日本バングラデシュ協会の皆様へ

■目次
1)『日本バングラデシュ協会メルマガ第51号会長メッセージ
 -第1回東京バングラデシュ・ブック・フェアの開催-』     会長 堀口松城
2)『現地便り:シュンドルボンで村民達とソフトシェルクラブの養殖加工に挑戦』
                   M&Sコーポレーション 代表取締役 進藤哲也
3)『バングラデシュの衣類産業と障害者雇用』
               一橋大学大学院経済学研究科 博士課程後期 金澤真実
4 『在バングラデシュ大使時代の思い出(その3)』
      日本国際教育支援協会理事長(前日本バングラデシュ協会理事) 井上正幸
5)『イベント・講演会のご案内』
6)『事務連絡』

■1)『日本バングラデシュ協会メルマガ第51号会長メッセージ   
   -第1回東京バングラデシュ・ブック・フェアの開催-』    会長 堀口松城

1.9月2日、板橋のグリーン・ホールで「東京バングラデシュ・ジャーナリスト作家
フォーラム」主催による、初めての「東京バングラデシュ・ブック・フェアー」が開催
されました。25年前に設立された同フォーラムのジュエル会長によれば、このブック・
フェアー開催の目的として、日本に住むバングラデシュの作家やジャーナリストによっ
てどのような本が出版され、バングラデシュの読者に日本のことがいかに伝えられてい
るかを紹介し、日本人がどのように思うかを知ること、これらの本を書いた著者をエン
カレッジすること、また、日本に住むバングラデシュの子供に、ベンガル語を通じて大
事なことを伝えることなどが挙げられていました。
2.会場の最初のコーナーでは、日本人が書いたバングラデシュ関係の書籍が陳列され
、先ず故我妻和男筑波大学名誉教授の諸書籍、特に1980年代から10年以上かけて発行さ
れた全12巻のタゴール著作集は、我妻先生が編集と、そこに取り上げられた小説や詩の
翻訳も担当されたもので、その偉業に圧倒されます。また、1977年の日航機ハイジャッ
ク事件でハイジャッカーとの折衝に当った石井一元国務大臣による体験記「ダッカハイ
ジャック事件」のベンガル語訳、建国の父ムジブル・ラーマンの回想録(ともに渡辺一
弘さん翻訳)や、医療活動をしながらダッカの生活を綴った渡辺順美さんの「ダッカの
日々」や拙著「バングラデシュの歴史」などが並べられていました。日本人によりバン
グラデシュについて書かれた本は、他にも多数あるにも拘らず、当日陳列されていたも
のは限られていましたが、今回のブック・フェアーが最初のもので、十分な数を集めら
れなかったためと思われ、今後ブック・フェアーが回を重ねるにつれて陳列される関連
書籍も充実していくことが期待されます。
3.次のコーナーでは、バングラデシュ人による多数の書籍が展示即売されていました
が、その内容は、バングラデシュ人が日本や外国を見て学んだこと、自分の国と比較し
た短所や長所、日本の習慣を知らなかったための数々の失敗談、独立戦争当時、日本か
ら受けた支援の大きさや支援者の話、バングラデシュの女の子が勉強をし、新しい生き
方に目覚め、国際機関で活躍する話などである由です。
4.当日の「ブック・フェアー」では、以上の日本人、バングラデシュ人によるバング
ラデシュ関連の書籍の展示(即売)会の他、午前中は、ファティマ大使、石井一元国務
大臣、故我妻先生の夫人、私などからの祝辞があり、とくに石井先生は上記の体験記「
ダッカハイジャック事件」に書かれた切迫した当時の状況を紹介されました。
 そして午後は、ベンガル語による両国の関係者による座談会があり、出席された渡辺
さんによれば、彼と渡辺順美さんからはベンガル語と自らの関係について語られ、また
、川端康成のノーベル賞受賞後、川端にインタビューしたアブドゥル・ラーマン氏、大
江健三郎にインタビューしたモンズルル・ホク氏によるその時のお話しや、日本に暮ら
しながら文学活動を続けているバングラデシュの女性たちによる座談会、さらに、バン
グラデシュの子どもたちによる詩の朗読などが行われた由です。
5.今回のブック・フェアーについて、後日、上記のジュエル会長に取材した際、私か
ら、日本人にとって、日本に住むバングラデシュの人達が日本についていかに理解し、
いかにバングラデシュの人々に伝えているかは興味深いものがあるので、同フェア―で
紹介されたバングラデシュ人による書籍で、例えば「東京バングラデシュ・ジャーナリ
スト作家フォーラム」による賞を受けるような代表性のある本については、部分訳でも
よいので日本語版を出して貰えれば、多くの日本人の関心をさらに集め、同フェア―の
当初の目的により資するべく、検討して欲しい旨お願いしておきました。


