日本バングラデシュ協会の皆様へ

■目次
1)『日本バングラデシュ協会メルマガ第51号会長メッセージ
-バングラデシュ劇団「ショプノ・ドル」の東京公演-』   会長 堀口松城
2)『現地便り : 高知県の稲作レポート 』
株式会社ケンツー代表取締役会長 三谷健二
3)『バングラデッシュと私』(連載 第I部)
三井物産(株)社友 古家秀紀
4)『イベント・講演会のご案内』
5)『事務連絡』

■1)『日本バングラデシュ協会メルマガ第51号会長メッセージ
-バングラデシュ劇団「ショプノ・ドル」の東京公演-』   会長 堀口松城

1.去る11月3日、4日の両日、バングラデシュの劇団「ショプノ・ドル」が「フェステ
ィバル/トーキョウ」に招かれ、池袋の東京芸術劇場において代表作『30世紀』の公演
を行いました。
この「フェスティバル/トーキョウ」は、東京芸術劇場を始め池袋エリアの文化拠点
を中心に、舞台芸術の新たな可能性を追求する国際舞台芸術祭として2009年に誕生した
ものです。2014年からは国際交流基金などとの共催で始められた「アジアシリーズ」の
下で、毎年アジア地域から国を選び、その国の舞台芸術を中心とするプログラムを実施
してきており、これ迄の5年間で、韓国、ミャンマー、マレーシア、中国を取り上げて
きたそうです。主催者としては同プログラムの下で、その整合性の不在を認めたうえで、
国境ではなく新たな視座から世界を見渡す可能性を提示していくことを使命としている
由であり、このような見地から、本年は、タイ、カンボジアの劇団と、バングラデシュ
の「ショプノ・ドル」が招かれました。

2、ダッカを拠点とする劇団「ショプノ・ドル」は、2002年以来17年に亘り、広島平和
記念日に合わせて原爆の犠牲者を追悼すべく、代表作「30世紀」の上演を続けてきてい
ますが、この作品は、ベンガル人演出家のバドル・ショルカルが書いた戯曲をベースに、
ショプノ・ドルの劇団長兼演出家のジャヒド・リポン氏が脚色、演出したものであり、
広島、長崎の悲劇をもとに、核開発や、原爆投下に係わった者たちへの問いかけや、被
爆者の証言を軸に話しを展開しつつ、さらに1971年のバングラデシュ独立戦争やパレス
チナ、イラクなど中東諸国で現在起きている出来事を交えながら戯曲を脚色したものの
由です。
また、この「30世紀」は、役者の演技を通して物語を展開する一般的な演劇とは異な
り、主に「語り」と「歌」を交えたベンガル地方の伝統的な演劇手法を用いながら、小
道具、大道具などのない空間で、バングラデシュの伝統的な織物や、現代と情報を象徴
する新聞紙、俳優の身体を効果的に用いて舞台を作り上げており、シンプルながら鮮や
かでエネルギッシュな作品になっている由です。

3.広島、長崎への原爆投下については、私のダッカ勤務中も、8月6日になると、毎年
ダッカのどこかで、同原爆投下による犠牲者を悼み、その意味を考える集会が行われる
ことを知り驚いたことがあります。  ある時、その集会の場で、知り合いの男性が近
づいてきて、「当時日本は、既に降伏の意思を固め、その条件を米に打診していたのに、
米がその返事を留保したまま、原爆を二発も投下したことは不当である」旨述べていた
のを聞いて、公邸に帰って早速調べてみると、日本政府は1945年初めには、ポルトガル、
スイス、ソ連などを通じて、降伏の条件として天皇制の維持だけは認めて欲しいと米へ
の取次ぎを依頼していたことを初めて知り、その知人に感謝したことがありました。
一方、バングラデシュはインド、パキスタンの核保有国に挟まれ、1999年5月にはカ
ーギル紛争が発生し、核戦争の具体的脅威に晒された経験があったため、広島、長崎の
原爆投下は決して他人事ではないことが、同国民の核問題に対する強い関心の理由にな
っているのです。

4.翌11月5日、バングラデシュ大使館で、「ショプノドル」のジュアナ・ショブノム
劇団長夫人による独り芝居「ヘレン・ケラー」が上演され、招待されたので見てきまし
た。
この芝居は、ヘレン・ケラーの自伝をもとに、タゴールの東洋的思想が反映された戯
曲で、盲目のヘレン・ケラーがタゴールの白く長いひげを触りながら交流する動画のシ
ーンが背景に映されます。それは、タゴールが1930年、ニュー・ヨークのニュー・ヒス
トリー・ソサイアティーを訪問した時のもので、この時タゴールは、アメリカにおける
ヘレンの様な障碍者の問題と、インドにおける平和の問題を取り上げましたが、そのス
ピーチの記録が残っている由であり、その内容については、機会があれば、追って東京
外国語大学の奥田先生に報告して頂ければと思っています。


