日本バングラデシュ協会の皆様へ

■目次
1)『日本バングラデシュ協会メルマガ第53号会長メッセージ
日本語版グラフィック・ノベル「バングラデシュ建国の父ムジブ」の出版
会長 堀口松城
2)『日本法弁護士としてのバングラデシュ進出支援の取組みと課題』
西村あさひ法律事務所 弁護士 今泉 勇
3)『バングラデッシュと私』(連載 第Ⅱ部)
三井物産(株)社友 古家秀紀
4)『イベント・講演会のご案内』

■1)『日本バングラデシュ協会メルマガ第53号会長メッセージ
日本語版グラフィック・ノベル「バングラデシュ建国の父ムジブ」の出版
会長 堀口松城

1.去る11月26日バングラデシュ大使館で、同国建国の父、ムジブル・ラーマンに関す
る日本語版グラフィック・ノベルの出版記念会が開催されました。本書は2012年にベン
ガル語で出版され、3年後日本語版が発売されたムジブル・ラーマン著「未完の回想録
」(日本語版は、渡辺一弘前日バ協会理事訳)を、アワミ連盟系シンクタンクの「調査
広報センター」の依頼により、バングラデシュのコラミストで風刺漫画家のラドワン・
ムジブ・タノモエ氏が、小学校上級生、中学生向けのグラフィック・ノベル(漫画) と
してやさしく書き直したものです。
本回想録は日本語版で600頁を超える大著で、当時のバングラデシュの歴史をよく知
らない読者にとっては、必ずしも理解し易いものではないことから、これを「漫画」風
に書き直し、さらに日本語版にして出版すれば、多くの日本人が、建国の父ムジブル・
ラーマンの人となりや当時のバングラデシュの困難な歴史を知ることとなるべく、日本
語版出版の意義はかなり大きいと思われます。
タノモエ氏によるこの回想録の「漫画化」は現在5巻まで出版されており、今後12
巻まで作成予定とのことですが、今回その第1巻及び第2巻を一冊にして、イムラン・シ
ァリフさんと、大橋正明聖心女子大教授(本協会顧問)が和訳されたものです。
2.この出版記念会には、主賓として安倍昭恵首相夫人の他、阿部外務副大臣などが出
席 され、安倍夫人はご挨拶の中で、今回の企画を評価されつつ、今後、もっと多くの
ベンガル語文献が日本語に訳されることへの希望を述べられました。ダッカからは、ハ
シナ首相の妹であるシェーク・レハナさんと、その息子のラドワン・ムジブ・シディッ
クさんが参加されました。レハナさんは、1973年10月、父ムジブル・ラーマン首相とと
もに初めて訪日して以来、今度の訪問が45年ぶり、2度目の訪日の由です。また、息子
のシディックさんは「調査広報センター」の中心人物として、「未完の回想録」の漫画
化プロジェクトのプロデューサー役を勤められているそうですが、このような方々が本
書の出版記念会出席のため訪日され、日本の要人と会われ、日本の状況を知っていただ
くのも、本書出版のもう一つの意義かと思われます。
本書が英語以外の外国語に翻訳され出版されるのは、日本語版が初めてとのことであ
り、日本人の間のバングラデシュに関する知識の底上げに寄与する本プロジェクトの実
現に当たられたファティマ大使はじめ関係者の方々の努力に感謝する次第です。
3.本書の日本語訳は、初めにイムラン・シァリフさんが日本語に訳したものを、大橋
教授が日本人としての立場からチェックされた由ですが、大橋教授によれば、一般の日
本人が知らない背景、事物や登場人物について、注をつけるべきか否か、つけるとすれ
ば、どの位の長さにすべきか、或いは例えば「かんぬき」など、多くの日本人にとって
今や余りなじみのない事物や微妙な名詞などを、いかに訳出するか苦慮され、また、最
終的にはファティマ大使と協議しながら、最終訳を決めた箇所も少なくなかった由です。
一方、最初の日本語訳を作ったイムランさんとは、私はバングラデシュ勤務中に知り
合いましたが、2005年当時、彼が既にIT会社を興し、日本のいろいろな病院から医療
資料のC P用データ化の注文を取り、それをC Pでダッカの本社に送ると、40名前後の、
その多くがインド留学から帰った若者たちが短時間でデータ化し、それを直ちにCPで東
京に送り返すとのビジネスを軌道に乗せているのを見せてもらい、新時代のIT関連ビジ
ネスとはこのようなものかと括目したことがありました。
その後暫くして彼は同IT会社を売却して、ルーマニアの石油関連会社に勤め、その後
イギリス、ドイツとも取引を持ち、家族のいる日本とこれらの国々及びバングラデシュ
との間を忙しく往復しているようです。その間、自分の子供達の成長に合わせ、子供向
けの絵本を自ら書いて出版を始め、これらの作品は現在約6千人の子供たちに読まれて
いる由ですが、これらの絵本の共通のテーマは、子供に自尊心を持たせることであり、
自尊心を持てば、他人も尊重する大人に育つと信じているからとのことでした。
彼の話では、偶々、その絵本が在京バングラデシュ大使館員の目に留まり、今回の「
ムジブ」の日本語訳を頼まれるきっかっけになったのではないかとのことでした。今回
彼は、「ムジブ」の日本語翻訳を引き受けるに当って、バングラデシュ人にとって、い
わば神のような存在である人物に使う日本語に失礼があったりしないか大いに心配して
いたものの、大橋先生にチェック頂けたことで本当に安心している旨述べていました。
先日、本協会メルマガ51号において、第1回東京バングラデシュ・ブック・フェアー
の開催について紹介させて頂きましたが、今回の、そして今後続編の出版が予想される
「ムジブ」の出版といい、また、イムランさんの絵本といい、日バ両国を相互に紹介す
ることになる図書の発行は、近年の両国の目覚ましい関係発展を反映しながら、今後
私たちの予想を超える速さで増えていくものと期待されます。