■2)『現地便り:シュンドルボンで村民達とソフトシェルクラブの養殖加工に挑戦』
                  M&Sコーポレーション 代表取締役 進藤哲也

本年2月、日本バングラデシュ協会に入会しました。バングラデシュのシュンドルボン
国立公園に隣接した地区で、『ソフトシェルクラブ』の養殖・加工の事業を行っていま
す。

1.ソフトシェルクラブとは?
『ソフトシェルクラブ』は、日本ではあまりなじみがありませんが、所謂、甲羅の柔ら
かい蟹で、欧米、アジア、オセアニアでは高級食材として食されています。殻ごと素揚
げなどにして人気のある食材です。
まず養殖では、稚蟹を一匹ずつ箱に入れ池に沈め、3日毎に餌(ティラピア)をやり、
24時間体制で監視をします。ついで、脱皮した蟹(一度の脱皮で1.5倍の大きさになる
)を甲羅が固くならないうちに、加工工場に持ち込み、加工工程を経て、急速冷凍しま
す。そして、解凍した時には、まだ甲羅が柔らかく、そのまま調理して食すことが出来
る食材です。

2.シュンドルボンでの養殖加工事業
2015年12月に現地法人を設立し、養殖池、加工工場の用地の選定から始めました。1年
半をかけ、養殖池を造成、加工工場を建設。昨年9月にほぼ完成に漕ぎ着けました。
同時に、営業活動をスタート。香港の海産物国際展示会に出展し、予想以上の引き合い
を得ることが出来ました。「日本の会社がバングラデシュでソフトシェルクラブ養殖・
加工をしている?」 日本人の私とバングラデシュ人社員とが、一緒に展示ブースで接
客する様子に、不思議そうな顔をしながら、多数の人達がブースに立寄ってくれました

何故、シュンドルボンという地で、このソフトシェルクラブの養殖加工事業を起こした
のでしょうか? 養殖加工の舞台は、Nildumur Shayamnagar Satkhira地区です。ダッ
カから国内線の航空機と車とで6時間、陸路を車のみで向かえば12時間を要します。こ
こは未だ貧しい村。水は川の水を利用、地下水を一部で汲み上げていますが、浄水設備
はありません。電気の供給も限られたものです。
しかし、ベンガル湾と繋がる大きな川と広大なマングローブ林の、大自然に囲まれた環
境が実に素晴らしいのです。ここでは海水と淡水とが適度に混り合い、ベンガル湾から
のプランクトン、マングローブによる浄水と栄養供給とがあり、甲殻類にとって最適な
生息地なのです。
また、この事業は、この村民達(特に夫が出稼ぎに出て残された女性)に雇用を創出し
、子供たちが学校に通えるようにすることも目的としています。「貧しい村に少しでも
裨益することが出来れば」と考えて、事業の舞台をこの地に選んだのです。
養殖池は、約2,000坪の池を10個造成。加工工場は、床面積500㎡規模のものを建設。多
くの困難が立ちはだかっていました。区画地権者が多数にわたり、複雑に入り組んでい
ました。この問題を調整して、土地の賃貸借契約を結ぶことが出来たのは、村で唯一の
学校の先生のご尽力の賜物。「子供たちに教育を」という願いから、助けて頂いたもの
です。また現場に至るアクセス道路が狭弱のため、小さなブルドーザーを持ち込むのが
やっと。村民達の汗にまみれた尽力がなければ、養殖地と加工工場は、日の目を見なか
ったことでしょう。
さらに養殖の作業と加工工場の稼働にあたっては、稚蟹などの調達、現地スタッフの教
育・訓練、食品衛生、品質保証、地元との調整など、多くの課題を克服しなければなり
ませんでした。弊社の現地人幹部と多くの地元関係者とが一緒になって頑張ってくれ、
心より感謝しています。彼らが、このソフトシェルクラブの養殖加工事業が、村にとっ
て多くを生むと信じ、賛同してくれたからこそ、ここまで来ることが出来ました。

