日本バングラデシュ協会の皆様へ

■目次
1)『日本バングラデシュ協会メルマガ第54号会長メッセージ』
-発足後5年目を迎える日バ協会の活動の方向-
会長 堀口松城
2)『Ambassador Fatima’s Message for the New Year』
『ファティマ大使の新年の辞』
バングラデシュ特命全権大使 Rahab Fatima
3)『バングラデシュとの関わり』
(株)太知ホールディングズ 進藤隆啓
4)『バングラデシュと私』(連載 第Ⅲ部)
三井物産(株)社友 古家秀紀
5)『早川崇は何故、バングラデシュに心血を注いだのか?』(連載)
第1回:『早川崇は何故、サイクロン被災支援募金のため街頭に立ったのか?』
監事 早川 鎭
理事 太田清和
6)イベント、講演会の案内
7)『事務連絡』

■1)『日本バングラデシュ協会メルマガ第54号会長メッセージ』
-発足後5年目を迎える日バ協会の活動の方向-
会長 堀口松城
2019年1月15日
明けましておめでとうございます。本年が会員の皆様にとり健康に恵まれ、幸多き
年でありますようお祈りいたします。
1.  5年目に入る本協会が新年を迎えるに当たり、この4年間の年頭の会長メッ
セージを振り返ってみました。2015年1月の第6号は、モメン大使の発意に基づき開始
された、バングラデシュ政府による東京外国語大学ベンガル語科学生10名のバングラ
デシュ招待と、バングラデシュ滞在中に学生たちが経験した様々の発見の報告、そし
て3年間で倍増した日本企業のダッカ進出など、日バ関係が経済、文化その他の面で拡
大と深化を遂げつつあることを取り上げました。
2016年1月の18号では、その頃大きな政治的、社会的問題となった「シャーバーグ運
動」は、目覚ましい経済発展とともに登場しつつある中産階級による市民社会創造へ
の過程であるとし、当時の政治的制度の頼みにならない点や不公正に対し、正義の追
求と国民的分裂の是正を求める集団的抗議であるとする、本協会理事でもある東外大
の外川昌彦先生の分析を紹介しました。
2017年1月の30号では、バングラデシュが文化面では既に中進国入りを果たしたと思
わせる、新装の国立博物館の拡充ぶりを紹介し、そして2018年1月の42号は、1971年3
月、建国の父ムジブル・ラーマンが、ダッカの競馬場で数十万といわれる群衆を前に
独立実現のため国民に決起を訴えた演説が、2016年の11月1日、ユネスコにより世界記
憶遺産に登録されたことをお伝えしました。
以上のニュースに2018年4月の45号でご紹介した、国連によるバングラデシュの「最
貧国」卒業資格認定のニュースを加えれば、2014年、安部総理、ファティマ首相の間
で両国関係を包括的関係に引き上げる旨合意されたことを受けて、この4年間がバング
ラデシュにとっても、日バ関係においても、目覚ましい飛躍的な発展を遂げた年月で
あったことを改めて確認することが出来ます。
2.  このような日バ関係の飛躍的発展を受けて、本年7月から5年目に入る本協
会の活動目標について、昨年5月の社員総会では以下の諸点をご説明しました。
(1)大きく変わりつつあるバングラデシュの政治、経済、文化の各分野の情報提供と、
日バ友好関係の強化及び促進。この見地から、本メッセージでもバングラデシュ劇団
の東京公演や、第1回東京バングラデシュ・ブック・フェアーの開催、その他バングラ
デシュ大使館で行われた様々の催しなど、バングラデシュ側の様々な働きかけを積極
的に紹介しました。
(2)質の高い講演会の拡充と講演会後の懇親会の実施並びにメール・マガジンの充実。
本年に入って講演会・懇親会は、2カ月に1回開催されており、最近では泉バングラデ
シュ大使、前水産庁長官、JICA、経産省、外務省(今月末)の各課長などを講師として
開催、開催後の懇親会は、講師との話とともに普段顔を合わせる機会の少ない会員同
士の交流の場として活用されています。この懇親会は、下記(4)のとおり、間もなく賛
助会員として入会が予想されるバングラデシュ人との交流の場としての役割も期待さ
れています。
3. メルマガ充実の具体策は以下の通りです。
先ず、昨年初めより、一般会員、特に講演会、懇親会に出席が難しい地方会員からの
「便り」を会員の間で共有する目的から「会員便り」を始めました。第1号として、北
海道大学の滝波先生による、長年にわたるバングラデシュ児童に口腔衛生を指導して
きた活動の報告、次いで、京大の安藤先生によるベンガル人僧侶で、チベット仏教中
興の祖とされるオティッシュ・ディパンコールに関するフィールド研究の報告、一橋
大学院の金沢真実さんの地道な研究に基づく報告「バングラデシュの衣料産業と障碍
者雇用」は、障碍者雇用に関する同国衣料産業界の真摯な取り組みを紹介し、当時問
題となった日本の諸官庁における障碍者雇用の実態に一石を投じるものでした。
そして、大阪外大の溝上先生による独立後間もないバングラデシュの状況についての3
部作の報告、さらに、当時三井物産社員であった古家さんによる、バングラデシュ独
立戦争開始前後から戦後の同国の状況についての報告(本号ではその第III部が掲載)な
どが寄せられました。このうち溝上先生、古家さんの報告にある独立戦争前後のバン
グラデシュの姿は、これ迄あまり伝えられていなかった貴重な歴史を伝える資料であ
り、本メルマガが、お二人にそのような貴重な記録を書き記す機会を提供できたこと
は、私達関係者の大きな喜びです。
4. (1)協会の基盤強化のため、中期計画を建てて個人会員、法人会員の増加に努
める。
企業部会の「企業情報交換会」は年4回開催され、その充実した内容から新規企業会
員の勧誘に引き続き大きな役割を果たしていますが、会員増加のため引き続き努力を
続ける所存です。
(2)本協会の活動に賛同する在日バングラデシュ人との協力を図り、草の根レベルの友
好関係の促進のために賛助会員制度を導入し、本協会の目標の発展を図る。
賛助会員制度の導入については、受け入れ態勢の整備に伴い、今後積極的な勧誘活動
に入る予定です。会員の皆様におかれましても、様々な機会を通じて日バ友好関係の
促進に関心を持つ日本に住む外国人、特にバングラデシュ人のお知り合いがいらっし
ゃることと思いますが、是非賛助会員としての入会を勧めて頂きたく、本協会が草の
根レベルでの両国民の相互理解を進め、深めることが出来るよう、ご協力方よろしく
お願いいたします。
(3)日バ協会は、今後とも設立目的として定款に掲げる両国の友好親睦に関する事業を
続け、両国国民の間の相互理解の促進に努めていく所存でありますので、引き続き会
員の皆様の助言と応援をお願いする次第です。