 


■2)『日本法弁護士としてのバングラデシュ進出支援の取組みと課題』
西村あさひ法律事務所
https://www.jurists.co.jp/
弁護士 今泉 勇

西村あさひ法律事務所は、2018年度より新たに日本バングラデシュ協会の法人会員とな
りました。以下では、当事務所のバングラデシュに関する事業活動について、ご説明さ
せて頂きます。

1.西村あさひ法律事務所
まず、当事務所について簡単に紹介させて頂きます。当事務所は、弁護士数500名超を
擁する、日本で最大規模の法律事務所です。所属弁護士の大部分は、日本資格を持つ企
業法務に精通した弁護士です。当事務所は、日系企業の皆様の海外展開のニーズに応え
るべく、この10年あまり国内外に15拠点を設け(本年10月には、米国ニューヨークオフ
ィスを開設しております。)、海外各国への進出に伴う各種の法的サポートに力を入れ
ております。それに伴い、日本法以外の資格を持つ各国の弁護士・専門家の数も50名を
超えており、日本の法律事務所でありながら同時に国際化を進めております。

2.バングラデシュ法律業務への取組み
バングラデシュとの関係については、現時点では現地拠点はないものの、米国(
2011-12年)、インド(2012-13年)、ベトナム(2016-17年)各国の駐在経験を有する
当職自身(現在は東京事務所勤務)が中心となり、バングラデシュ現地の法律事務所と
協力しながら、日系企業からご相談頂く、バングラデシュ関係の各種法的問題の解決に
対応しています。当職自身は、バングラデシュの業務を始め、ベトナム、インド、ミャ
ンマー等、アジア新興国に関連する法律業務に6年以上、専属的に関わっております。
一般的な法制度の情報提供やバングラデシュ特有でない外国投資一般の助言であれば、
当事務所限りで対応が可能ですが、バングラデシュ法特有の問題となると、同国弁護士
資格を持つ弁護士から助言を受ける必要があります。当事務所でも、依頼者の方から頂
くご相談に応じて、これまで、同国弁護士と共同して各案件に対応してまいりました。
他業種の皆様と同じく、バングラデシュにおける法律業務の処理においては、数多くの
困難に直面しています。

