日本バングラデシュ協会の皆様へ

■目次
1)『日バ協会メルマガ57号会長メッセージ
―バングラデシュ・ソフトウエア―・エクスポに出席して―』
会長 堀口松城
2)『バングラデシュで働いて』
プラント・メンテナンス株式会社
取締役営業本部長 村上美代子
3)『 Unsung Women Nation Builders Awards 2019 』
NPO ハンガーフリーワールド会員 小林博子
4)『早川崇は何故、バングラデシュに心血を注いだのか?』(連載その4:最終回)
-『 心と心の触れあい 』―
監事 早川 鎭
理事 太田清和
5)イベント、講演会の案内
6)『事務連絡』

■1)『日バ協会メルマガ57号会長メッセージ
―バングラデシュ・ソフトウエア―・エクスポに出席して―』
会長 堀口松城

去る3月19日から21日まで、「バングラデシュ・ソフトウエア・情報サービス協会」
(BASIS)の主催による「SOFT・EXPO」がダッカの国際会議場で開催されました。そのう
ち20日が「日本デー」とされ、そこで日バ関係についてスピーチを依頼されたので行っ
てきました。
2年半ぶりに見るダッカは、これ迄の訪問で見た変化よりもさらに目覚ましく発展し
、特に道路が拡充・整備され、交差点では放射状に結ばれたいくつもの高架道路(フラ
イ・オーバー)が、何本もの道路を結んだ立体交差の中で車がスムーズに流れ、さらに
一部ながら、中央分離帯に樹木が植えられて景観を添えていました。そして、一般道路
はどこも乗用車と二輪車(バイク)であふれており、その結果でしょうか、今回私がホテ
ルから会場まで通った道路からは、なんとリキシャが1台残らず姿を消していました。
リキシャが1台もいないバングラデシュは、私の知っているバングラデシュではない!
と叫びたくなる光景でした。そしてまた、リキシャワラたちは今どうやって生計を立て
ているのか気になりましたが、後刻、彼らの多くは、バイクで、リキシャ同様に、お客
の求める行き先に運び届けることで収入を得ていると聞き、少し安心しました。少しと
いうのは、私と同様の年寄りには、バイクの運転は大丈夫だろうかと、気になったため
です。
ところで、このBASISという協会は、1997年、バングラデシュにおけるソフトウエア
及びI Tサービスの発展のため設立されたもので、現在1,100以上の数の関連企業が参加
している由です。10年前から「BASIS・SOFT・ EXPO」を開催し、バングラデシュのソフ
トウエア産業の優れた能力を展示し、潜在的顧客とI T及びI T関連企業とを一堂に集め、
世界中の関係企業と経験を分かち合いつつ、I T投資先適格国としてのバングラデシュ
を売り込むことを目標としている由です。
本年のSOFT・ EXPOの副題は「繁栄のための技術」であり、200社の国内、国外の企業
の参加と、20万人の観客を予想している由でした。
3月20日が「日本デー」とされ、私がスピーチを依頼されたのも、今年のEXPOにおけ
る日本に対する特別の期待を示すものであり、チーフ・ゲストとして挨拶されたティプ
・モンシ商業大臣も、日本に対するI T分野における協力と援助の拡大に対する要望を
述べておられました。
私からは以下の諸点を指摘しました。先ず、 私は2006年帰朝してから、ほぼ2年か2
年半ごとにバングラデシュを訪ねているが、そのたびにダッカの大きな発展と変化に驚
かされており、それだけに昨年4月、国連開発委員会によって、バングラデシュが最貧