3.これからの課題
これからの課題も少なくありません。
昨年の香港展示会での成約を受け、香港、シンガポール、オーストラリア、タイ各国そ
れぞれ、毎月平均すると3トン程度を輸出しています。弊社スタッフは、輸出許可、検
疫検査、リーファー(冷凍冷蔵用)コンテナの手配等、未経験者ばかり。無事納品出来
たものの、大変な思いをしました。今後もこうした試練は続くと覚悟しています。
また稚蟹の安定的確保も大きな課題です。地元の漁師との間で、稚蟹の優先安定供給の
約束を交わしていましたが、最盛期であっても、稚蟹もサイズにより不漁があります。
稚蟹は、ここ30年程、タイ、インドネシア、ミャンマーが、主な産出国として世界に供
給してきました。これら諸国では、稚蟹の枯渇がみられ、資源保護の観点から出荷制限
の動きが出ています。バングラデシュも同じ動きにならないとも限りません。
そこで、稚蟹の種苗生産技術が出来ないかと検討・調査していたところ、なんと!日本
の水産研究・教育機構 西海区水産研究所の石垣島亜熱帯研究センターで、2004年より
この研究技術を開発していることを知りました。この日本の技術を如何にバングラデシ
ュで活かすことが出来ないか、これが私の目下の最大の挑戦です。


現養殖池 約20,000 坪


朝礼後、スタッフと一緒に(前列右から3人目が筆者)

■3)『バングラデシュの衣類産業と障害者雇用』
              一橋大学大学院経済学研究科 博士課程後期 金澤真実

私は、1990年に青年海外協力隊員としてバングラデシュに赴任して以来、現在に至るま
で細々とバングラデシュに縁をつなぎ、気が付けば28年が経ちました。様々なご縁の中
で、2005年、修士論文執筆のため三度目のバングラデシュ滞在をした際、障害のある女
性たちとの出会いがありました。女性であると同時に障害者であるがゆえに、幾重もの
困難の中に生きている彼女たちとの出会いによって、博士課程に進学することを決意し
、彼女たちが「普通の」女性として地域で生きていくことができる支援の在り方を研究
することになりました。今回、日バ協会でも多くの会員の方が携わっていらっしゃる衣
類産業で障害者を積極的に雇用する企業を紹介させていただくことで、障害がある人々
の就業機会が広がり、「普通」の暮らしに繋がればと願っています。