■2)『現地便り : 高知県の稲作レポート 』
株式会社ケンツー代表取締役会長 三谷健二

皆様こんにちは!
K2 Logistics Bangladesh Ltd (親会社は株式会社ケンツー)の三谷健二と申します。
ここバングラデシュには、2008年マーケットリサーチに来た後、2009年に衣料品アパレ
ルの第三者検品場として、法人設立させていただきました。現在駐在員10名、アパレル
MD14名、検品QC1300名で、ダッカ2拠点、チッタゴン1拠点で運営させて頂いております。
今回日本バングラデシュ協会の先輩達から、テーマはバングラデシュに関することとい
う内容で、メルマガへの寄稿の依頼がありました。そこで、ここバングラデシュで生活
する私どもが、一番困っていることはと考えた時、「いの一番」に浮かんだのが食事の
ことでした。特に主食のお米のことでした。
これまで私は、この10年間、月に1回出張ベースでバングラデシュに来ています。お客
様のアテンド又はエスコートが当然の職務なのですが、別の意味で食材の運び屋として、
主にお米を中心に毎月100KG弱の食材を持参してきました。私も還暦を幾つか越え、何
でも知っている様な顔をして世間を歩いていました。ところが、ふと、お米のことを思っ
たとき、それがどうして作られ、どういう経過で毎日食してきたかと考えると、恥ずか
しながら何も知らなかったのです。
そこで、私の出身県の高知県西南地域の中村商工会議所の溝渕様、四万十市地元のお米
のまとめ役の(株)米蔵の池田社長に協力を願い、高知県四万十地域の米事情を、以下
にレポートさせて頂きます。

高知県の稲作
お米の美味しさを決める要因には、きれいな水、昼夜の気温差、日照時間、夜間の低温
といった自然環境が、まずあげられます。
南国高知にある四万十地方は稲作に不向き?――いや、そんなことはありません。
高知は日本一の森林県。
特に深い山間で清流四万十川を持つこの地域は、きれいな山水が豊富な上に、日照時間
が長く、昼と夜の寒暖差が激しい、まさに美味しいお米が育つ条件を満たす場所なので
す。
また、高知県は、温暖、多雨、多照(日照時間が長い)など、地域特有の気候を持つ共
に、面積が広いため、県西端と東端で季節の移ろいに差が生じます。
高知県では、これを活かしたユニークな稲作に取り組んでおり、とても興味深く、本レ
ポートでは、今まであまり注目されていなかった、南国高知での美味しい米づくりにつ
いてご紹介したいと思います。

全国で最も早くおいしい新米の産地
前述のとおり、高知県は温暖(年平均気温約17.0℃)、多雨(年間降水量約2,000mm)、
多照(年間日照時間約2,300時間)という地域特有の気候を持ちます。これは、早期米
栽培にはこの上なく適した天候であり、高知県は全国(沖縄を除く)で最も早く新米が
できる産地なのです。
しかし、早場米の産地と呼ばれる場所は温暖な気候であることが多く、近年では温暖化
による高湿の影響などで、8月までに収穫する早場米の品質が低下する傾向があり、高
知県も例外ではなかったのです。
いくら全国で最も早く新米を出荷できても、美味しく食べて頂けなければ、意味がない
ものになってしまう。そこで、高知県は全国で最も早い時期に食べられる、コシヒカリ
並みの美味しいお米の開発に乗り出し研究を行いました。
そして、実に14年の歳月をかけて完成したのが、高湿に強く7月中に収穫できる極早生
米の新品種「よさ恋美人」です。
「よさ恋美人」は粒が大きくきれいなことも特徴で、今年は全国的に気温が高めに推移
しましたが、一等米比率は8割を超えています。

新米出荷リレー
「よさ恋美人」をはじめとする極早生米は、温暖で、多雨、多照の気候に向く品種です
が、高知県は東西に広く、また平野面積が県土のわずか16.3%であるため、県西部と県
東部、また平野部と山間部とでは気候が大きく異なります。
このため、高知県では「よさ恋美人」のみ集中して栽培するのではなく「コシヒカリ」
や「ヒノヒカリ」「ニコマル」など、その土地に適合した米を栽培しており、少し工業
的な言い方をすれば「少量多品種生産」での栽培を行っているのです。
当然、品種や気候が変われば、新米を収穫する時期も変わってきます。「よさ恋美人」
は7月下旬に収穫ですが、「コシヒカリ」は8月初旬、「ヒノヒカリ」「ニコマル」は10
月~11月ごろ収穫期を迎えます。
つまり、高知県は「よさ恋美人」から、「コシヒカリ」「ヒノヒカリ」「ニコマル」へ
と新米の銘柄リレーが可能であり、いろいろな味の新米を長く楽しむことができる産地
なのです。