国からの卒業要件を満たし、この状況が6年続けば最貧国リストから削除される旨認定
されたことを喜んでおり、バングラデシュ政府が2021年迄に中進国入りを果たすとの目
標も達成されるものと楽観している。
本EXPOが狙いとする、バングラデシュのI T関連企業と潜在的顧客を一堂に集め、協
力関係を支援するとの目標を私も大いに支持するものであり、その理由として以下の5
点を指摘したい。
第1に、バングラデシュの過去2年間の経済成長率は8%前後を記録しているが、バン
グラデシュのさらなる発展のためには、その生産性向上を図るべく、バングラデシュの
輸出の中のハイ・テク製品の割合を増やすことが重要であり、そのためにはI T及びI T
関連分野への外国投資が不可欠であること。
第2に、国内経済のさらなる成長のためには、成長に占めるイノベーションの比率を
高める必要があり、その実現のためには外国投資の誘致が重要であること。
第3に、バングラデシュ経済の持続的成長を図るためには、外国企業による国内直接
投資の拡大がどうしても必要であること。
第4に、一方で、最近のJETROの調査でも、バングラデシュに投資している日本の企業
の70%以上が、バングラデシュにおけるビジネス・チャンスと可能性を高く評価してお
り、これはアジア、オセアニア各国に進出している日本企業の中で最も高い評価となっ
ている。現時点におけるバングラデシュに進出している日本企業数の最新の数字は279
社であり、この数字は例えばミャンマーの438社に比し少ないものの、その伸び率は高
く、今後もI TやI T関係分野を含め、日本企業の進出が増えていくことが予想されてい
ること。
第5に、日バ両国間の新たな協力形態たる「宮崎モデル」と言われるI T分野における
日バ両国の協力関係に対する期待である。すなわち、 日本にはビジネス機会はあっ
てもI C T人材の不足が深刻であるのに対し、バングラデシュにはI C T人材は多数いる
がビジネス機会が不足している点で両国は補完関係にある。この点に着目した宮崎県が
、宮崎大学、JICAとともに「バングラデシュ・コンピュータ・カウンシル(BCC)」と連
携し、BCCが募集した100倍を超える応募者から選んだバングラデシュ研修生に対し、日
本語と日本のビジネス慣習に関する日バ両国での計6カ月の研修を行った後、日本企業
への就職を斡旋するプログラムを開始した。
この計画は2017年8月から開始され、第1期生から第4期生までの120名の研修卒業生を
雇用した日本企業は、宮崎に限らず、東京、名古屋、関西地区、北海道等各県に亘って
おり、これらの受け入れ企業側の研修卒業生に対する評価は非常に高いことから、今後
の拡大が予想され、本分野における日バ関係の大きな発展が期待されること。
結論として、今回のSOFT・EXPOは、上記諸点からも大変時宜を得たものであり、バン
グラデシュのI Tおよび関連分野の企業および潜在的カスタマーが一堂に集まり協力を
進めることで、本年のSOFT ・EXPOの副題である「繁栄のためのテクノロジー」が現実
のものとなるよう大いに期待したい旨述べておきました。
日本語を話せ、特別の技能を持った外国人の受け入れに大きく門戸を開いた今回の改
正入国管理法の後押しもあり、今後、日本に住むバングラデシュ人の数が増えていけば
、日本・バングラデシュ関係、さらには、 日バ協会の活動にも新しい時代の到来が予
感されます。