 

■2)『Ambassador Fatima’s Message for the New Year』
『ファティマ大使の新年の辞』
バングラデシュ特命全権大使 Rahab Fatima

Ambassador’s Message

I extend my warmest greetings and felicitations to all members
of the Japan Bangladesh Friends Society (JBS) for the New Year. I
wish you all best wishes for a prosperous, productive and happy
New Year. Allow me to take this opportunity to also thank you for
supporting our efforts to further strengthen and deepen relations
between Japan and Bangladesh.

The year 2018 was an eventful one for Bangladesh-Japan
relations. There was a continuous flow of visits and high-level
engagements between the two governments, the private sector as
well as between our two peoples. Foreign Minister AH Mahmood
Ali visited Japan in May at the invitation of Foreign Minister Taro
Kono, followed by Minister Kono’s visit to Bangladesh in August.
Before year-end, the much-awaited Foreign Office Consultations
were held in Tokyo, marked by warmth and a genuine desire
expressed by both sides to further consolidate the existing
excellent bilateral relations.
The Embassy organized a series of meetings and seminars
throughout the year to explore investment and trade opportunities
in various sectors. A number of seminars were held on
Bangladesh’s development which received very good participation.
The year also saw our two-way bilateral trade reach the USD 3
billion mark, and significant growth in investment as well. We are
very pleased to see the number of Japanese companies in
Bangladesh growing, and we will make every effort to see this
growth trend continue in the coming year and beyond.

Our relations was not only confined to economic achievements
but also saw extensive people-to-people exchanges, reflecting our
warm friendship. The Embassy organized the launch in November
of the Japanese version of the graphic novel ‘Mujib’ on the life of
our Founding Father, Bangabandhu Sheikh Mujibur Rahman, which
was attended among others by the Prime Minister’s spouse Mrs.
Akie Abe, State Minister for Foreign Minister Ms. Toshiko Abe, and
Bangabandhu’s younger daughter, Sheikh Rehana. The reading
sessions on the novel that we organized at two schools in Tokyo,
and the interest shown by the young Japanese school children to
the book was truly gratifying. To us, it was a manifestation of the
deep cultural affinity and friendship of our two countries and two
peoples.