と、以上の様な事情で有った訳です。
現在、ここバングラデシュで美味しいお米をタイムリーに食べるように、上述の中村商
工会議所、また米蔵さんと協力し、早期のバングラデシュへの輸出を計画しております。
来年にはバングラデシュにお住いの皆様に、美味しい旬のお米を提供させていただきた
いと思っております。この件については後日、バングラデシュ日本人会及びバングラデ
シュ日本商工会を通して報告させて頂きます。
ご一読ありがとうございました。

■3)『バングラデッシュと私』(連載 第I部)
三井物産(株)社友 古家秀紀

はじめに
私が、当時の東パキスタン州(現在のバングラデッシュ)と関わりを持ったのは、西パキ
スタンのカラチに水族館を完成した直後、1967年4月から会社の南西アジア・中近東地
域の営業担当になり、さらに1969年6月~8月に初めて同国へ長期出張したことでした。
次は1970年6月~1974年3月末までの約4年間、ダッカ・シタラキヤ橋の建設副所長とし
ての在勤で、その間、バングラデッシュの独立運動と印パ戦争、独立後の国造り過程を、
現地で直接体感することが出来ました。
3回目の滞在経験は1989年12月~1993年2月までの3年強、三井物産のダッカ及びチッタ
ゴン事務所長としての勤務。独立してから20年の成人式を迎えたバングラデッシュを体
験することができました。
昔お世話になったバングラデッシュの方たちは既に亡くなられましたが、今でもそのお
子さん達と交流があることを誇りに感じ、彼らの成長を楽しみにしています。他方で、
バングラデッシュには、自分が情熱を注いで建設に従事した橋梁などの構築物があるだ
けではなく、忘れがたき想い出の数々がある為に、私にとっては同国が第2の故郷でも
あります。

以下、私が同国で体験したことの幾つかを記述してみたいと思います。

1.東パキスタン時代(1967年4月~1971年3月)
1967年4月に南西アジア・中近東地域の営業担当に着任してから、チッタゴンに漁港建
設の構想があることを知り、その具体化に向けて営業活動を開始。元請け三井物産、下
請け清水建設の実施態勢を組んで臨みました。このプロジェクトが東パキスタンの人達
に魚の蛋白資源を提供することを目的としていることを、日本政府の関係諸機関に説明
して回り、円借款(当時は輸出入銀行が担当)が、商品ではなくプロジェクト案件に適用
された第1号となりました。そのために、日本政府に円借の割り当てをしてもらうべく、
根回しに相当苦労したことを、今でも思い出します。そして、また清水建設さんにとっ
ては、本件が請負ベースで実施する初めての海外工事だったために、同社内部では新た
に海外給与規定を設ける契機になりました。

私が初めて同国を訪問したのは、1969年6月でした。チッタゴンに漁港を建設するため
の主要資機材の船積みが終り、現地工事が最盛期に向かいつつある時期でした。8月末
までの3か月間をチッタゴンで暮らしました。漁港の建設場所はカルナフリ川を挟んで
街の反対側にあった為、専用の小舟に乗って水しぶきを浴びながら通勤したことを思い
出します。更にまた、この漁港を設計するための参考にする目的で、清水建設さんの専
門家と一緒に、小田原や焼津の漁港を見学して回ったことも懐かしい想い出のひとつで
す。

次に受注した仕事は、アジア・ハイウェイ構想の一環として計画されたダッカ‐チッタ
ゴン・ハイウェイ・プロジェクトの一区間、シタラキヤ川を渡河するPC橋の建設でした。
工事のコンサルタントは米国のAmman & Whitney社。世界銀行の融資を受けたプロジェ
クトだったので、国際入札が前提。三井物産‐大林組のJVで応札した結果、1番札で受
注しました。
この橋を完成する為に、1970年6月から1974年3月末までダッカ暮らしを体験しました。
約4年間の滞在期間中に、大サイクロンの襲来、独立運動、内乱、印パ戦争、新生国家
の誕生と国造りなど、バングラデッシュの激動の歴史を現地において体験することが出
来ました。