■2) 『バングラデシュで働いて』

プラント・メンテナンス株式会社
http://www.pmchq.co.jp/
取締役営業本部長 村上美代子

1.プラント・メンテナンス株式会社のプロフィール
弊社は、世界各国の各種プラントで使用される機器・予備品を取扱う機械商社です。三
井物産株式会社(以下、MBK)の100%出資の会社として1987年にスタートし、
2018年に極東貿易株式会社(*)の100%出資の会社となりました。
(*)MBK機械部門及び貿易部門によりに1947年に設立された。
機械メーカーの協力を得つつ、各種プラントに、スペアパーツの供給、機器の更新、客
先へのプラント維持のアドバイス、開放点検の援助などを行っています。 2000年
初頭にバングラデシュにビジネス・ポテンシャルがあるとの経営判断があり、バングラ
デシュでのビジネスに注力してきました。バングラデシュでの売上高は徐々に増加して
います。更に、2016年7月に東洋エンジニアリング株式会社(以下、TEC)と同
社の建設した全世界のプラントの予備品供給、機器供給の独占供給商権の譲渡契約を行
い、バングラデシュ化学工業公社(BCIC)傘下の化学肥料工場の顧客のニーズも取り組
み、今日に至っております。

2.私のバングラデシュとの係わり
私がバングラデシュに係わったのは、TECの社員として機器調達に携わったのが初め
で、当時は回転機を担当していました。その頃に係わった客先名、機器名称は、懐かし
く感じるのみならず、現在の会社での職務にも役立っています。その後、機器売買、輸
出、代金回収等の仕事を世界各地の会社を相手に行い、その中にバングラデシュ向け案
件も含まれており上述に至った訳です。現在、機械商社という立場でプラント用の機器
・予備品の商売をしていますとエンジニアリング会社に勤務した経験は大変に役にたっ
ていると思います。

3.私にとってのバングラデシュでの仕事の厳しさ
皆様、ご承知の通りバングラデシュでの公官庁、工業省、エネルギー省等の傘下の工場
との仕事は、他国と比較して厳しいものがあります。私は、女性であり、客先の中には、
まだまだ「女性への偏見」があるように感じます。バングラデシュでの客先は化学プラ
ントであり、女性がなかなか入っていけない仕事環境です。ただ、工場を訪問すると、
女性であることが珍しく受け取られ、客先から早く名前を覚えてもらえる利点もありま
す。
20数年間にわたりバングラデシュの仕事に係わっていますが、実際に現地を訪問した
のは、2003年のことでした。 通常、どの国でもプラントは都市部ではなく、辺地
と言われる地域に建設されています。私たち各国の担当者は、客先の工場に2~3日をか
け訪れ、打合せは1日という辺地への出張訪問をしております。2019年の今日まで、
多い時は、月に1回のペースで、肉体的にかなりハードな訪問をしてきました。
辺地を訪ね、交渉を重ねることなくしては、ビジネスに成立はありません。足を運び議
論を重ね、成約にたどり着けた喜びに勝るものはありません。客先との間で、テクニカ
ル面とコマーシャル面にわたりface to faceで話が出来ることのありがたみを実感して
います。
ここ数年、プラントの機器更新を追い続けてきており、何度も交渉を重ねながら、もう
一歩で中止となるような案件が続いています。バングラデシュのプラントの効率を向上
させるべく取組んでいるのですが、客先側は何処まで理解出来ているのか疑問になるこ
ともあります。
バングラデシュといえば、LDCを脱出したと言われていますが、メーカーの担当者は
、今なお最貧国というイメージを持っており「どうせ買わないでしょう」等と言われる
こともしばしばあります。「何を言っているのですか。客先は国営会社ですよ。プラン
トのパーツは、予算を決定し、それに従い買います。」と説明し協力をお願いし続けて
います。
近年、日本のテレビ等でもバングラデシュが度々放映されるようになり、成長と発展ぶ
りが、少しずつ認知され、私達の仕事においても理解頂ける様になってまいりました。
今まで、なかなか相手にして頂けなかった日本のメーカーも、自ら積極的にバングラデ
シュに進出されるケースも増えています。 長年かけて築き上げてきたバングラデシュ
の客先をめぐって、競争相手が増えてきてしまっているのが実情です。

4.バングラデシュでの苦しみと楽しみ
さて、仕事以外のことになります。どの地においても体調を崩す事があります。 思い
出すのもつらく、私は2005年に大変苦しい洗礼をうけました。 チッタゴンの有名
レストランにて日本人10数名で食事をしました。翌日から体調を崩しましたが、何と
かダッカにたどり着きました。その夜の苦しみは、今でも忘れません。翌日はゴラサー
ルに車での訪問予定があり(当時は車で片道3時間程)同行の同僚に訪問辞退を告げよ
うと、ホテルのロビーに下りていけば、同僚も同じ状態でした。やむなく体調不良2人
で、車に乗り何とかゴラサールに到着し、ゴラサールでの仕事を終えました。後で聞い
た話では一緒に食事をしたほとんどの方がダウンした様でした。日本に帰国し病院に行
った方もおり、『雑菌感染』との診断だったそうです。その後、しっかりと雑菌に対す
る免疫ができたのでしょうか、どの国に行ってもあれほどの苦しい経験はありません。
次に楽しみですが、バングラデシュでの「日本へのお土産」の話となります。出張時に
時間が取れると『ノクシカタ』を購入しておりました。我が家のベッドカバー、ソファ
ーカバーはノクシカタに変わり、お土産は『ノクシカタ』のポーチです。年数が経つと
友達や会社の人達から『ノクシカタ』が古くなったので新しいのを買って来るよう依頼
を受けます。使い続けるうちに馴染んでくるのでしょう。 今まで客先との契約書サイ
ンのセレモニーの時はほとんど現地の女性の多くの方が着られている『パンジャビ服』
を着て臨みました。最近、大きな案件がなく使っていなかったので、近々行われるサイ
ンのセレモニーの為に『パンジャビ服』のサイズの更新をせねばと考えています。