The New Year will usher in new opportunities and prospects. I
am excited about the New Year and to explore the immense
potentials that are yet to be tapped in taking forward Bangladesh-
Japan relations. And in doing so, I wish to have as partners, friends
like JBS with me. I hope that I can count on your friendship,
support and usual cooperation to take Bangladesh-Japan relations
to new heights.

I wish you all a joyous holiday season, and a peaceful, productive
and prosperous New Year-2019!

Rabab Fatima
Ambassador Extraordinary and Plenipotentiary

大使ご挨拶

日本バングラデシュ協会(JBS)会員の皆様に、心より新年のお慶びを申し上げます。
おめでたい新年が、繁栄し、実り多いものとなりますよう、お祈り申し上げます。ま
た、日本・バングラデシュの関係をさらに強化かつ深化すべく、私どもが行っている
取り組みに対し賜りましたご支援に対し、この機会にお礼を申し上げたいと存じます。

この2018年はバングラデシュ・日本関係において、行事の多い年でした。二か国の
政府間、民間分野、そして両国の国民相互においても、絶え間なく、訪問やハイレベ
ルな案件が実施されました。5月には、AHマームード・アリ外務大臣が、河野太郎外務
大臣のご招待により、訪日、続いて8月には、河野外相がバングラデシュを訪問されま
した。年末には、待望の日本バングラデシュ外務次官級協議が東京において開催され、
これは、なごやかに行われると共に、既存の良好な二か国間関係をさらに強固なもの
とすべく、双方が真に希求していることを表明する結果となりました。

大使館においては、年間を通して一連の会議やセミナーを行い、様々な分野におけ
る貿易および投資の機会を模索しました。バングラデシュの発展について数多くのセ
ミナーが開催され、大変多くの方々にご出席いただきました。本年には、双方向の貿
易が30億USドルに達し、投資においても顕著な伸びが見受けられた年でもありました。
バングラデシュ進出日系企業の数が増加していることを、とても嬉しく拝見しており
ます。そして、来る年およびそれ以降においても、この企業数の増加傾向が継続すべ
く、私どもではあらゆる努力を重ねたいと存じます。

私どもの関係は、経済面における業績に限られるものではなく、幅広い人的交流も
行われていますが、それには我々の温かい友好関係が反映されています。大使館では、
11月に、建国の父であるバンガバンドゥ・シェイク・ムジブル・ラーマンの生涯につ
いて描かれたグラフィックノベル「ムジブ」日本語版の出版をご披露致しましたが、
その際、ご出席いただいた方々には、内閣総理大臣夫人 安倍 昭恵 様、外務副大臣
阿部 俊子 様、そして、バンガバンドゥご令嬢(末娘)であるシェイク・レハナ 様
がいらっしゃいました。東京にある学校2校においてこのノベルの読書会を行いました
が、日本の児童たちがこの本に対して示した関心は、誠に喜ばしいものでした。この
ことは、私どもにとり、両国および両国民の深い文化的親近性や友好関係の表れと言
えます。

新しい年には新たなチャンスや可能性が到来します。来る年、そしてバングラデシュ
・日本関係を促進するに際し、未開拓の膨大な可能性を探求することを思うと、新年
に向けて心が躍る思いが致します。実施に際し、パートナーとして、友人として、貴
協会が私と共にいて下さればと存じます。バングラデシュ・日本関係を新たな段階に
高めるに際し、皆様のご厚誼、ご支援、そしてこれまでと変わらぬご協力を賜ること
を希望致します。

皆様が楽しい休暇をお過ごしになられますように。そして、新しい年である2019年
が、平和で、実り多く、繁栄することをお祈り致します。
特命全権大使
ラバブ・ファティマ

■3)『バングラデシュとの関わり』
(株)太知ホールディングズ 進藤隆啓(シンガポール駐在)
URL https://www.taichi-holdings.com/

新年明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

弊社は、2018年に日本バングラデシュ協会に入会させて頂きました。
中東アフリカ関係でのレセプションで弊社社長が堀口会長とお会いする機会があり、
入会の運びとなりました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

