日本バングラデシュ協会    メール・マガジン84号(2021年4月号)

日本バングラデシュ協会の皆様へ

■ 目次

■1)巻頭言:『シライドホのタゴール』

 東京外国語大学大学院教授 元理事 丹羽京子

■2)寄 稿:『宮崎 IT 企業のバングラデシュ人材受入の挑戦』

(株)B&M 荻野紗由理

■3)寄 稿:『ダッカ大学修士課程に 2 年間学ぶ』

外務省南西アジア課主査 宇野杏里

■4)理事連載『バングラデシュの独立に寄りそう(1971 年 4 月):亜大陸が動き出す』

-バングラデシュ独立・国交 50 周年記念シリーズ No. 10-

理事 太田清和

■5)イベント、講演会の案内

■6)『事務連絡』


 

■1)巻頭言:『シライドホのタゴール』

東京外国語大学大学院教授 元理事 丹羽京子

シライドホに行く
タゴールにとって大切な場所を挙げるとすれば、生家ジョラシャンコのあるコルカタと、生涯をかけて学園を発展させていったシャンティニケトン、そしてシライドホ(現バングラデシュ、クシュティア県内)の三つになるだろう。このうちシライドホには 1890 年代のおおよそ 10 年間暮らしただけだが、この地がまさにタゴールを大詩人に育てたと言っても過言ではない。タゴール家の所有する領地管理のためにこの地にやってきた詩人は、ここでバウルを始めとするベンガルの伝統文化を「発見」し、典型的な農村風景や文化、そしてその詩的情緒を自らの文学的所産に取り込んでいった。まさにタゴールはここで名実ともにベンガルを代表する詩人となっていったのである。
そのシライドホにはぜひとも行ってみなければと思いながらなかなか果たせなかったのだが、十年ほど前にある人が連れて行ってくれるというので一も二もなくついて行くことにした。いつもながらバングラデシュではタイトなスケジュールを組むことになってしまうのだが、車を出せばダッカから日帰りでも行けるという。結局 4,5 人の知り合いが車に乗り込んで夜が明けるか明けないかの時分にダッカを出発した。ダッカからシライドホまでは 250 キロほどらしいが、途中フェリーで河を渡るのでけっこうな長旅となる。目的の場所に着くと午後もすでに回っていた。

黄金の舟
クティバリ(Kutibari)と呼ばれるタゴールが過ごした邸宅は、ジョラシャンコの本宅よりは小ぶりだが堂々としたものできれいに整備されていた。邸宅の裏にはポッダ河が流れ、物静かな農村風景が広がっている。あの喧騒のコルカタの中心部で生まれ育ち、ここにやってきたタゴールがどれほど感銘を受けたかに思いを馳せる。邸宅の中はがらんとしているが、上階のベランダに出ると、そこからポッダ河が見えるのが風情がある。
同行してくれた面々が、このテラスでタゴールがかの有名な「黄金の舟(Sonar Tari)」を書いたのだと言って、各々写真を撮ってくれと真剣にポーズを取るのが可笑しい。実際には、タゴールはこのテラスで「黄金の舟」を書いたのではなく、その名も「ポッダ」というハウスボートで書いたのだが、いずれにしてもポッダ河がこの詩を生んだのだから、それはどちらでもよいのかもしれない。その「黄金の舟」はこのように始まる。

空では雲がごろごろと鳴り、雨がざあっと降ってきた。
わたしは岸にひとり佇む、なにも頼るものもなく。
山のような、どっしりとした
稲をすべて刈り取った。

稲刈りを終えた「わたし」が山積みの稲とともに河岸に佇んでいる。河向こうには村があるが、こちら側には「わたし」以外だれもいない。タゴール詩にしばしばあらわれる孤独な情景である。そこへなぜか知っているように思えるだれかが、舟を漕ぎつつ通りかかる。「わたし」は舟を呼びとめ、稲を持って行ってほしいと声をかける。それに応えて岸に寄せた舟にすべての稲を積み込んで、自分もそれに乗り込もうとすると――

場所はない、場所はない――この舟は小さいから
わたしの黄金の稲でいっぱいだ。
スラボン月の空を
分厚い雲が行き交う、
空っぽの河岸に

わたしは取り残された――

すべてを持ち去った黄金の舟。

不思議な詩ではある。この知っているような気がする船頭はだれなのか、なぜ「わたし」は黄金の稲をすべて渡した末に取り残されてしまうのか、この詩にはそれこそ何通りもの解釈があり、さまざまな論争が繰り広げられてきたが、不思議を不思議として受け止め、ゆったりと河の情景に浸るのもいいのではないだろうか。

帰路のタゴール・ソング
邸宅を出ると、地元の人がすぐそばにおもしろいものがあるというのでぞろぞろとついていく。そこにあったのは、すでに廃墟となった古い郵便局で、タゴールがここに住み始めてからタゴールのためだけに建てられたものだという。真偽のほどは確かめられなかったが、手紙魔と言ってもよいほどのタゴールのことだから、さもありなんとも思える。
帰りの道ではフェリー乗り場が大混雑で思いのほか時間がかかり、道中ずっと歌をうたったり大声でしゃべっていた同行者たちも最後にはぐったりと眠りこけてしまった。ひとりドライバーだけが眠気覚ましに歌を口ずさみながら運転を続けている。「いい歌だね」と言うと、「これもタゴール・ソングさ」とドライバー氏。そうしてダッカに帰り着いたときには夜中の 2 時を過ぎていた。

 

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