今後も更に皆様のご意見、ご指導を受けながら、弊社の利益向上のため、そしてバング
ラデシュの発展と繁栄のために仕事を進めていく所存です。宜しくお願いします。

■3) 『 Unsung Women Nation Builders Awards 2019 』

本協会会員
NPO ハンガーフリーワールド会員
小林博子

2019年3月2日 バングラデシュ ダッカのインターナショナル・コンベンションホール
にて、THE DAILY STAR新聞社主催の受賞セレモニーが開催されました。華やかな素晴ら
しい会で、開会前に歓談、名刺交換などが行われた後、受賞式にて記念のトロフィーと
賞金を頂きました。現地関係者の皆様とウィメンスカラシップの卒業生などの出席も、
主催者にお願いしましたところ、承諾され15名の方が集まり、祝宴をかこむことができ
ました。
今年は、7人が選ばれ(バングラデシュの方6人と日本人の私)、その中の一人として、
私は2003年より16年間、取り組んできたウィメンスカラシップが、受賞の対象になった
ということでした。

受章式:3 月2 日 Dhaka International Convention Hall

私はバングラデシュの最北部、ポンチョゴル県ボダというところと、ジナイダ県カリ
ガンジーの2か所で、100名~120名の女性の生徒達にスカラシップによる支援をしてき
ました。毎年3月にはバングラデシュに行き、彼女達の村の自宅を訪問しました。私の
ウィメンスカラシップの子供達が、どんなところで生活し、勉強しているのか知りたい
と思いました。彼女達は、家族一緒に一つの部屋に住み、そこで勉強していました。
スカラシップの選考では、あなたは何故学びたいのか? あなたはどんな仕事に就き、
どんな生き方をしたいのか? と彼女達に問いかけました。
そして、それをレポートにまとめてもらいました。

これを書くことにより、学ぶことの意味、自分の生きる方向が整理される。
彼女達はここで大きく変わっていく。しっかり歩きだします。今、バングラデシュの女
性達は困難を乗り越え、強く生きようとしています。ウィメンスカラシップの卒業生達
は、教師、医師、その他で働き始めています。きっとこの人達は、後輩達を支援してい
ってくれるでしょう。

16年もの長い間続けてこられたのは、私一人の力ではなくNPOハンガーフリーワール
ドの組織の力、そして、バングラデシュの人々の女性を育てようという強い思い、そし
て、日本の皆様の暖かいサポート、があったからこそできたのです。私一人では決して
できなかった事だと思っています。
皆様、有難うございました。心から御礼申し上げます。

今回賞を頂いた、他の6人の女性達も、孤児を育てたり、がんの子供達の力になったり、
皆それぞれの社会の中で、自分に出来る事をコツコツとやってきた女性達です。このよ
うに社会の片隅で頑張っている女性達の仕事に、光を当てるという今回の賞は、私には、
今、バングラデシュという国が、前向きに生きようとしている姿勢を、感じることが
出来ます。
そして報道が、社会的使命をしっかり担っていることを感じます。

今回のこの賞から、私はここまで歩いてきことへの確認と、勇気を頂きました。
私は今、81歳、残された人生をしっかり踏みしめて、これからも生きていきたいと考え
ております。