1. 弊社のバングラデシュとの関わりは1970年代後半、通信機器の機材供給から始ま
りました。その後、80年代に入りますと、冷蔵庫、洗濯機、そして家庭用エアコン
のバングラデシュへの輸出が主力となってゆきます。
実は、当時はアジアにもバングラデシュにも拠点がなく、遠く中東のドバイ事務所
から バングラデシュをカバーしておりました。ドバイで取り扱っていた主力品目と
ほぼ同じであった、ということも理由の一つでした。
そして、その当時ドバイで担当だったのが私です。90年代に入りますと、管轄がシ
ンガポールに移ったのですが、私自身がシンガポールに2006年度を前に異動となり、
再び同じお客様と仕事をすることになり、「縁」というものを感じております。
現在は、取扱商品も自動車(新車ビジネスです。皆様ご存知のように中古車が主力
の国で ハードルが高いですが、日系メーカーと一緒になって拡販を模索しておりま
す)、タイヤ、医療、等 主力であった家電品に加え、取扱商品を広げていっており
ます。

2. ノックダウン・ビジネス
80年代初頭、白物家電を扱っていた弊社に、テレビのノックダウン・ビジネスの引
き合いが新規顧客(白物家電の代理店以外)から相次ぎました。既に海外からキット・
CRT(ブラウン管)等を輸入し組み立てを行っており、工場も持っている、という話で2
社を訪問しました。しかし、とてもオリジナルの日系ブランドを付けることが出来る
レベルではありませんでした。新規で設備投資できるだけの資金力もないとのことで、
2社ともギブアップしてきました。それでも、何故か私の心の中に『失望』という文字
は、一切浮かびませんでした。
(それは、、、)
冒頭でも述べましたが、ドバイから出張ベースでバングラデシュ入りをしていまし
た。 当時のBimanのB707やDC10の機内には、中東に出稼ぎに来ていたバングラデシュ
人でほぼ満席。その人たちに混じって何故かネクタイをしている謎の東洋人がポツン
と座っているわけですから、いやがおうにも目立ちます。
私が日本人だとわかると、入れ替わり立ち替わり近づいてきて、深夜便だというの
に、日本のこと、戦後復興のこと、日本に関わる様々なことで質問攻めに合い、眠る
ことはできません。毎回毎回同じ機内の光景なのですが、熱い思いに鳥肌が立った記
憶があるほどです。 そういうこともあってか、「目先では無理だろうけど、双方が
情熱、熱情を持ち続けていたら、いつか夢は実現出来るはず」という考えしか浮かび
ませんでした。

3. 空調機器代理店との夢
現在の空調機器の代理店も世代交代があり、ここ数年、ことあるごとに二代目の社
長から 「完成品の関税も高いので、なんとかノックダウン・ビジネスを開始したい。
メーカーを説得してくれないか?」と熱いプロポーザルがありました。
そしてついに、2017年に関係各社のトップも交えてのプレゼン会議が日本で開催さ
れ、そこから一気に動き出しました。代理店、商社である、我々も驚くほどのスピー
ドで本プロジェクトが進みました。携わった人たちが、真剣に真摯にこのプロジェク
トに向き合い、バングラデシュ側の代理店も、日本側が設定したスケジュールや様々
な要望・要請に、応えてくれた賜物である、と感じております。2018年10月にはマス
プロも開始され、12月には関係者を招いてのお礼のパーティが日本で開催されました。
更なる高いレベルでのノックダウン、先々には現地調達を含む生産を目指していま
す。
代理店の社長が、「先ず、夢が現実のものになったことに感謝します。でも、言う
までもなく終着点ではありません。新たな夢に向かって、今またスタートラインに立
ったところです。これからが大事です。」と言っておりましたが、まさに同じ気持ち
でした。
近い将来、弊社もバングラデシュに拠点を構える考えでおります。そして、バング
ラデシュでのビジネス拡大を目指し、様々な分野でのビジネスをスタディーしている
ところでございます。

今後とも、皆様のアドバイス、御協力を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。

■4)『バングラデシュと私』(連載 第Ⅲ部)
三井物産(株)社友 古家(こが)秀紀

6.20才の成人になったバングラデッシュに再び駐在(1989年12月~1993年2月)

バングラデッシュが誕生した時に同地に駐在していた経緯から、20年後の同国に再び
駐在する機会を得たことは、『成人』になった同国の姿に直接触れることができる体
験の旅でもありました。着任して感激したのは、20年前の滞在中に知り合って仲良く
なった方々が、夫々に偉くなって、国の大臣や主要政党の幹部、民間企業の経営者な
どになっておられたことでした。着任披露のパーテイーで、それら旧知の間柄の人達
と再会をして、ハッグをされてお互いに喜び合ったことが、今でも忘れることが出来
ない貴重な思い出になっています。