バングラデシュの障害者は、国勢調査では人口の約1.4%(2011)とされているが、生活
上に何らかの不自由を感じる機能障害を持つ人は、人口の約7%(HIES 2016)いる。障
害者は、家族にとっては負担であり、地域の人々、また地域の開発団体にとっては、憐
れみや福祉の対象であっても、地域の開発と発展を担う一員であるとは考えられてこな
かった。そのため、障害者は教育や職業訓練を受ける機会が少なく、貧しい人々の中で
もとりわけ貧しく困難な中で生きてきた。このような障害者を積極的に雇用する企業が
ある。もちろん、その数は未だに限られており、また比較的軽度の障害をもつ人々の雇
用に限られてはいるが、障害が軽くても就労する機会の乏しかった障害者、特に障害の
ある女性にとっては朗報である。今回、少しデーターが古くなってしまったが、2013年
に行った衣類産業における女性障害者の就労調査を基に一つの企業を紹介したい。以下
で紹介するデーターは、すべてその当時のものである。
調査した企業の中で最も多くの障害者を雇用していたのは、Keya Knit Composite
LTD(KKC)である。Keyaは、化粧品や浴用石鹸などの衛生用品製造と繊維、衣類製造部門
に9つの傘下企業を持ち、現地では誰もが知る有名企業である。KKCは、ダッカ郊外にあ
る工場でTシャツやポロシャツなどを製造し、主にアメリカやヨーロッパに製品を輸出
している。障害者は、工場の管理部門と工場部門(縫製、裁断、品質管理・検品、メン
テナンス、安全管理等)のすべての部門で雇用されており、約4000人の労働者のうち、
770名が障害者である。KKCに限らないが、身体障害があって縫製工を希望する場合、ミ
シン操作のため、左右どちらかの目が見えること、右手が使えること、左足が使えるこ
となどが雇用の条件となる。KKCでは、雇用している障害者の多くが縫製工で、中でも
聴覚障害者が多数を占める。聴覚障害者は、他にも工場内の裁断、品質管理・検品とい
った大きな音が絶えず発生している部門で働いている。彼らにとって、騒音ともとれる
大きな音は問題にならず、そのような環境でも集中力を絶やさないという点が評価され
ている。また、工場の正門では、女性警備員として制服に身を包んだ8名の全盲の女性
たちが働いている。彼女たちは、女性の来客があると脇に設置してあるカーテン付きの
ボックスに来客を導き、ボックスの中で身体検査(ボディタッチ)を行い、来客がなに
か不審なものを持っていないかをチェックする。
KKCでは、雇用に際して障害者のみに適用している優遇措置がある。応募の条件を大卒
以上に限っている管理部門では、障害者は中期中等教育修了認定(SSC)以上となって
いる。また、管理部門以外では、障害者は自分の名前を書くことができれば学歴は問わ
れない。障害者の採用にあたっては、面接試験が免除され、希望職種に空きがあれば応
募の書類を提出するだけで採用される。縫製工など技能研修が必要な者には、たとえば
、聴覚障害者には聴覚障害者のスーパーバイザーがつくなど障害に配慮した取組がなさ
れている。給与面での待遇は、同一職種同一賃金で、同じ職種ならば障害者と非障害者
の間に給与の差はない。KKCが、調査した他の企業に比べても圧倒的に多くの障害者を
雇用している理由は、障害者を最低20%雇用するという理念を打ち出したKeya創業者の
強いリーダーシップと企業の社会的責任(CSR)を果たすためであるという。さらに、
縫製工など技術職の労働者は、少しでも賃金が高い工場へ簡単に転職をしてしまう傾向
にあるが、障害のある人々は他の工場でも今と同じ待遇が得られるかどうか分からない
ため、KKCで働くというコミットメントが強く、信頼のおける労働者であるという。
輸出用衣類製造業者の組合であるBGMEAが、2011年に会員企業全体に向けて出した障害
者雇用推進のための通知書では、Keyaの事例が紹介されている。この通知書以降、衣類
産業で障害者雇用が進んできたと障害者支援を行うNGOのスタッフは評価する。その
BGMEAでも全盲の職員が2名働いている。一人は男性でウェブ(HP)担当、もう一人は女
性で、組合員の企業で雇用される労働者のための電話による労働問題相談員である。
バングラデシュの民間における障害者雇用は、障害者団体が主催するジョブ・フェアー
などが開催されてはいるが、障害者全体の雇用はまだまだ進んでいるとはいえない。も
ちろん、障害者を雇用する企業と働く障害者の間に全く課題がないとは言えないし、企
業には合理的配慮というある種の負担も求められるだろう。しかし、バングラデシュが
批准している「国連障害者権利条約」は、障害者の労働の権利と労働によって生計を立
てる権利の保障と促進を求めており(27条)、バングラデシュ国内法の「障害者の権利
と保護法」(2013)でも、雇用における機会均等が定められている。障害者の雇用が、
慈善や福祉的見地からではなく、障害がない人同様に一人の労働者として能力を評価さ
れ、待遇される機会が広がることを願ってやまない。

■4)『在バングラデシュ大使時代の思い出(その3)』
      日本国際教育支援協会理事長(前日本バングラデシュ協会理事) 井上正幸

以前、2015年8月号のメルマガ第13号と2017年5月号の第34号で、在勤時代の思い出を述
べたが、追加していくつかのことにつき触れてみたい。
着任が2006年5月半ばであり、雨季前の猛烈に暑い時であった。直後より、信任状奉呈
、ジア首相訪問、ハシナ野党党首訪問、閣僚や軍幹部、経済界への着任挨拶、外交団、
世銀他援助機関への挨拶など、多忙な日々を送っていた。