■4)『早川崇は何故、バングラデシュに心血を注いだのか?』(連載その4:最終回)

-『 心と心の触れあい 』―

監事 早川 鎭
理事 太田清和

1.日本バングラデシュ友好協会の設立
(1)早川崇は、戦後日本の新しいあり方を追求していた。米英仏は、それぞれ『自由』、
『個人』、『文化』という国家国民の理念を持っている。欧米は狩猟民族で、個人主義と
闘争主義の世界である。これに対し、日本は農耕民族で、共同体として連帯感の豊かな社
会である。そうであるとすれば、日本は、家族、自然、社会、国際との連帯を図っていく
べきではないか。先ず、戦争の反省の上に立つべきである。次いで、アジアへの経済進出
にあっても、『エコノミック・アニマル』と言われる形では進めるべきではない。日本は、
名誉と責任を重んじ、『心と心の触れあい』を求めていくべきではないのか。早川は、こ
のように考え、アジア外交に目と心を開いていったのである。

(2)早川は、1972年6月、国民レベルでの友好を深めるべく、三宅坂の尾崎記念館に、約
200名の参集を得て『日本バングラデシュ協会(当協会の前身)』を設立した。副会長に、
藤野三菱商事社長、若杉三井物産社長、辻日商岩井社長、久保田日本工営社長。専務理事
に竹中均一(元ダッカ総領事)、事務局長に伊藤啓介(元藤原機関員)という布陣であっ
た。政治家、実業家、学者(奈良毅)、赤十字(吹浦忠正)と分野も幅広い、老若男女の
集まりであった。また77年3月に傘下に『日本バングラデシュ婦人文化交流会』も組織され
た。名誉総裁に近衛夫人、会長にカマル大使(当時)夫人と早川夫人が、会員として奈良
夫人などが参加し、両国の女性達が、親睦と文化の理解を深めるために、料理や生花の講
習会、舞踏など、華やかな集まりが持たれ、『心と心の触れあい』を深めていった。

2.ラーマン首相の公賓訪日
(1)1973年10月、ムジブル・ラーマン首相が公賓として訪日した。日本バングラデシュ
協会は、ホテル・ニューオータニに300名を集め、歓迎夕食会を主催した。この夕食会の実
務を企画・調整したのは、伊藤、吹浦、奈良。司会は橋本祐子が務めた。早川会長よりラー
マン首相に、「巡回医療艇を提供することとしたい」として、その模型が手交された。ラ
ーマン首相より早川会長には、「ベンガル・タイガーの毛皮を贈りたい」として、その目
録が手交された。

(2)また早川は、ラーマン首相一行を和歌山県に案内した。「一国会議員が公賓を地元
に案内するのは如何なものか」との異論もあったが、外国の首脳を地元に招いたところで、
選挙で票につながる訳ではない。早川はかねてより「外国首脳を、京都・奈良へ連れて行
き、千年前の日本文化を見せていれば良いというものではない」との思いを抱いていた。
そこで早川は、あえて「農漁村に案内し、日本人の普段の素朴な生活に接してもらおう」
との考えを外務省に伝え、田舎の大衆との出会いの機会を作ったのである。車で農村を走
ると、ラーマン首相が黄色い果物がなっているのを見つける。「それでは」と一緒に車を
降りて、ミカン農家の人達と話し込むといった具合である。

ムジブル・ラーマン首相の和歌山訪問(1973 年10 月21 日、那智山)

(3)勝浦への船旅『さんふらわあ号』の船上では、バングラデシュの国旗が話題となっ
た。吹浦は、国旗に造詣が深く、今日に至るまで世界各国の国旗について多数の著書を残
している。吹浦は、独立戦争当時、国際赤十字社社員として現地で勤務しており、国旗の
専門家としての観点から、「国土を象ったシルエットを縫い付けていては、①国旗がはた
めかない、②反対側から見れば不自然である」と2問題点を指摘し、「国土のシルエット
を外すべきである」とする意見書を提出していた。ラーマン首相は、「あれを提出したの
は君か。意見書をありがとう。シルエットの縫い付けを外したので、ますます日本の国旗
に似てきたなあ。」と言って笑った。バングラデシュは、専門家により、国旗の規格を厳
格に定めていたのであった。