私が20代の時に、三井-大林JVが請負者になって受注したダッカ―チッタゴン・ハイ
ウェイ建設計画の一工区、カチプールに架ける『シタラキヤ橋』の建設について、「
若しあの時に所長の一条さんと副所長の私が工事を中断して日本に引き揚げていたな
らば、橋は予定通りに現在の位置に完成していなかったかも知れない」という特別な
思い出があります。そして、その延長線の先にあるメグナ・グムティ橋については、
第1回目の駐在の時に『種蒔き』をした案件でもあったことより、第2回目のバングラ
デッシュ駐在の時に2橋の実現に直接係わることが出来たことに私自身は不思議な強
い絆を感じています。メグナ橋の完成式に臨席し、グムティ橋の成約にタッチできた
絆を、今でも誇りに思っています。

しかし、ジャムナ橋の建設契約を受注出来なかった悔しさは、今でも忘れることが出
来ません。あの橋を建設する為には巨額の資金が必要でした。その為に円クレだけで
は不十分で、十分な資金を確保することが命題でした。その為に、世銀・アジ銀・円
クレのFinancial Packageを作ることが必要でした。その実現に向けて我が社のネット
・ワークがバングラデッシュ政府と関係金融機関との意思疎通を支援する形でいささ
か貢献できたことを内心誇りに思っています。

二度目の駐在は、3年とちょっとの僅かの期間でしたが、その間に以下のような貴重な
経験をすることができました。

7.エルシャド軍事独裁政権の終焉

独立後20年が経ち、人間に例えれば、成人になったバングラデッシュは、1975年8月に
軍事クーデターで独立の父ムジブル・ラーマン氏を暗殺で失い、以後、幾度かクーデ
ターによる激動の時期を過ごしました。1977年4月に軍参謀総長のジアウル・ラーマン
氏が混乱を収拾して大統領に就任。同氏は行政機構の改革、民間投資の奨励などによっ
て経済の回復を図り、食糧自給達成のための農民の集団自助努力政策などを推進し経
済は安定してきました。しかし、1981年5月、地方司令官によるクーデター未遂で、大
統領ジアウル・ラーマン氏は暗殺されました。
その後、軍事政権が続き1982年3月には陸軍参謀長エルシャド氏によるクーデターが起
こり、エルシャド政権が発足。その後同政権は1986年に戒厳令下で総選挙を実施して、
新たに政権を樹立。同年11月には憲法を改正して、軍政を合法化しましたが、同政権
は安定せず、私が着任した時には倒閣運動が起きていました。中央政府の官庁前に退
陣を求める人々が座り込み、1990年11月には非常事態宣言が発令されました。遂に翌
月12月6日には強権をふるったエルシャド軍事独裁政権が退陣して、シャハブディン・
ア-メッド氏が大統領代行に就任、選挙管理内閣の暫定政権が発足しました。
翌年2月27日には、暫定政権のもとで、国会議員選挙が行われ、民主化政権作りに意気
込んだバングラデッシュ民族主義党(Bangladesh Nationalist Party、BNP)が主体の「
7党連合」が大勝して、BNPの総裁カレダ・ジア女史(1945生、ジアウル・ラーマン元大
統領の妻)が首相になって新政権が発足しました。そして同年9月15日には、「大統領
制にするか、議院内閣制にするか」を問う国民投票が実施されて、結果は、85%が議院
内閣制を支持したために、大統領制廃止の改憲が行われました。

