日本バングラデシュ協会    メール・マガジン89号(2021年8月特別号)_1

日本バングラデシュ協会の皆様へ

バングラデシュの独立に寄り添う(1971 年 8 月)特集号:人道主義と国際政治

目次

はじめに

1.日本ベンガル友の会(奈良毅)

・手記:鈴木孝昌『私が遭遇したバングラデッシュの夜明け(その1)』
・復刻:奈良毅『東パキスタン問題についての訴え』(サルボダヤ 1971 年 6 月号)
・復刻:日本ベンガル友の会編『東パキスタン問題資料集その一』(1971 年 7 月)
・アッピール
・中村平治『東パキスタン問題の歴史的背景について』
・奈良毅『バングラ・デシュ国際会議(1971 年 9 月、ニューデリー)』に参加して』
(日本ベンガル友の会会誌 No.2)

2.日印サルボダヤ交友会(岡本光司)

・寄稿:上田恵介『岡本光司先生ご夫妻-日印サルボダヤ交友会青年部での思い出』
・寄稿:渡辺 博『「融和」と「友和」による平和を願う』
・記事:『秘密使節が東京で語る』(1971 年 8 月 23 日 毎日新聞夕刊)
・写真: 秘密使節の来日(於ホテルニューオータニ)
・復刻:ナラヤン『世界はパキスタンの残虐をなぜ黙過するのか』(『サルボダヤ』8 月号)
・復刻:松谷被鐙『パキスタンの難民キャンプを訪ねて』(サルボダヤ 8 月号)
・復刻:松戸行雄『力』を越えて『力』の連鎖を断て』(サルボダヤ 9 月号)
・復刻:バングラ・デシュ仏教会『パキスタン軍の仏教徒弾圧を告発する』(サルボダヤ 10 月号)

3.アジア経済研究所(桐生稔)

・寄稿:桐生稔『独立前後のバングラデシュ -歓喜と懸念-(その2)』
・復刻:桐生稔『世界の孤児 東パキスタンの悲劇』(毎日グラフ 1971 年 8 月 15 号)

4.論考

・太田『ニクソン・キッシンジャーのパキスタン傾斜政策(前編)』

5.グラビア・新聞記事選集

・1971 年 6 月 1 日号 『フォト』
・1971 年 8 月 15 日号 毎日グラフ特集『生きる! 『―死のパキスタンをのがれて-』
・1971 年 8 月 10 日 読売『ソ連・インドが”不可侵条約” 三極アジア急進展』
・1971 年 8 月 10 日 日経『ソ連の対角線外交 米中ラインに対応』
・1971 年 8 月 12 日 読売『ウズ巻く三極外交 インド亜大陸の宿命』
・1971 年 8 月 17 日 毎日『なぞ多いラーマン裁判』
日本バングラデシュ協会 メール・マガジン 89号(2021年 8 月特別号)


 

はじめに

1971 年にバングラデシュの独立に向けて、日本国内では様々な団体・個人が自発的に運動を起こし、お互いに連動していました。その中で代表的な存在は、日本ベンガル友の会です。日印サルボダヤ交友会も日本ベンガル友の会と連携していました。またアジア経済究所は東パキスタン問題研究の拠点でした。これらの団体・人々„全員敬称略‟の間をジャラールがつないでいました。

○日本ベンガル友の会(奈良毅)

3 月 25 日の武力弾圧を受けて、東パキスタン出身の留学生達は、『Bangladesh Society』を結成し、抗議行動を起こした。パキスタン大使館は、反政府活動に当たるとして、パスポートを没収するなどと威嚇し、彼らの言動と行動を厳しく監視した。
窮地に陥った東パ留学生達は、奈良毅のところに相談に来た。奈良毅は、「彼ら留学生達を護り抜かねばならない」と決意し、4 月 12 日『日本ベンガル友の会』を設立。「東パキスタンの暴虐を傍観してはならない、人道主義の立場から解決を」と訴える運動を開始した。
奈良毅は、ベンガル研究者であり、同僚の奈良康明、中村平治などと一緒に運動を開始した。とはいえ『友の会』は立ち上げたばかり、組織も資金もゼロからのスタート。ほぼ奈良一人で動かしているのが実情であり、また『友の会』の活動も思うようにならないという悩みが募った。そこに現われたのが、鈴木孝昌である。