3.バングラデシュ法律業務の課題
守秘義務の観点から詳細を申し上げることはできませんが、例えば、①そもそも根拠法
令の英訳が容易には入手できないという点に始まり、②法令がその通りに運用されてい
ない、③要件が曖昧過ぎて形式的に適用すると、他国で通常行われている商取引ができ
ない(ように見える)というような法適用に関する問題点のみならず、④現地専門家の
助言が納得できない、一貫しない、人によって言うことが異なる、⑤現地の法規制・実
務を日本の本社に説明しても理解してもらえない等、法律を扱う「人」の問題点を含め
、実務的な悩みどころを挙げるときりがありません。
また、業務の性質上、より正確な情報・ニュアンスの確認が必要となりますが、バング
ラデシュでは、企業法務一般の成熟度合いが先進国と比べるとずいぶん遅れています。
そもそも当方側の関心やその背景を理解してくれる弁護士を探すところから始めざるを
得ず、苦労が絶えません。特定の弁護士を見つけてからも、当然、密なコミュニケーシ
ョンが重要となります。
加えて、タイやベトナム等、日系企業の進出がより多い近隣諸国では、現地の(日本人
から見ると明確ではない)法制度・実務を前提としつつ、日系企業としての法務リスク
対応の「相場感」が少しずつ蓄積されていると感じます。しかし、バングラデシュでは
進出日系企業数が、まだそこまで多くないため、ある法務リスクを会社として受け入れ
てもよいのかについてケースバイケースの判断が求められる度合いが高く、より悩まし
い場面が多いと感じております。

4.むすび
以上の通り、当事務所のバングラデシュ関連業務はまだ試行錯誤を続けております。同
時に、現地弁護士から必要且つ十分な助言を得て適切な判断をするには、外国弁護士と
日々やりとりをする日本の弁護士として、依頼者の方のお役に立てる部分も多いと感じ
ております。当会会員企業の皆様のバングラデシュ・ビジネスに少しでもお役に立てる
よう、当会の活動を通じて情報収集を行うとともに、益々研鑽を行い、個別案件におい
て法務面からお役に立てればと存じます。今後ともよろしくお願い申し上げます。

(補足)
会員企業の皆様のご参考までに、バングラデシュ法弁護士のリスト(英文)の情報を共有
させていただきます。
https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/675564/Bangladesh_-_list_of_Lawyers.pdf
こちらは、ダッカの英国高等委員会が英国国民向けに作成し、本年1月に更新されたも
のです。資料1頁にもあるとおり、リストに掲載された法律事務所・弁護士を特に推薦
するものではありませんが、少しでもお役に立てば幸いです。

■3)『バングラデッシュと私』(連載 第Ⅱ部)
三井物産(株)社友 古家秀紀

(11月号よりの続き)

3.武力弾圧と内戦(1971年3月~11月)
3月26日午前1時、遂に、政府軍による発砲が始まりました。ダンマンディ(注:ムジ
ブル・ラーマン邸があった地区)の拙宅周辺でも何度か銃声が響き、夜が明け外を見る
と、死体が転がっていました。その日は終日外出禁止令が出ていたので、家の中で過ご
しました。夜8時のTV・ラジオ放送で「中央政府がAwami Leagueを非合法政党に指定し
、ムジブル・ラーマン氏を国家反逆罪の罪で逮捕する旨発表した」と放送がありました
。以後、ムジブル・ラーマン氏は地下に潜ったとみられ、パキスタン政府軍の兵士達が
軍のトラックに分乗して、車上から銃口を民衆に向けて、市内を巡回し始め、内乱が日
毎に激しくなる一方でした。
檜垣総領事の公邸は、ダンマンディでムジブル・ラーマン邸の直ぐ隣にあったので、軍
隊がラーマン邸に踏み込んだ時に、飼われていた猿が公邸に逃げ込んで来たそうです。
もう一つのエピソードは、3月23日に独立のシンボルとして揚がった緑地に日の丸の新
しい国旗について、友人の親日的な現地政治家が「時が経つと緑色は褪せてやがて白色
になる」、つまり「時間が経てば新生国家バングラデッシュも日本のように立派な国に
なる」と語っていました。尚、その時に揚がった旗を記念に持っていますが、日の丸の
真ん中には金色で描いたバングラデッシュの国土が浮き彫りとなっています。
3月26日の朝以降、ダッカの街の店の大半は閉鎖し、道路上には多数の射殺された死体
が散乱。外出禁止令の合間に車で市内を走ると、街はひっそりして人影がなく、死臭が
あちこちに漂う、不気味な街でした。
シタラキヤ橋の建設現場でも、フォアマンやコンクリプラントの責任者が殺され、機械
類が盗まれるなどの被害が起きました。パキスタン政府軍が、現場保有のブルドーザー
やダンプトラックなどを徴発したため、4月7日には朝から戒厳令本部に座り込み、夕方
になりやっと担当の軍幹部に会見することが出来、迅速な返還を求める交渉をしました
。檜垣総領事にもお願いしてパキスタン政府に抗議をして頂き、それから間もなく返還
が実現した記憶があります。
連日、パキスタン政府軍による徹底した弾圧が続き、夜になるとダッカの街は各所でテ
ロの爆弾が爆発していました。事務所の周りでもドカン、ドカンと不穏な状況が続く中
にあって、停電の為ろうそくの灯を頼りに仕事をしたこともありました。兎に角、我々
は細々と工事を続けたのですが、非公式に聞いたムクティ・バヒニ筋の見解は、シタラ
キヤ橋は独立後の国造りに役立つ施設なのでテロの対象にはしないとのことでした。
私は、毎日朝夕、シタラキヤ橋の建設現場との通勤途上、窓越しに、道路脇の運河で、
毎日禿鷹が何十羽も道の脇に並んで、運河に浮かんでいる複数の遺体をコツコツとつい
ばみ、やがて遺体が骨のみになって河の底に沈んで行くまで食べる光景や、野犬が田ん
ぼの畦道の数か所に転がっている死体を、骨になるまで食いつぶす様子を、車中から窓
越しに見ていた訳です。御飯が喉を通らず、「地獄」とはこのような場所を言うのだろ
うと真剣に思いました。
5月になっても、街中の道路の所々で、治安部隊によって銃殺されたと思われる死体が
散見され、内乱はますます激化。ヒンズー教徒への差別やイスラム教徒との対立などか
ら、約1,000万人が避難民となってインドに逃げ出しました。ダッカに駐在する日本の
大手商社の中で、事務所に邦人がいるのは唯一、三井物産㈱だけとなりました。