< 日本留学経験を持つ医療従事者 >
同年7月半ば、急に体調を壊しインド系資本の「アポロ病院」に入院したが、次の日朝
起きたら、医師の先生が上手な関西弁で「井上大使、お加減どうですか」と尋ねてきた
。驚いて目を見張ったが、先生曰く、自分は大阪大学に留学経験があり、心臓などの専
門医であること、数年に一度は医療技術の最先端の学びのために大阪大学の研究室に行
っていること、また、病状はそんなに心配しなくても良いことなどの説明があり、安堵
したものである。
その後先生同様、日本語を話せる奥さんとも交流を深めることができた。奥さんはご主
人の留学期間中、スーパーマーケットでアルバイトをし、いくばくかの収入も上げてい
たそうだが、併せて、日本人友人も沢山作り、大変有意義な滞日経験であったと述べて
いた。
このような自分自身の体験により、それまでも赴日元留学生の会のメンバーとの交流は
あったが、特に、医学歯学関係の留学生にも注目するようになった。
2017年5月現在の出身国(地域)別留学生数(別表1参照)によると、1位中国、2位ベト
ナム、3位ネパールと続き、バングラデシュから日本への留学生は2,748人で、12位を占
めている。ちなみに隣国インドからの留学生は、1,236人で16位であり、バングラデシ
ュからの順位が上なのは、私が在勤していた当時と同様である。
先方政府等幹部への表敬訪問に際して、この数字を説明すると、一様に「バングラデシ
ュは大変な親日国であるから」として嬉しそうな表情を見せたものだ。
また、こちらもご参考までの数字になるが、別表2の南アジア5か国(ネパール、スリラ
ンカ、バングラデシュ、インド、パキスタン)からの国別留学生数の推移もご覧頂きた
いと思う。バングラデシュの数字も伸びているが、ネパールとスリランカの急増ぶりに
は、目を見張るものがある。

< 医学のみならず歯学でも >
中には、医学のみならず歯学関係でも日本は大変な貢献をしており、「サッポロ歯科病
院」の存在を挙げ、そこにはいつもお世話になっているという政治家もいた。この歯科
病院は、北海道大学歯学部に留学したグループが、北大の先生方の協力も得て設立した
病院である。徳島大学にも精力的にご協力頂いていたという記憶がある。
歯学については現役の公務員であった1990年代半ば、日本学術振興会を通じ、東京医科
歯科大学が中心となり、タイへの歯学支援を行いたいという要請があった。その理由を
聞いたところ、一つには経済発展に伴いモータリゼーションが進み、交通事故の結果と
して歯を痛め、その矯正需要が高まっていること、二つには甘味飲食に伴い虫歯治療が
増加しているということであった。
昨今のバングラデシュの経済発展の傾向を鑑みると、同じようなことが現れているので
はないかと思われる。また、北大の先生のもう一つの指摘では、バングラデシュ農村に
行くと、子供が練り歯磨きを使用せず、指を使って燃やした炭の灰で歯を磨いていたそ
うだが、灰の中にある発がん性物質により、口腔がんが増えているということであった
。このような分野でも更なる協力が可能なのではなかろうか。

< 忘れ得ぬ二人の先生 >
さて、二人のお医者様について思い出を語りたい。お一人は「ダッカ山形病院」を経営
されていたフセイン先生だ。先生は元々バングラデシュで医師免許を取得されたのち、
山形大学に留学された経験を持つ。専門は整形外科と承知しているが、幅広く様々な分
野の医療行為を施されていた。病院は、どちらかというと貧しい人が住んでいるダッカ
の下町、モハマッドプールにあり、貧しい人たちには廉価で治療を行っていた。そして
、先生は敬虔なイスラム教徒であった。この病院には、病気になった数多くの青年海外
協力隊員や日本人バックパッカー達もお世話になっており、日本語が堪能で、日本人の
体を良く把握されている安心もあり、時に大使館員もお世話になった。家内もクルナか
らの帰路、ポッダ河上のフェリー上で食したマンゴーでお腹を壊した折、2~3日入院し
たことがある。
先生には帰国後、山形大学や山形済生会病院が、物心両方での支援を継続的に行ってい
たが、帰国留学生をかつての留学先が継続的に支援するという、政府レベルではない国
際交流として、心強い事例を見ることができた。
同じような例が、ホセイン先生だ。ウットラで病院を開業し、後にバングラデシュ政府
の支援も得て、大きな教育機関も立ち上げた方である。「赤ひげ先生」と我々は言って
いたが、貧しい人たちからはできるだけ低廉の医療費を取るだけであった。元々は名古
屋市立大学医学部に留学されていたが、名古屋のソロプチミスト協会や大学婦人協会が
、先生の帰国後、病院設立のための支援を行ったとのことである。