3.バングラデシュ戦勝記念日への招待
2ヶ月後の12月、早川は、ラーマン首相の賓客として戦勝記念日に招待された。
(1)迎賓館に到着するや否や、ラーマン首相が要人を引き連れて早川を訪れ、「あなた
は私の敬愛する真の友達であり、バングラデシュの友である」と歓迎の挨拶を述べた。フ
セイン外相は、「今回の訪日で何が良かったか? それはジャパニーズ・ピープルであり、
そのホスピタリティである」と感想を語った。
記念式典では、最前列の閣僚席にただ一人の外国人賓客として座った。大統領主催の2000
名を集めた園遊パーティでは、大統領に向かい合う最上席。夕刻、競馬場での祝賀文化シ
ョーには20万人が集まっており、早川議員が紹介されると、会場から津波のような大きい
拍手とどよめきが涌き起こった。

(2)ダッカの街並みには、日本の援助で供与された新しいバスも走り、ゆっくりとでは
あるが、復興の歩みを進めているように感じられた。ヘリコプターで移動したシラジガン
ジは、ジャムナ川の架橋の有力候補地点である。1万人の大歓迎を受けて『ハヤカワ・ツ
リー』と彫られた碑前で、記念植樹を行った。次の着陸先は、70年のサイクロンでハチア
島と共に大被災を被ったボラ島。農林大臣が「早川が救援米など援助に尽力した」と讃え
た上で、早川を『ミスター・バングラデシュ』と紹介すると、3万人の大観衆から怒濤の
ような拍手と歓声がわき起こった。

早川崇の歓迎風景(1973 年12 月15 日、ボラ島)

(3)早川は、政府特使としての訪問以降、2年弱にわたり、バングラデシュの復興と支
援のために、誠心誠意、尽してきた。その誠意が、バングラデシュの指導者から一般国民
まで伝わっていることを確認したのである。「バングラデシュの心をつかんだ」、「戦後
日本の正しいあり方を示した」と早川は確信した。『心と心の触れあい』が実現している
ことに全身が震えた。こうして、早川は、すっかりバングラデシュの『虜(とりこ)』に
なったのである。
「彼コソハ実ニ豊富ナ過去ノ文化的教養と自己ノ良心的ナ獨創的思考力ヲ以テ 堅實ナ國
民大衆ノ肚ノ底ノ言ヒタクテモ言イ表セナイ叫ビヲ全身ヲ以テ叫ビ以テ國家ノ進路ヲ指示
シ且全身ヲ以テ実行スル者デアルコトヲ固ク確信致ス次第デアリマス」(中曽根の推薦状)

(4)最終日、早川は、お別れの挨拶のため、ラーマン首相を官邸に訪ねた。早川より、
「日本バングラデシュ協会が贈呈を約束した『巡回医療艇』が、明年2月にバングラデシ
ュに到着する。新しい国家の誕生にちなんで『日の出号』と命名した」と伝えた。すると
ラーマン首相は非常に喜び、壁のタゴールの肖像画の横に掲げてある掛図を指さし、タゴー
ルの『日の出』の詩(ベンガル文字)であるとして、詩について説明してくれた。

暗い夜が終わって
今や陽が昇る
はらからよ
手をつないで歩こう

早川隆夫妻とムジブル・ラーマン首相(1973 年12 月16 日 大統領官邸庭園)

 

4.日本とバングラデシュの友好のシンボル
(1)巡回医療艇『日の出号』は、スティールファイバー製で25トン、25ノットの快速艇。
74年1月、早川会長とチョードリ駐日大使により、蒲郡港で進水。同3月16日、ダッカの
ブリガンガ川に浮かぶヨット『Mary Anderson号』の甲板で贈呈式が行われ、日本バング
ラデシュ協会の竹中専務理事から バングラデシュ厚生大臣に贈呈目録が手渡された。な
お竹中専務理事は1962年に皇太子ご夫妻(当時)をダッカ総領事としてお迎えしており、
『Mary Anderson号』は、皇太子ご夫妻がダッカでクルーズを楽しまれた、思い出のヨッ
トである。