8.湾岸戦争の勃発を体験

1990年8月2日にイラクが突然、クウェイトに武力侵攻して、2日目には同国を併合して
しまったことから、国際社会は猛反発しました。国連はイラクに対し、クウェイトか
らの即時撤退を求める決議を採択して、即刻の撤兵を要求しました。しかし、圧力を
かけてもイラクが応じなかったので、遂に翌年1月16日撤退要求の期限切れを待って、
米連合軍(米国の他に27ヶ国が参加)による空爆が始まりました。
すると、ダッカでは、翌々日の1月18日からイラクを支持する反米デモが始まり、サダ
ム・フセイン大統領の顔写真を刷り込んだポスターを手に手に持った群衆が、次々に
トラックに乗り込んで、延々と続くデモ行進を開始。ダッカの主要道路を占拠し、練
り歩きました。その勢いは日毎に増えて、連日大群衆によるデモが続き、街は荒れま
した。物凄い人の群れでした。当時のメモによると、米国やサウジアラビアの大使館
などが襲撃されて、イタリア人など外国人が数名負傷するなどの事件も報じられた他
に、日本の或る商社やJICAの車が投石被害を受けたりしました。1月21日にはトンギに
世界中からイスラム教徒の代表が集結して、イラクのサダム・フセイン大統領を支持
する集会も開催されました。
湾岸戦争前のバングラデッシュの政治状況は、既述の通りですが、8年間続いたエルシャ
ド軍事政権が、民主化運動の高まる波を抑えることに必死になっている時期でした。
そして12月6日には、エルシャド大統領も抗しきれずに、退陣しました。総選挙を実
行する為の暫定政権として、大統領代行にシャハブディン・ア-メッドが就任して間
もなくの時でした。民主化運動は、国内政治だけではなく、産業分野においても主要
企業の内部で民主化を求めるストライキが各所で発生し、国内の治安は極めて不安定
な状態なっていました。そのために日本人学校のスクールバスには最寄りの警察署に
頼んで警察官を派遣してもらう一方で、PTAの父親が順番を決めて子供たちとバスに同
乗したことを思い出します。
幸い、2月27日には中立的な暫定政権下で総選挙が実施され、結果はバングラデシュ民
族主義党(BNP:Bangladesh Nationalist Party)が第一党になり、同党の総裁
Khaleda Zia女史(故ジアウル・ラーマン元大統領の妻)が政権を担うことになって、
政局は一段落する状態になりました。

9.日本人学校の新校舎完成

私が着任した時、ダッカ日本人会にとって最大の課題は創立15周年を記念して新築中
だった日本人学校の校舎が完成して、4月から新学期が始まるというのに、小学部に生
徒は居るが、中学部には適齢期の子供が居らず、場合によっては生徒がゼロになって
しまう危険性に直面していたことです。着任して驚いたのは、「ダッカの日本人中学
校で勉強しても、高校受験がままならない」と言って、中学進学の年齢になると、日
本に帰国することが流行っていたことです。折角、新校舎建設の敷地もバングラデッ
シュ政府から融通を受けて、建設資金も日本政府と民間企業が折半して、新校舎が完
成したのに、中学部に生徒がいないとなれば、由々しき問題でした。
私の場合、小学校を卒業する息子が居たので、家内は息子をダッカに帯同するべきか
否かで悩みました。結果は、自分たちの会社も多額の寄付金を出して作った学校なの
で、息子を入学させることに決めて、小学校の卒業式が終わるのを待ってダッカに呼
び寄せましたが、迎えに行ったバンコックのホテルで息子に「友達は何人いるか」と
訊かれて「中学生は、君一人だ」と答えた瞬間に息子から「何故、そのことを事前に
教えてくれなかったか…。お父さんが説明をせずに、黙って僕を呼んだのは卑怯だ。
」「事前に聞いていれば、僕は絶対に来なかった」と言って、物凄く反発しました。
高校を受験する時に、反発は続いていて、息子から「絶対に帰国子女の枠を使わない
で」と言われたので、枠を使わずに受験しましたが、幸い先生方のご指導が良かった
お陰で、難関高校に合格することができました。このニュースは現地に流れて、
「ダッカ日本人学校で勉強しても高校受験に心配はない」と、日本人学校の信頼性が
増したと噂話を聞きました。

■5)『早川崇は何故、バングラデシュに心血を注いだのか?』(連載)
第1回:『早川崇は何故、サイクロン被災支援募金のため街頭に立ったのか?』
監事 早川 鎭
理事 太田清和

早川崇は何故、バングラデシュに心血を注いだのか?
監事 早川 鎭
理事 太田清和

本稿は、早川崇著『バングラデシュとの出会いー民族と国境を越えて-』、橘昌平編
著『早川崇-その生涯と業績―』、外交史料館史料などの文献をベースに、吹浦忠正
氏はじめ関係者とのインタビューを加味して構成した、一論考である。ご協力頂いた
皆様に、ここに深謝申し上げる。
本稿は、『4つの問いかけ(4 Whys?)』に、答えを探求する試みである。
① 早川崇は何故、サイクロン被災支援募金のため街頭に立ったのか?
② 早川崇は何故、バングラでシュの早期承認を熱心に働きかけたのか?
③ 早川崇は何故、バングラデシュへの援助に打ち込んだのか?
④ 早川崇は何故、バングラデシュとの友好に心血を注いだのか?

