日本バングラデシュ協会 メール・マガジン 91 号(2021年 10 月号)

日本バングラデシュ協会の皆様へ
■目次

■1)巻頭言:『バングラデシュ独立と美術作家たち(3)――サイード・アブドゥッラー・カリッド』

福岡アジア美術館学芸員
会員 五十嵐理奈

■2)寄稿:『ベンガル語ラップから見えてくる世界』

南アジアポップミュージックブロガー
軽刈田 凡平(筆名)

■3)理事書評:『SDGs 時代の国際協力-アジアで共に学校をつくる』

―西村幹子/小野道子/井上儀子共著 [岩波ジュニア新書 931] (2021 年 岩波書店)-

関東学院大学講師
理事/事務局次長 石坂貴美

■4)理事連載:『バングラデシュの独立に寄り添う(1971 年 10 月):ソ連の決断と中国の国連加盟』

-バングラデシュ独立・国交 50 周年記念シリーズ No.16ー

理事 太田清和

■5) イベント、講演会の案内

■6)『事務連絡』


 

■1)巻頭言:『バングラデシュ独立と美術作家たち(3)――サイード・アブドゥッラー・カリッド』

岡アジア美術館学芸員
会員 五十嵐理奈

 

バングラデシュ独立運動に関わった4人の美術作家を、独立の発端となった言語運動、独立戦争時、戦後にわけてコラムで紹介する。

 解放戦士 3 人の像《オポロジョヨ・バングラ(征服されざるベンガル)》は、バングラデシュの独立戦争を記念した公共彫刻として、もっとも広く知られる作品であろう。ダッカ大学文学部の前に立つ高さ6mほどの立像は、彫刻家サイード・アブドゥッラー・カリッド(Syed Abdullah Khalid、1945-2017)が手がけた作品である。(図1)

 3人の解放戦士は、みな顔を上げて凛々しく未来を見据える。中央には銃を肩に担ぎ手榴弾を握った農民の解放戦士、その右には救急箱を携えたサリー姿の女性、そして左には銃を手にした若い学生の志願兵が立つ。農民、女性、学生などあらゆる人々が独立のために戦ったことを示し、征服されることのないベンガルの栄光と理想を表す写実的な彫刻である。

(図1)サイード・アブドゥッラー・カリッド《征服されざるベンガル》1979 年(1983 年、常木新二撮影)

 戦後、若きカリッドは、独立戦争に直接銃を手にして参加できなかったことに自責の念を抱き、苦闘の独立を象徴する作品を手がけたいと願っていた。そんな矢先の1973年、ダッカ大学中央学生連合委員会から独立戦争の栄光を示す記念 碑制作の依頼を受けた。すぐに模型制作に取り掛かり、翌1974年には予算の制約から安価な再生コンクリートを用い て実際の大きさでの制作を始めた。しかし、1975年8月15日に建国の父ムジブル・ラーマンが暗殺され、政治不安から制作は中断。その後、イスラームの宗教団体から人型の彫刻を制作すべきでないと妨害を受けたり、彫刻が破壊されそうになるなど、プロジェクトは難航した。

(図2)2008 年の戦勝記念日のパレードでは、ダッカ大学芸術学部の学生たちが制作した《征服されざるベンガル》の複製が山車となって街を練り歩いた。(Saiful Wadud Helal 監督「Aparajeyo Bangla」2011 年、56 分より)

 ムスリムが多いバングラデシュでは、ヒンドゥーの神像制作 と見紛う人物彫刻に携わることに対して理解をえるのが難しい。そもそも東パキスタンで初めて彫刻の展覧会が開かれたのは、1948年にダッカ美術学校ができてから10年以上が経った1960年のことで、さらにダッカ美術学校に彫刻科ができたのは、開校から17年も経た後の1965年になってからのことである。彫刻不遇の時代を経て、バングラデシュという自由な 国を勝ち得た独立後になると、独立戦争を記念する具象的な彫刻、記念碑が全国につぎつぎと建てられていったのである。《征服されざるベンガル》は、そうした公共彫刻の先駆けであった。

 さて、カリッドが本作の制作を再開できたのは、中断から3年余りが経った1979年初めのことであった。人物像のまわり に足場を組み、カリッドは毎日昼も夜も大きなコンクリートの像に張り付くようにして形を削り出していった。その制作する姿をリキシャ引きや子どもなど多くの人が集まって見上げていたという。《征服されざるベンガル》は、その制作過程に街を行き交う人々の眼差しや歓びの声を吸い込んで、1979年12月16日の戦勝記念日に完成した。自由を象徴する記念碑は、さまざまな政治活動や運動などの集会場所となり、今もバングラデシュの人々のなかに生きる(図2)。

 



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