ベンガルタイガー除幕式(2017 年6 月7 日 バングラデシュ大使館)

(2)早川に届けられたベンガル・タイガーの毛皮は、その頭部を剥製として、爾来43年
間にわたり、早川家の玄関に飾られてきた。長男・早川鎭は、「両国友好の歴史的記念物
ともいえる、このトラを更なる友好と発展に役立たせることができないか」と考え、新た
に竣工なったバングラデシュ大使館に寄贈を提案した。2017年6月、アラム外務担当国務
大臣の出席を得て、除幕式が執り行われた。ここを訪れる両国関係者が、このトラをみて、
両国友好の意義に思いを馳せてもらえばとの願いが込められている。

*あとがき:『心と心の触れあい』外交
『心と心の触れあい』が、外交用語として初めて使用されたのは、1972年1月29日の福田
外相の外交演説である。早川崇がバングラデシュの早期承認を働きかけ、政府特使として
訪問した時期と重なる。
福田赳夫は、東南アジアで日本人だけで群れをなして、現地人社会に溶け込もうとしない
ことに心を痛めていた、また日米繊維交渉で意思疎通が上手くいっていないことも懸念し
ていた。このため『心と心の触れあい』を唱え、その一つとして、72年に「日本の友人を
ふやし、世界との絆をはぐぐむ」ため、国際交流基金を設立した。また74年の田中総理の
東南アジア訪問でジャカルタ暴動が起こった。76年末に総理に就任した福田赳夫は、77年
8月、第2回ASEAN首脳会議に出席した際、マニラでのスピーチで『福田ドクトリン』を表
明した。『福田ドクトリン』は、①軍事大国とならない、②心と心の触れあい、③対等な
パートナーとしてアジアの平和と繁栄に寄与する、という日本のアジア外交の3原則であ
る。
早川崇のバングラデシュへの取組みは、戦後日本のアジア外交の在り方、すなわち『福田
ドクトリン』を先導的に実践していたといえるのではなかろうか。

(この連載は、第4回を以てひとまず打ち切りとします。)

■5)イベント、講演会の案内
〇5月9日(木)日バ協会講演会:泉裕泰大使「バングラデシュの可能性」
(大手町倶楽部) 既に定員に達し、申込みを締め切りました。

〇第20回カレーフェスティバル&ボイシャキメラ
http://www.japanbangladesh.com/bn/boishakhimela/Boishakhi%20Mela%20Poster201
9.pdf
(2019年4月21日 10時から16時 東池袋中央公園 サンシャインシティ周辺)

〇4月16日(東京)、4月18日(大阪)「バングラデシュ企業との商談会&セミナー」、
4月19日(福岡)「バングラデシュ・ビジネスセミナー」
https://www.unido.or.jp/coming/6979/

■6)『事務連絡』
〇第6回社員総会・懇親会の開催予定

日本バングラデシュ協会の第6回社員総会及びその後の懇親会は、6月8日(土曜日)の11
時から、昨年同様品川のTKP品川カンファレンスセンターANNEXにて開催されます。

詳細は追ってご連絡いたしますが、ご予定を調整の上ご参加をお待ちしております。

〇会員情報変更届のお願い:
事務局では会員各位の連絡先等の最新版を常備する必要がありますので、皆様の住所変
更、メールアドレスが変更されました場合は <info@japan-bangladesh.org>  までお
知らせ下さるようお願い致します。

〇本協会の活動などについてご意見等ありましたら、お知らせください。
また、メール・マガジンに載せたいご意見、情報、その他昔のバングラデシュ勤務時の
思い出などお寄せ下さい。

宛先:info@japan-bangladesh.org

(約1500字。体裁上若干の修正あり得ることご了承下さい。)
===============
一般社団法人 日本バングラデシュ協会

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