I.早川崇は何故、サイクロン被災支援募金のため街頭に立ったのか?
-人道主義と民族の覚醒-

1.サイクロンと街頭募金活動
(1)1970年11月12日夜から13日未明、東パキスタンをサイクロンと高潮が襲い、死
者20万人とされる未曾有の被害をもたらした。
15日、本邦各紙が大災害を報じ、16日、日本赤十字が募金活動を開始、青少年赤十字
の子供たちも街頭に立った。オイスカもこれに続いた(29日、救援チーム16名を現地
派遣)。18~20日、自民党(長谷川峻国民運動本部長)も、3日間延べ17名の国会議員
が、パキスタン大使館員、東パ出身の留学生達と共に街頭募金活動を行った。20日、
政府は、15万ドルの緊急支援を閣議決定した。
20日付け各紙1面には、被災地入りした日本人特派員達が、次の見出しの下、被災地
の写真を掲載してその惨状を報じ、日本国民を震撼させた。
・朝日『人と家畜の墓場 ハチア島 あてなく死体流れ』
・毎日『立ちすくむ”泥人形” 死体に群がる野猿、カラス』
・読売『東パキスタン”死の島”を行く 疫病と飢え充満』
・日経『死のデルタ地帯 食糧を 水を 薬を 死体の中で叫ぶ人たち』
そして国民の東パ被災者支援運動が、これまでにない盛り上がりを示していく。NHKは
じめ各新聞社が募金を受付け、職場や学校で寄付が集められる。
(2)ここで、早川崇が街頭募金活動を行うことを決意する。21日、早川はパキスタ
ン大使館に連絡を取り、①被災状況と、②東パ一般情勢に関しブリーフを得たいと申
入れた。
22日、大使館の指示を受け、日本語に堪能な東パ出身のJalalが早川に説明を行った。
Jalalが、ハチア島、ボラ島と、被災地名を挙げると、早川は熱心に島名をメモする。
また早川は、アワミ連盟の党首ムジブル・ラーマンに、強い関心を示した。ムジブル
・ラーマンは、投獄に次ぐ投獄に屈せず、ベンガル民族のために決然と政治活動を続
ける指導者として、日本でも『ラーマンさん』と呼ばれ、知られるようになっていた

パキスタンは、12月7日に建国後初めてとなる普通選挙を控えていた。未曾有のサイク
ロンが、選挙戦の真最中の東パキスタンを襲ったのである。
翌23日、早川は、渋谷ハチ公前、新宿西口などで、東パ出身の留学生達(ブイヤン学
生会長)と一緒に街頭募金活動を開始した。

2.早川崇の横顔
(1)早川は、1916年に和歌山県田辺市に生れた。旧制田辺中学校を4年で卒業、1933
年に第三高等学校に学んだ。戦時色が濃くなってきた時代ではあったが、早川は、自
由の気風に溢れた旧制高校の学生生活を満喫した。1937年に東京大学法学部に進学し
、矢部貞治に師事。矢部は「政治には哲学があるべし」と訓じた。また早川は、タゴ
ールの詩を愛した。1941年に内務省に入省。入省後程なく海軍主計士官(中尉)に任
官となる。中曽根康弘とは、東大、内務省、海軍で同期である。海軍では、海南島、
海軍省兵備局に勤務し、終戦を高松で迎えた。
(2)早川は、9月に内務省に復職したが、恩師矢部貞治は「我々の仲間は故郷に帰れ
。この日本は民主主義という新しい時代になったのであるから、地方を固めて、地方
から出直してこい、役人になっていて、机の上ではんこを押しているだけではもはや
民衆はついて来ない」と弟子達に檄を飛ばした。これに応え、早川は、復職後わずか
2週間にして、内務省を辞し、田辺市に帰郷した。早川は、「日本が裸になったのだ
から、自分も今までの学歴や職歴を投げ捨て、裸になって出直そう」と決意したので
ある。
早川は、郷里で「民主主義の政治は地方の根っこから」という信念に立ち、まず『紀
州民報』を発刊して、地元で足固めを始めた。次いで、祖国復興の夢を政治に求め、1
946年4月、戦後第1回の衆議院総選挙に出馬し、見事に初陣を飾った。29歳。
(3)早川は、学究肌の政治家だった。「①何事についても、その根本に立ち戻って
考える、②こういう場合、自分であれば一体どうするか」と考えなければ済まない性
格であった。「政治には、ハッキリとした哲学と倫理を持ち込むべし」との信条を持
っていた。
1946年総選挙の早川の出馬にあたり、中曽根康弘は推薦状『紀州西郷、早川崇』で、
次のように記している。「彼ハ實に良ク考エル男デアリマス 暇サへアレバ電車ヤ汽
車ノ中デモ瞑想シ アラユル方面カラ徹底的ニ突詰メテ考エニ考エ抜ク男デアリマス
ソシテ一度決断シタレバ火ノ魂ノ様ニナッテ突進スル男デアリマス」