○日印サルボダヤ交友会(岡本光司)

「日印サルボダヤ交友会は、東パキスタンの武力弾圧に敏感に反応した。藤井日達日本山妙法寺山主の指導の下、ガンジー平和連盟、奈良毅東京外国語大学助教授(当時)、
インド大使館などと連携して東パ問題についての講演会を開催したり、同交友会の会誌編集局長岡本光司氏は会誌の発行を通じて独立運動を支援するキャンペーンを張り、青年達(渡辺博氏や上田恵介氏など)を指導した。
同交友会の母体は、日本山妙法寺。藤井日達上人が、1918 年に遼陽で創設した新興の日蓮系仏教教団である。藤井上人は、1930 年にインドに渡り「日本の仏教を西天に還す」ことをめざした。同師は 1933 年にガンジーと親交を結び、非暴力主義に影響を受けた。日本山妙法寺は、戦争の惨禍を踏まえ、戦後は平和運動に力を注いだ。インド国内各地、海外各国には、ガンジーの弟子達により、サルボダヤ運動が広がっていて、藤井師は 1961 年に日印サルボダヤ交友会を設立、ガンジーのサルボダヤ精神と日本の仏法とによる平和実現を目指した。」

○アジア経済研究所(桐生稔)

アジア経済研究所は、現代のアジア地域研究の拠点。各国、各分野別の研究者を揃え、現実的かつ実践的研究を特長としていた。桐生稔は、1967~70 年に東パキスタンで在外研究した後、本部でビルマとパキスタンを担当していた。また後任の長田満江よりは、現地(ダッカとカラチ)から月例報告が届いた。さらにアジ研内で東パ問題を、インドや中国の研究者とも議論出来た。桐生は、この研究環境にあって、ベンガル語に通じ、現地の土地勘を有する研究者として、東パ問題に関する卓越した論文を次々と発表し、東パ問題に視座を提供し、国民の理解を得ようとした(メルマガ 3 月特集号参照)。

○S. A. ジャラール

ジャラールは、東大大学院卒業後、Pakistan Observer 紙東京特派員。NHK ベンガル語放送の初代出演者(アナウンサー)でもあった。日本在留は 10 年を越え、日本語も上手く、日本社会に豊かな人ネットワークを有していた。
3 月 25 日の武力弾圧を受け、『Bangladesh Society(チョードリー会長)』を立上げ、メディア畑であったので広報を担当した。
4月17日、バングラデシュが正式に独立宣言。これを受け、18日にパキスタンの駐カルカッタ総領事(東パ人)がバングラデシュに忠誠を表明し、同総領事館はバングラデシュ政府代表部となった。
5 月 11 日、バングラデシュ臨時政府代表部は、ジャラールを日本特派員に指名し、日本の世論への働きかけを命じた。まずインドのサルボダヤ指導者 J.P.ナラヤンの講演旅行の受入れ(6 月 18 日)。次いでバングラデシュ僧侶の使節の受入れであった(8 月 21 日)。またインドで開催されるバングラデシュに関する国際会議(9 月 18~20 日)への日本の参加呼びかけを行った。
ジャラールは、臨時政府からの指示に、奈良毅、日印サルボダヤ交友会、桐生稔などの協力を得て応え、バングラデシュ独立に向けて日本国民の共感を広げていった。臨時政府との連絡は、秘密を確保し、パキスタン大使館に知られることなきよう、桐生稔のアジア経済研究所の住所を使った。
なおジャラールなどの諸活動は、表向きにはバングラデシュ臨時政府側によるものとされた。インドの公式的立場は、①東パ問題は、東西パキスタン間の内政問題である、②印は、大量の東パ難民を抱え込んだ被害国である、と慎重なものであった。インドの政府と在京大使館は、バングラデシュ独立運動について表に出て来ることはなかった。しかし、バングラデシュ臨時政府は、組織、人員、資金をインドに依存しており、その活動はインドが実質的なグリップを握っていた。


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