4.第3次印パ戦争(1971年12月)
1971年3月25日に始まった内乱は激化の一途をたどり、遂に同年末の1971年12月3日午後
、バングラデシュの独立を支持するインドとパキスタンとが戦争を開始、第3次印パ戦
争が始まりました。インド空軍はソ連製のMiG戦闘機で、パキスタン軍は米国製のSabre
戦闘機を使い、ダッカやチッタゴンの上空で空中戦を展開しました。子供の頃、私は長
崎でB29の空襲を体験し、原爆の炸裂を見ていますが、ジェット戦闘機による戦闘はス
ピードが速く、動きが俊敏なので目を見張りました。
ダッカで身動きが取れなくなった外国人は、国連の救援機で危機を脱出することを望ん
でいましたが、休戦協定は簡単には成立しませんでした。インド空軍の攻撃によってダ
ッカ空港の破壊が進む中、国連が印パ両国と折衝してインタコンティネンタル・ホテル
を〝International Peace Zone″に指定することが出来ました。これに伴い、我々外国
人は同ホテルに投宿して国連手配の救援機が飛来するのを待つことになりました。在留
邦人12名(うち5名は特派員などジャーナリスト)も同ホテルに集結しました。
12月12日になってようやく休戦協定が成立し、国連が手配した救援機に乗って救出され
ました。空爆で滑走路が破壊されていた為に、滑走路に散乱した瓦礫を、我々が箒で掃
き清めて一番機を迎え、同機には先ず婦女子が乗って出発。我々日本人は4番機でした
が、離陸して間もなく休戦時間が切れたとのことで、窓の外を逆方向にインド軍の戦闘
機がすれ違って行くのを見ました。救援機は滑走距離が短くて済む英国空軍のパラシュ
ート部隊が使う機体でした。機内のつり網具を掴んで立つこと約30分間、カルカッタ空
港に到着しました。12名は無事カルカッタに安着したことを喜び合いました。
12名はそれぞれが決めた帰国ルートで日本に帰り着きましたが、私がボンベイ経由で羽
田に到着したのが12月16日の夜でした。この日にインド軍がパキスタン軍に戦勝して、
待望のバングラデッシュ国が誕生したとの朗報に接しました。飛行機に乗って日本に向
かっている間に、バングラデッシュ国が誕生したのです。大きな喜びを感じました。