< 望まれるバングラデシュの看護師養成 >
選挙管理内閣時代、保健アドバイザー(保健大臣)から、医師の他、看護師養成につい
ても要請があった。前述のアポロ病院では、数多くのインド・ケララ州出身の看護師達
が勤務していた。ケララ出身の看護師は水準が高く、欧州にも数多くの同州出身の看護
師達が活躍しているとのことであったが、保健大臣は、質量ともに不足しているバング
ラデシュの看護師を、国内的にも強化し、国際的にも活躍させたいという希望を有して
いた。大臣は元々医者出身の陸軍軍医中将であったから、PKOでの経験なども踏まえ
、その必要性を痛感していたのかもしれない。JICA関係者ともその可能性について
ずいぶん話し合ったが、結果としては難しかった。他の国などで、この分野の協力には
どのようなサクセスストーリーがあるのか知りたいものである。
この他、薬の製造・輸出(特にジェネリック)もバングラデシュにとって有望な分野だ
が、そこでの協力はあまり知り得る機会がなかった。

< ~医学・医療、看護の源~ 初等中等教育での理数科教育 >
さて、上記に述べた様々な医学・医療や看護分野は、初等中等教育、なかんずく理数科
教育をその基本としている。JICAは他のドナーと一緒になって、この分野の教師用
指導所の開発に努めていた。その思い出を一つお話したい。
農業大学や教員センターのおかれているマイメイシンの街は教育都市と呼ばれており、
土地の出身者はそのように呼ばれることを誇りとしている。JICAは、教育関係者向
けに開発した教師用手引書のお披露目会を、バングラデシュ教育省事務次官も交えて開
催し、私も出席し、祝辞を述べたことがある。関係者は近隣の理数科の指導主事の方々
であったが、私は席上、祝辞のみならず、簡単な理科の実験を試みた。静電気の発生、
大気圧の存在などである。
現役の頃、まだアジア全体が経済発展する前、バンコクにあるユネスコ・アジア太平洋
事務所は、重点的な分野の一つとして教育工学を選び、日本の専門家に指導を仰いでき
たことがあった(1978年当時)。その頃から情報工学が徐々に発展してきていたが、日
本は情報工学の専門家と、アジア太平洋の発展の隔たりを踏まえ、手頃な理数科教材を
使った指導も試みていたのである。その時の経験がこの席で役に立った。とてつもなく
高価な手法ではなく身近にある教材で、理数科教育のエッセンス、すなわち、科学的な
興味関心をどのように子供たちに教えられるか、という試みである。教育省次官も大変
興味を持って下さり、その後、彼が対外協力省次官に異動になった後も、そのことにつ
いて触れることがあった。

< 日本の近代化における貴重な経験 >
バングラデシュも小学校の先生は女性が多い。地元を離れこういう研修に出ることは、
親や夫の反対も多く簡単なことではない。女子教員のための宿泊可能なセンターの設置
や専門家の派遣、先方専門家の受け入れ研修など、限られた予算を有効に使う手立てが
考えられまいか。その意味で日本が近代化を成しとげた過程における経験が役に立つの
ではないかと思われる。更なる二か国間の協力に期待し、思い出話を終わりたいと思う
。 

■5)『イベント・講演会のご案内』
〇国立民族学博物館などの特別協力による「アジア・アフリカの難民・避難民展」 
 2018/9/17~2019/3/15
 http://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/event/behive_ajia_africa/

〇写真展: 未来につなぐ命 ~ロヒンギャ難民キャンプで働く人びと~ 9/29~10/19
 https://peace-winds.org/news/pwj/14298

〇映画「アイ・アム・ロヒンギャ」上映 10/8、10/19
 https://www.soka.ac.jp/topics/2018/09/3310/

〇10月20日・21日 UNHCR難民映画祭 2018・学校パートナズ
 http://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/event/10-2021-unhcrmovie/

■6)『事務連絡』

〇会員情報変更届のお願い:
事務局では会員各位の連絡先等の最新版を常備する必要がありますので、皆様の住所変
更、メールアドレスが変更されました場合は   まで
お知らせ下さるようお願い致します。

〇年会費納入のお願い:
平成30年度年会費が未納の会員の方々は、下記協会のゆうちょ口座へお振り込下さるよ
うお願いします。
ゆうちょ口座からの振込
口座名称 一般社団法人 日本バングラデシュ協会
      シヤ) ニホンバングラデシュキョウカイ
口座記号番号  00160-2-513606

〇本協会の活動などについてご意見等ありましたら、お知らせください。
また、メール・マガジンに載せたいご意見、情報、その他昔のバングラデシュ
勤務時の思い出などお寄せ下さい。
宛先:info@japan-bangladesh.org
(約1500字。体裁上若干の修正あり得ることご了承下さい。)

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一般社団法人 日本バングラデシュ協会

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