   場: 大手町倶楽部
       千代田区大手町1‐8‐1 KDDI大手町ビル2階
      (電話)03‐5202‐8055
アクセス :東京メトロ 千代田線・半蔵門線・東西線「大手町駅」C1出口より直結
      都営地下鉄 三田線「大手町駅」C1出口より直結
      東京メトロ 丸の内線「大手町駅」A1出口より徒歩2分
      JR「東京駅」丸の内・中央口より徒歩10分

      ※KDDIホールと同じ階にあります。
      http://www.kddihall.kddi.com/access.html 

参加費について
講 演 会:・個人会員/法人会員/学生会員:無料 
      ・非会員:1,000円 但し、学生は無料  

懇 親 会:・個人会員/法人会員: 3,000円、学生会員:無料
       (法人会員は複数名の参加可、但し、お一人3,000円)       
      ・非会員: 3,000円、但し、学生は1,000円
 **懇親会への参加を一旦申し込まれた後に、参加できなくなった場合は、
   9月25日(火)までに、下記へ必ず連絡願います。
   TakaoKobayashi418@gmail.com

参加申込: 先着50名様
お申込み: こちらのフォームからお申し込みください。
 https://goo.gl/forms/11Ve1OFGHJOC6oPN2

■7)『事務連絡』

会員情報変更届のお願い:
事務局では会員各位の連絡先等の最新版を常備する必要がありますので、皆様の住
所変更、メールアドレスが変更されました場合はinfo@japan-bangladesh.org
まで
お知らせ下さるようお願い致します。

本協会の活動などについてご意見等ありましたら、お知らせください。
また、メール・マガジンに載せたいご意見、情報、その他昔のバングラデシュ
勤務時の思い出などお寄せ下さい。
宛先:info@japan-bangladesh.org
(約1500字。体裁上若干の修正あり得ることご了承下さい。)

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一般社団法人 日本バングラデシュ協会

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