日本バングラデシュ協会    メール・マガジン88号(2021年8月号)
日本バングラデシュ協会の皆様へ

■目次

■1)巻頭言:『独立戦争の物語』

~アニスル・ホクの『母』~

東京外国語大学大学院教授
元理事 丹羽京子

■2)会員寄稿: 『バングラデシュ船員のクラスターに思う』

元 JOCS バングラデシュ派遣ワーカー
鶯友会 牧病院 医師
会員 宮川眞一

■3)会員寄稿:『バングラデシュの障害女性の福祉(well-being)の向上を願って』

上智大学アジア文化研究所客員所員
会員 金澤真実

■4)理事連載: 『バングラデシュの独立に寄りそう(1971 年 8 月): 米中接近と印ソ条約

-バングラデシュ独立・国交 50 周年記念シリーズ No.14-

理事 太田清和

■5)イベント、講演会の案内

■6)『事務連絡』


 

■1)巻頭言:『独立戦争の物語』
~アニスル・ホクの『母』

 

東京外国語大学大学院教授
元理事 丹羽京子

 バングラデシュの作家たるもの、およそ独立戦争に触れないということはありえないだろうが、そのなかでも突出してよく読まれているのはおそらくアニスル・ホクのこの小説ではないだろうか。その名も『母(Ma)』、独立戦争の闘士たる息子とその母が主人公だが、タイトルが示す通りどちらかというと母に焦点を当てたこの物語は、2003 年に初版が出て以来多くの版を重ね、2021 年の時点でなんと 100 版を突破している。総計 20 万部以上を売り上げたことになるが、一冊売れたら10 人読んだことになると言われる回し読み文化を持つバングラデシュではミリオンセラー以上の価値を持つことは間違いない。

『母』の物語
話はいたってシンプルである。ソフィア・ベガムは夫が二人目の妻を迎えると知り、息子アザドを連れて家を出る。以来二人は苦楽を共にしながら固い絆で結ばれて暮らしていたが、アザドがちょうど修士課程を終えたころ独立戦争が始まってしまう。それまであまり政治とは関わりを持っていなかったアザドだが、このときばかりはいてもたってもいられず解放軍に加わった。しかし彼はほどなくパキスタン軍の手に落ち、拘束されてしまう。アザドの母は面会を許されるが、それは母親を通してアザドを懐柔し、仲間やアジトの情報を引き出そうという意図からのものだった。虐待に耐え切れず仲間の名前を言ってしまいそうだともらすアザドに対し、母は仲間を裏切ることのないようにと諭す。そして米のごはんが食べたいと訴えるアザドに、明日必ず差し入れると約束して帰途につく。翌日彼女は米のごはんと数々のおかずを携えて再びアザドに会いに行くも、もはや会わせてはもらえない。そしてそのまま行方知れずとなる息子に彼女が会うことは二度となかった。この日以来ソフィア・ベガムは、米のご飯を絶ち、硬い床に横になっていた息子に寄り添うために自身も床に寝るようになる。ときが経ち、バングラデシュは独立するがしかし、アザドは帰らぬままである。そしてその母は実に 14 年の間ご飯を絶ち、床に寝ながら息子を待ち続けたが、ついに帰らぬ人となった。彼女が亡くなったとき、この母を慕う息子のかつての同志たちが集まり、手厚く葬儀がいとなまれた。その墓碑銘には「殉教者アザドの母」と刻まれたという。

『母』の持つ力
この小説は実話をもとにしたもので、実在のアザドは 1971 年の 8 月 30 日に拘束され、以後行方不明となるが、独立戦争中に亡くなったと目されている。そしてその母であるソフィア・ベガムはちょうどその 14 年後の同じく 8 月 30 日に亡くなっている。作者はある人物からこの話を聞き、ぜひそれを書きたいとかつての同志や親族などから証言を集めたという。ここには多くの人物が実名で登場し、時系列や地名なども基本的に実際に即したものとなっている。初版刊行後、さらにいくつかの証言が寄せられ、多少の修正と増補もなされた。もちろん小説なので、想像で補われた部分も少なくないのだが、この女性が本当にあの時代を生きた「母」なのだと知ることの意味は重い。
小説はソフィア・ベガムが幼いアザドを連れて裕福な夫の家を出るところから始まる。苦労を重ねながら自力で息子を育て上げただけに、このあとの悲劇は人の胸を打たずにはいられない。しかし作中「アザドの母(Azader ma)」と表記されることがほとんどのこの女性は、息子しか眼中にない狭い視野の持ち主ではない。独立戦争が始まるや、息子の友人達でもある解放軍兵士を匿い、息子自身が危険な任務に関わることも止めたりはしない。そのクライマックスは、拷問を受け、ほとんど立つこともできない様子の息子が仲間の名前を言ってしまいそうだと母に訴える場面にある。母自身も、兵士から息子をうまく懐柔して仲間の名前を言わせれば即座に解放してやると言われているのだが、息子と対面した母は「強くありなさい、絶対に言ってはだめ」と言うのである。この場面あってこそ、アザドの母は「英雄の母」たりえたのであり、ただ米断ちをし、冷たい床に寝てひたすら息子を待つだけではない殉教者の母というアイコンになりえたのだろう。

「母もの」の持つ力
ベンガルは強力な母文化を持ち、「母もの」がとりわけ読者を惹きつけると言われている。有名なショットジット・ラエ(サタジット・レイ)の「オプー三部作」のうち、二作目の「大河のうた」では、夫に先立たれ、息子と二人残された母が、コルカタの大学に進学した息子をひたすら待つうちに亡くなってしまうシーンがしばしば話題に上る。あるいは、西ベンガルの女性作家モハッシェタ・デビは世界的に高く評価されながら、それほど一般の読者に広く読まれるわけではないのだが、そのなかでやはり「母もの」である「千八十四番目の母」だけは広く受け入れられたという。ベンガルだけではない、日本でも『母』のあらすじを聞いて「岸壁の母」を思い出す向きもあるかもしれない。息子を待つ母、あるいは息子に無償の愛を注ぐ母のイメージは普遍的な力を持つ。
同時にこの小説の「母」はバングラデシュ独自の歴史における実在の人物でもある。あるレビュアーは、独立戦争を知らないバングラデシュの若者にこの本を読ませたと語っている。バングラデシュ人にとっては忘れることのできない、あるいは忘れるべきではない「母」の肖像がそこにはある。
普遍的なアイコンとしての「母」、そしてバングラデシュ人だけが知る独立の重みを具現化する「母」がクロスするところにこの作品は存在する。

 


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