3.早川崇の政治理念
(1)早川は、日本が戦前戦中に軍国主義へと道を誤り、破局を招いたことを、深く
憂えていた。他方、戦後の社会主義が、日本の全てを、日本の良き伝統までも否定す
るかの傾向であることに、抵抗感を抱いていた。また日本社会に米国の生活、文化が
洪水のように溢れ込んで来ていることにも、違和感を覚えていた。日本の豊かな伝統
と文化を活かしつつ、どのような戦後日本を創っていくか、そのために、国民の自覚
と覚醒をいかに図っていくか、これが早川の政治テーマであった。
(2)早川が募金活動のため街頭に立ったのは、勿論、人道主義の立場から、「居て
も立っても居られなかった」からである。しかし、人道主義の立場だけでは、パキス
タン大使館に対し、被災状況だけでなく、東パキスタンの一般情勢についてまでブリ
ーフを求めたことは説明できない。
愛するタゴールの故郷で、ベンガル人達が、ベンガル語を国語とすることを主張し、
政治的文化的な自由を求め、自らの運命を選択しようとしている。そのベンガルが未
曾有の災害に襲われている。早川は、募金活動を行うにあたり、自分を納得させるも
のが欲しかったのではなかろうか? そしてベンガルの自由を掲げ、民族の覚醒を鼓
舞していた、同世代のムジブル・ラーマンに『自分』を見たのではなかろうか?
ムジブル・ラーマン50歳、早川崇54歳。

(街頭募金の写真) 日本青少年赤十字の街頭募金活動 (1970年11月)
[日本赤十字社提供]

(オイスカチームの壮行写真) オイスカ東パ救援チーム壮行式(羽田空港)
(1970年11月29日)[オイスカ提供]

 

■6)イベント、講演会の案内
・国立民族学博物館などの特別協力による「アジア・アフリカの難民・避難民展」
2018年9月17日(月)~2019年3月15日(金)

9月17日(月)から国立民族学博物館などの特別協力による「アジア・アフリカの難民・避難民展」開催しています


・バングラデシュのノクシカタ刺しゅうワークショップ
針先から生まれるミラクルワールド    1/19
https://www.jica.go.jp/hiroba/information/event/2018/190119_01.html
・バングラデシュ派遣・山内章子ワーカー活動報告会
~違いをこえて平和を生きる物語~(1、2月の予定) 1/17~/2/23

バングラデシュ派遣・山内章子ワーカー活動報告会        ~違いをこえて平和を生きる物語~(1~3月の予定)

■7)『事務連絡』

〇第28回講演会と新年会のお知らせ

第28回講演会と新年会のお知らせ 2019年1月29日(火曜日) 『最近のバングラデシュ情勢』


1月29日(火曜日)大手町倶楽部で、午後6時半から第28回講演会を開催します。
外務省アジア大洋州局・南西アジア課長、吉武将吾氏に『最近のバングラデシュ情
勢』について講演をお願いしております。
講演会終了後、新年会を兼ねて懇親会を予定しておりますので、皆様振ってご参加
ください。
講演会の詳細及び参加のお申し込みは、ホームページの協会からのお知らせをご参
照ください。

〇会員情報変更届のお願い:
事務局では会員各位の連絡先等の最新版を常備する必要がありますので、皆様の住
所変更、メールアドレスが変更されました場合は <info@japan-bangladesh.org>
までお知らせ下さるようお願い致します。

〇年会費納入のお願い:
平成30年度年会費の納入が未収とされている会員の方々へは、ご確認の依頼書を送
付させていただきましたので、宜しくお取り扱いくださるようお願いいたします。

〇本協会の活動などについてご意見等ありましたら、お知らせください。
また、メール・マガジンに載せたいご意見、情報、その他昔のバングラデシュ勤務
時の思い出などお寄せ下さい。
宛先:info@japan-bangladesh.org
(約1500字。体裁上若干の修正あり得ることご了承下さい。)

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一般社団法人 日本バングラデシュ協会

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