私事を述べて恐縮ですが、私は、当初12月3日にダッカを出発し、12月13日に自分の結
婚式を挙げるため、帰国する予定でした。しかし、12月3日に、印パ戦争が始まり、予
約していた航空便がキャンセルになり、出国が不可能になってしまいました。結局、日
本に帰国したのは結婚式の予定日から3日遅れの12月16日。この日にバングラデッシュ
は独立国になりましたが、私の独立日(結婚式)は遅れて12月21日になりました。

5.新生バングラデッシュの国造りを見る(1972年3月~1974年3月)
結婚式を終えた後、72年3月に私は新妻を残し、単身で現地に帰任しました。
バングラデッシュに戻って、先ず挨拶に行った先はシタラキヤ橋の施工主である道路局
長でした。同局長が開口一番に言ったのは “Mr. Koga, I’m sorry. We have no
contract with you now.” この言葉に、最初は茫然としましたが、冷静に考えると「
旧政府の契約を新政府が正式に継承しない限り、契約関係は存在しない」と言う道路局
長の論理は正しいことではありました。
翌日から、新政府を当事者とする契約更改に向けて交渉を開始しました。しかし、新政
府の人事組織では、幹部は簡単に交代しましたが、実務のレベルでは、上司になる中堅
管理者がなかなか定着しませんでした。そのために実務の担当官は「自分は何もするこ
とが出来ない」と言って、毎日天井を仰ぎ、手続きが進まない状態が3~4ヶ月間続き
ました。
さらにこのプロジェクトには世界銀行の融資が付いていましたので、新政府の道路局と
しては、新政府、世界銀行、パキスタン政府の3者間で過去及び今後の債権・債務問題
がはっきりと決着しない限り、具体的に行動することが出来ない事情にありました。工
事の継続に関して、私が新政府の運輸省次官と何回も折衝をして、交渉が纏まったと思
ったら、また振り出しに戻る、山あり谷ありの状態が続きました。
その一方で、契約関係が定まっていないのに、現場の保全と洪水対策は実施する必要が
あり、そのために新政府がそれらの対策に使った費用は補填してくれるであろうとの善
人論に立って、対処したことを懐かしく思い出します。
新政府側の態勢が整い、三井・大林JVとの間で改訂契約が締結されるまでには、約2年
間かかりました。その結果、シタラキヤ橋が無事に完成して、同国の産業発展に大いに
役立つことになったと思っています。1974年3月末までの2年間、新生バングラデッシュ
の国造りの一助となる、大型橋梁の完成に向けて貢献出来たことに、内心大きな誇りを
感じています。

(明年1月号に続く)

■4)『イベント・講演会のご案内』

〇国立民族学博物館などの特別協力による「アジア・アフリカの難民・避難民展」
2018/9/17~2019/3/15
http://kyosei.u-sacred-heart.ac.)

■5)『事務連絡』

〇ホームページ更新のお知らせ
この度協会のホームページwww.japan-bangladesh.org/の協会概要に会長挨拶を追記し
、「バングラデシュとは」の項目に記事を掲載しました。 今後も随時関連記事を追記
してゆきますので、ご意見等ございましたらお知らせください。 宛先:
info@japan-bangladesh.org

〇賛助会員制度の導入について
5月の本年度の社員総会で承認を得ました定款の変更に伴い、賛助会員制度が導入され
、本年10月1日から、ホームページでの「入会のお誘い」も、賛助会員としてのご入会
が前提となっており,新たに協会に参加される方々は先ず賛助会員として登録されるこ
ととなりました。

〇会員情報変更届のお願い:
事務局では会員各位の連絡先等の最新版を常備する必要がありますので、皆様の住所変
更、メールアドレスが変更されました場合は <info@japan-bangladesh.org>  までお
知らせ下さるようお願い致します。

〇年会費納入のお願い:
平成30年度年会費の納入が未収とされている会員の方々へは、ご確認の依頼書を送付さ
せていただきましたので、宜しくお取り扱いくださるようお願いいたします。

〇本協会の活動などについてご意見等ありましたら、お知らせください。
また、メール・マガジンに載せたいご意見、情報、その他昔のバングラデシュ勤務時の
思い出などお寄せ下さい。

宛先:info@japan-bangladesh.org

(約1500字。体裁上若干の修正あり得ることご了承下さい。)

===============
一般社団法人 日本バングラデシュ協会

Infomation