2.独立への機運と緊張の高まり(1971年3月)
最初の出張期間(1969年6月~8月)中は、親しくなった現地の人達からパキスタンの中央
政府に対する不満の声を聞くことはありましたが、噂話の程度でした。しかし、約1年
後に再入国した時には、国家財政や行政上の扱いで、西に比べて東が、大変不平等に扱
われているとの不満を、一般の人達からも耳にする機会が多くなり、新聞の論調も、東
西パキスタン間の関係に政治的な亀裂が生じて、緊張が徐々に昂まっている様子を報じ
る記事が増えました。
そのような環境下、1971年3月7日現場から宿舎への帰途、競馬場(Race Course)脇の道
路を車で通っていたら、群衆が、手に手に竹竿を持って、次々とRace Courseに集結し
てくるのを見かけました。この時にバングラデッシュ独立運動のリーダー、シェイク・
ムジブル・ラーマン氏が、あの有名な大演説を行ったことを数日経った後に知りました。
この大演説の後、国内の緊張状態は一挙に激化して、治安部隊による武力弾圧の開始と
治安が一挙に悪化するリスクが懸念される事態になり、そのために、同国に居た外国人
の間では一斉に国外退去する動きが始まりました。各国が救援機を呼ぶ手配をする中、
日本政府も3月12日と13日にバンコクから救援機を往復させて邦人の救出作戦を行いま
した。非協力・非暴力運動で完全に機能が麻痺したダッカ空港に、日本航空の救援機が
バンコクから飛来し、エンジンを止めずに乗客を直ぐに乗せて直ぐに飛び立つ作戦のも
と、私達日本人残留者が乗降用のタラップを手押しで機体に横付けして、乗客が搭乗し
終わったら元の場所に押し戻す作業を行いました。私と一条所長が、残留せざるを得な
かったのは、始めたばかりの連続してコンクリを打つ必要がある橋脚工事を、雨季の洪
水の到来を間近に控えて、もし中断すると、位置がずれてしまう危険があるために、工
事を中断する訳にはいかなかったことによるものです。

非協力・非暴力の独立運動が始まってから、夜間外出禁止令やハルタルの回数は増加、
私の当時の手帳によると、3月23日の“Pakistan Day”の日には、同日を東パ側は“
Lahore Resolution Day”と呼んで、その日の朝は一斉に多くの民家の門口に新しいバ
ングラデッシュの旗が次々と掲げられるのを見ました。ダッカの街全体が、興奮に包ま
れ独立に向けて動き出したのを感じました。
(12月号に続く)

■4)『イベント・講演会のご案内』
〇日バ協会第27回講演会(11月29日(木))
『経済産業省のバングラデシュに関する取組』
講演者:三宅 保次郎 (経済産業省 通商政策局・南アジア室長)

第27回講演会のお知らせ 2018年11月29日(木曜日) 『経済産業省のバングラデシュに関する取組』


〇東京外国語大学 外語祭 語劇 ベンガル語専攻
演目「シュクとドゥク」 11月21日(木) 14:20~15:10

語劇


〇「カジ・ギャスディン展」(11/5~11/17 浜松町 小林画廊)
http://www.kobayashi-g.co.jp/ja/
〇A FOOD ABOUT BANGLADESH(ベンガル語でバングラデシュ料理を楽しもう) 11/18
http://www.hi-hice.jp/j_event_cal.php?y=2018&m=11#01086
〇国立民族学博物館などの特別協力による「アジア・アフリカの難民・避難民展」
2018/9/17~2019/3/15
http://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp

■5)『事務連絡』

〇会員情報変更届のお願い:
事務局では会員各位の連絡先等の最新版を常備する必要がありますので、皆様の住所変
更、メールアドレスが変更されました場合は <info@japan-bangladesh.org>  まで
お知らせ下さるようお願い致します。

〇年会費納入のお願い:
平成30年度年会費が未納の会員の方々は、下記協会のゆうちょ口座へお振り込下さるよ
うお願いします。
(12月に会費納入のお願い書と振込用紙を再送させていただきますのでご確認下さるよ
うお願いいたします)
ゆうちょ口座からの振込
口座名称 一般社団法人 日本バングラデシュ協会
シヤ) ニホンバングラデシュキョウカイ
口座記号番号  00160-2-513606

〇本協会の活動などについてご意見等ありましたら、お知らせください。
また、メール・マガジンに載せたいご意見、情報、その他昔のバングラデシュ
勤務時の思い出などお寄せ下さい。
宛先:info@japan-bangladesh.org
(約1500字。体裁上若干の修正あり得ることご了承下さい。)

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一般社団法人 日本バングラデシュ協会

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