日本バングラデシュ協会 メール・マガジン 69号(2020 年 3 月号)巻頭言: 『インド市民権改正法施行とバングラデシュの関係』 (相談役 堀口松城 )他

■目次
1)巻頭言: 『インド市民権改正法施行とバングラデシュの関係』

相談役 堀口松城

2)特別寄稿:『Sheikh Mujibur Rahman: a tribute to a fallen hero』

-ムジブル・ラーマン生誕 100 周年シリーズ No.3-

Prothom Alo 紙 東京支局長 顧問  Monzurul Huq

3)理事寄稿:『ベンガルのムスレム村落社会研究と原忠彦教授の業績』(連載その1)

東京外国語大学 アジア・アフリカ言語文化研究所教授 理事 外川昌彦

4)理事寄稿:『Japan Action Task: ユヌス博士の目指す Social Business とは?』

グラミンユーグレナ代表 理事 佐竹右行

5)イベント、講演会の案内

 

6)『事務連絡』


 

 1)巻頭言: 『インド市民権改正法施行とバングラデシュの関係』

相談役 堀口松城

インドでは昨年末行われた市民権法の改正によって、宗教によって市民権付与が差別されることとなったことに大規模 な抗議運動が行われたものの、下院では12 月 9 日、上院では同 11 日に可決された。しかし、日をおかずして行われたデ リー首都圏議会議員選挙においては、「宗教による市民権付与の差別はインド憲法に反する」との抗議運動が広い支持を 集め、同改正を推し進めたモディ首相率いるインド人民党は大敗した。そこでここでは、市民権法改正までの経緯、特にバ ングラデシュとの係わり、改正の要点、また、同改正に対する大規模な抗議運動の勝利と、同勝利が多民族国家インドにと って与えうる意義及びバングラデシュとの関係について述べてみたい。

1.先ずバングラデシュと国境を接するインド北東部では、1947 年 8 月インド独立による両パキスタン及びインドの「分離」 に伴う「民族大移動」により、1千 2 百万人といわれるヒンドゥー、モスレム、シークの人々が、わずか 3 カ月という短期間に 新たにできた国と国の間を大移動し、大きな混乱があった。さらにこの北東部地域では、この大移動のもたらした大きな混 乱が未だ完全に収まらないうちに、1971 年のバングデシュの独立に伴う混乱により、この地域からの不法移民の流入が 再び加速された。
その結果、とくにインド北東部に前から住んでいた住民は、バングラデシュから流入した不法難民によって就業機会が 奪われるだけでなく、もともと人口の少ない先住民族は、少数民族として追いやられるのではないかとの懸念が高まり、そ の結果、特にバングラデシュと隣接するアッサム州では、1979 年不法移民排斥を求める「アッサム動乱」が発生し、大きな 混乱がもたらされた。

2.このため 6 年後の 1985 年、ラジブ・ガンジー政権とアッサム騒乱主導者達との間で不法移民の特定・追放を行うとの アッサム協定が調印されたものの、実施には至らなかった。さらに、20年後の2005年にも、さらにまた、9年後の2014年 にも、中央政府、州政府および全アッサム学生連合の間で、アッサム州の市民を明確にする国民登録簿(NRC)の更新を 決定したが、いずれの時も実施されるには至らなかった。
そこで 2014年、インド最高裁が政府に国民登録簿(NRC)の早期更新を命令したことを受けて、モディ政権は2016 年 市民権法改正法案を国会に提出した。同法案は本2019年1月上院ではようやく可決はされたものの、この時も北東部住 民の反発が激化し、5 月の下院解散に伴い再び廃案のやむなきに至った。同法案をめぐるこのような混乱が何度か繰り返 された後、昨年8月に至って国民登録法(最終案)がようやくまとまり、12月、同法案は下院、上院を通過し、大統領の署名 を経てようやく 2019 年改正市民権法として成立した。

3.この様な困難なプロセスを見ると、バングラデシュの難民が、インド東北部の住民と同地域の政治に与えるインパクトの 大きさに驚くとともに、多数の民族からなる多民族国家インドの抱える難しさと苦しみが、手に取るように理解できる。
他方、この改正法の問題として広く指摘されたのは、現行法は、不法入国者とその子供が市民になることを禁じている のに対し、改正法では、パキスタン、バングラデシュ、アフガニスタンの近隣 3 国から、2014 年までに不法に入国した難民 に市民権を与えるとしつつ、その対象をヒンドゥー教徒、シーク教徒、仏教徒、ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒に限り、イス ラム教徒は適用外としていることであった。

4.今回のデモもアッサムなど東北部で始まったものであったが、やがて、改正法はイスラム教徒を不当に差別するものであ るとの強い批判、反発が、宗派を超えて次第に全国に波及していった。このような状況に対し、治安部隊が過剰な対応をと ったため、やがて多くの人が死に、数千人が拘束されるとの事態になった。このため、モディ政権は、反対の特に強い北東 地域の大部分を、市民権法の適用から除外するとの規定を追加した。

5.以上の混乱状況のなかで、本年 2 月 8 日行われ、11 日に開票された 5 年に一回のデリー首都圏議会選挙において、 モディ首相率いるインド人民党は、庶民党に大差で敗れた。その理由として挙げられたのは、長引く経済の低迷に対する 国民の不満とともに、改正市民権法におけるイスラム教徒の排除は憲法に反するとする、宗派を超えた幅広い国民の反対 であった。この国民的な大反対で注目されるのは、市民権の要件に宗教を初めて持ち込もうとする改正法案は、世俗主義 を掲げる憲法に違反しているとして、イスラム教徒だけではなく、ヒンドゥー教徒や低カーストも参加する幅広い抗議運動に なっていたことである。

さほど遠くない将来、多民族国家として大きく成長したインドが、この日こそ宗教を差別の理由としない、多民族国家、 多宗教国家インド建設という建国の理念及び理想が、実現への大きな一歩を力強く歩み始めた歴史的な日として、東北 部インドに接したバングラデシュ人がこの実現の過程で果した役割とともに、人々に記憶される日がやってくることを期待 したいものである。

 

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